― 連載「倉山満の言論ストロングスタイル」―

はっきり言う。安倍内閣は、おバカの見本市か?

 またしても、やらかした。安倍晋三さんは、皇室の歴史に名を残した。「天皇に“キラキラネーム”を贈った首相」として。

 現行の一世一元の制では、元号はその代の天皇の名前となる。だから、元号を決めるとは天皇陛下のお名前を決めるということだ。

 最初の元号である「大化」が定められたのが、西暦で言えば645年。以後、約1400年間、元号の制定に関しては最高の学者が議論をして奏上し、天皇の改元大権により定められてきた。改元ほど時の権力者に左右された権限もない。だが、決定に際し日本国最高の学者の議論が行われてきたのも、我が国の伝統だ。

 いずれ「令和」は次の陛下のお名前となるので“キラキラネーム”と批判するのは心苦しい。しかし、言うべきことは言わねばならない。

 はっきり言う。安倍内閣は、おバカの見本市か? 大臣や側近に、体を張って止めようとする人間が一人もいなかったのか?

 元号にケチをつけると、左翼? 共産党? そんな低い次元ではない。辞書を引いて「命令の令だ!」と批判するのも、「令嬢の令でもあるではないか!」と反論するのも結構。もちろん、言葉を議論するときは辞書の定義から出発すべきだ。しかし、あくまで出発点であって、終着点ではない。辞書の知識だけで語られても困るのだ。

 言葉は、人々が使うことによって意味が加えられる。歴史を背負うのだ。国語辞書など、その時点での意味をまとめたものにすぎない。また、権威がある辞書でも、詳しい歴史までは教えてくれない。

「令和」には三つの呪いが込められている。

 一つ。そもそも、「令」とは皇太子と緊密な言葉なのだ。天皇の命令は特に、「詔」「勅」の字で表される。

「詔書」「勅語」などである。それに対し、皇太子の命令を「令旨」と呼ぶ。後世になると、「令旨」は皇太子以外も使用している。源平合戦の時の、有名な「以仁王の令旨」などだ。

 院政期、政治の実権は上皇(法皇)が握り、「今の帝は東宮の如し」と揶揄された。東宮とは、皇太子のことである(後継予定者が天皇の弟ならば皇太弟)。

 つまり、皇太子殿下は天皇に即位されても「東宮の如し」との意味が読み取れるのだ。

 二つ。「令」の字は一回だけ候補に挙がったことがある。幕末の文久4(1864)年、朝廷からの案には「令徳」があった。前近代は漢字を漢文風に読む習慣があった。当時の常識では、「徳ニ令ス」としか読めない。どう読んでも、「徳川に命令する」の意味だ。誰が? 天皇をいただく朝廷しかない。朝廷の露骨な王政復古宣言だ。挑戦状ともとれる。

 結局、「令徳」は採用されず、「元治」となった。ただ、「元」も「始」も「はじまり」を意味する。元治元年はその名の通り、池田屋事件〜禁門の変〜四国連合艦隊砲撃事件〜長州征伐(馬関戦争)〜功山寺決起と、幕末動乱から明治維新へと一気に突き進む起点の年となった。

 このような歴史を持つ「令」の字は、動乱の歴史を背負っているのだ。だから、元号においては「忌み字」として採用すべきではないとするのが、常識的見解なのだ。

 三つ。「令和」とは「和ニ令ス」の意味となる。「和国に命令する」のである。誰が?

2につづく

日刊SPA
4/15(月) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190415-01566175-sspa-soci