【ネトウヨ卒倒】新元号・中西進氏 令和に流れる「十七条の憲法」平和精神を重視
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新元号「令和」を考案したと有力視されている国文学者の中西進氏(89)=写真=は、読売新聞のインタビューに応じ、「元号の根幹にあるのは文化目標」とした上で、令和の「和」について「『和をもって貴しとせよ』を思い浮かべる」と述べ、十七条憲法の精神が流れているとの考えを語った。
「令和」の出典は、大伴旅人が730年に開いた宴での「梅花の歌三十二首」の序文。万葉集では「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」と表記され、「和」は風のやわらかさを示す言葉として使われている。
中西氏は、自ら考案者だとは明言しなかった。しかし、「元号は文化」と考える中西氏は、604年に聖徳太子が制定したと伝えられる十七条憲法の平和精神を重視。「大和の心」は万葉の精神にも流れ、平和憲法にもつながるものだとした。
その上で「令」は、善いことを意味し、「令和」とすることで、新元号にふさわしい「麗しき和」が表現されていると語った。
ただ、十七条憲法を伝える日本書紀は、全体が漢文で、典拠となる「国書というのに抵抗がある」とし、日本固有の万葉仮名を使った万葉集こそ典拠の国書にふさわしいとした。
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政府は「令和」や他の元号案の考案者を明らかにしていないが、関係者の間では、令和の考案者は中西氏だとの見方で一致している。
読売新聞
4/17 11:40
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20190417-OYT1T50077/ 共存の平和でなく、死滅させることで得られる平和
それを命令されているんだから仕方ない 多分決まってからすぐに十七条憲法だと言った
おれが言うが朝鮮批判が多分に含まれてると思うぞ。 >ネトウヨ卒倒
ネトウヨだろうとなんだろうと日本人のほとんどは平和が好きだろう。
お隣みたいに好戦的じゃないからね。 中西先生は、当初「「天の声」が令和と言っていた。」ではなかったか。
天の声の主は天文学者張衡(78〜139)の声だろう。
張衡は、天球儀を発明し、2500の星を観測、月と太陽の関係も観測した。
キトラ古墳もこの流れではないかな。
令和の本家中国は、覇権争いの真っ最中だが。つまみ食いはダメですな、中西先生。 なんか勘違いしている人も多いんだけど
十七条憲法の「和」って
「議論した上で仲良くしよう」「お互いの意見の違いを認めよう」という意味であって
明治の「万機公論に決すべし」と同じなのよね
上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。
忿を絶ちて、瞋を棄て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。
かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。
夫れ事独り断むべからず。必ず衆とともに宜しく論ふべし。 >>9
令和は清和会の清和を連想させるからけしからんとか言ってたよな
結局反アベの学者が考案したからいい年号なのかアベ忖度案件だからダメな年号なのか
どっちなんだかはっきりして欲しいわ 十七条憲法を伝える日本書紀って
藤原不比等が書き込んだ落書きやな 平和が嫌いじゃなくて所謂平和運動が嫌いなだけなんだよな
奴らの言うとおりに非武装で平和が訪れるほど、現代人は進化していない
非武装なんてしたら、それこそ戦禍に巻き込まれるってものだ 令和の意味は「美しき大和の国」で
これは安倍総理が目指す美しき日本だ >>1
この内容のどこにネトウヨが卒倒する内容があるんだ? >>1
>「麗しき和」
なぜ、麗和でなく令和?
漢字の見間違い? 金田一秀穂氏が【令】の意味を解説。
「令」というのは、古い意味では“神様のお告げ”という意味。
神様と言うのは、天皇のことだよね。
だから、大宝律令と言ったんだよね。
律は刑法、令はそれ以外(主に行政法。その他訴訟法や民事法も。)に相当する。 >>23
天皇陛下の神格化なんて明治に入ってからだろ むしろ左翼が言ってたいちゃもんが全否定されちゃったやん アホウヨには「貴し」とか読めないし。自宅警備員ばかりだから。 https://ja.wikipedia.org/wiki/律令制
身分制度
日本の律令制における身分は、良民と賎民に大別される。良民は、高級官僚である貴族を初め、
下級官人、一般の百姓(公民と呼ばれることもあった)、雑色人(品部・雑戸という工芸技術を
持つ半自由民)があった。賎民は五色の賎と言われ、陵戸(天皇・皇族の陵墓を代々守る家系)、
官戸(諸官庁に属し公用に従事)、公奴婢(官有の奴隷)、家人(貴族や有力者に属し雑用に従事)、
私奴婢(私有の奴隷)があった。
賎民のうち、公奴婢と私奴婢は売買の対象とされるなど、奴隷として位置づけられていた。この
ように、律令制下では奴隷制が存在していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/奴婢
奴隷自体は、三国志魏志倭人伝に卑弥呼が亡くなったとき100人以上の奴婢を殉葬したと言う記述や、
生口と呼ばれる奴隷を魏に朝貢したと言う記述が見られるように、少なくとも邪馬台国の時代には既
に存在していた。
仲哀紀には神功皇后の三韓征伐でも新羅の捕虜を奴婢として連れ去ったという記述が
ある。
また蘇我氏物部氏の争いの時も聖徳太子が大連の首を切ってその子孫を四天王寺の寺奴婢[注釈 2]
としたという記述がある。これらの古代から存在していた奴隷を、律令制を取り入れるときに整理しなおされたとされる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています