「アート」とは罪深く業深い概念。

理論上は、昭和天皇写真燃やしであろうとも、
特攻隊の旗にまぬけの墓であろうとも、
サウジの中心でコーランを焼くであろうとも、
インドでガンジーの写真を焼くであっても、
イスラエルでアンネの日記を焼きナチガス室はなかったと叫ぶであろうとも、
本人が正しいと思っていれば、純然たるアートたりえる。
さらに人間の髪の毛で屏風を作るとか、人間の皮で衣服を作るとか、
公開処刑・殺人を実行し映像にして流すとか、壇上で自分の耳や指を切り落としていくとか、
壇上で来場者を捕まえて火を付けて燃やすとか、そういうのでも同じで、
本人が「心からやる気になり公開したがっていれば」アートとして成立する。

アートだけではなく「文学」でも「表現」でも「芸能活動」でも同じ。
上記すべて文学として表現として芸能活動として成立する。

もちろん、表現してリスクを負わなくていいという意味では無い。
ヘイトではないという意味でも無い。
犯罪では無いという意味でも無いし人倫に背かないという意味でも無い。
批判は受ける、暴力とは戦う。
でも何を表現してもアートであり文学であり表現であり芸能活動である。

問題は、「これをアートとして出しちゃったら、この責任者はこうなるよ」
というのが見えちゃっている場合。「こうなる」というのは、
刃傷沙汰とか捕まるとか殺し合いが始まるという意味だが、
見えちゃっている場合は、「アートじゃない」と言い訳して周囲が封じ込めようとする。
封じ込められた場合は、「アートじゃない」が正しい。アートと云うに値しなかった。
どうしても表現したいものがあるなら、あらゆる封じ込めを乗り越えてこそのアートである。
むろんそこまでやるなら命がけだ。「できる」なら「やればいい」。

ただし税金使うのはだめ。世間様に迷惑がかかりすぎる。