一方、この読売の社説と対照的に、元号に対する敵意をうまく隠そうとして、隠しきれていないのが、次の朝日新聞の社説でしょう。

■朝日新聞の社説は、一見すると元号に対する敵意は剥き出しになっていませんが、文中、

「中国に起源を持つ元号は、「皇帝による時の支配」という考えに基づく」
「改元1カ月前という今回の政府の決定は、国民生活を最優先したものとは言い難い」
 など、引っ掛かる箇所がいくつもあります。「天皇が時を支配するものである」、「元号は国民生活を無視するものだ」、
とでも言いたいのでしょうか?まさに隠しきれない隠し味、といったところでしょう。

ただ、さすがに元号を正面切って批判すれば、読者の朝日新聞に対する批判が殺到するとでも思ったのでしょうか、

「元号への向き合い方は人それぞれであることは言うまでもない」「もとより改元で社会のありようがただちに変わるものではない。
社会をつくり歴史を刻んでいくのは、いまを生きる一人ひとりである」と、
何が言いたいのかさっぱり理解できない文章で社説を締め括っているのが印象的です。

■琉球新報は

「沖縄で日本の元号が一般に用いられるようになったのは140年前の琉球処分(琉球併合)以降のことである」

「復帰前の米国施政下では西暦が中心だった」
と述べ、あたかも元号は押し付けられたものであるかのような言いぐさをしています。また、

「戦争責任が天皇制に根差すものであるとの見方から、複雑な県民感情があり、元号法制化に対しても反発があった」
とする下りも、あまりにも一面的です。そして、
「「令和」には人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められているという。

「厳しい寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込めた」と安倍晋三首相は言う。
/花を咲かせる以前に、戦争や災害のない時代であってほしい。新たな元号が平和の代名詞になればいい。」

という下りを読むと、「花を咲かせる」ことよりも「基地問題」で大騒ぎすることの方が大切だ、という宣言にしか見えません。
もっとも、琉球新報(や沖縄タイムス、北海道新聞など)には、朝日新聞がかわいく思えるくらいにぶっ飛んだ社説が堂々と掲載されているため、
「ネタ」として読む分には面白いのかもしれません。

■主要紙の社説の中で、この新元号に対する敬意が感じられたのが、次の読売新聞の社説です。

元号は令和 新時代を実感できるように(2019/04/02付 読売新聞オンラインより)

読売新聞はこの「令和」を巡り、「新たな時代を象徴する言葉として、多くの国民の間で、
親しまれていくことを願いたい」としたうえで、「なじむまで時間はかかるかもしれないが、
おおらかな情緒を感じさせる2字ではないか」と指摘します。この点については共感せざるを得ません。

また、わが国の248の元号のなかで、「日本の古典からの引用は初めて」という重要な点についても指摘しており、
天皇陛下の御即位前に元号を定め、公表したこと、政府が閣議決定後に皇太子殿下に報告したことなどについても、
「丁寧な手続きを心掛けた」と評しています。

また、「グローバル化が進み、西暦の利用が増大しているとはいえ、
日本の伝統である元号を様々な場面で活用する方途を探りたい」とする一方で、
改元に伴う社会的な影響についてもしっかりと言及しており、さらには
「代替わりに伴う儀式は来年まで続く。つつがなく執り行われるよう準備を尽くすべきである。」
と締めていますが、この点についても読売の指摘どおりでしょう。

もっとも、この読売の社説に残念な点があるとすれば、皇太子殿下のことを「皇太子さま」などと意味不明な敬称で呼称していたり、
天皇陛下のご譲位を「退位」と書いたりするなど、皇室に対する敬語の使い方が完璧に間違っている点でしょうか。
それだけで、説得力も半減してしまいます。

https://vpoint.jp/media/134032.html