以前、小泉進次郎の著書や発言を集めて検証したことがあるが、批判するところが一カ所もなくて驚いた。内容がゼロだから批判しようがない。たとえば進次郎はカメラをしっかり見据えて、「必要なことをやるべき」「世論調査を見ても納得している人が圧倒的に少ないことは明らかだ」「政治全体、行政全体の信頼が失墜していることは本当に不幸だ」などと語りかける。

 昼のワイドショーを見ているおばさん連中は「本当にそうねえ」と言うのかもしれないが、冷静に考えればいずれも「塩はしょっぱい」レベルの話。「やるべき」だから必要なのであり、「世論調査を見れば納得している人が圧倒的に少ない」のだから、少ないことは明らかなのである。「信頼が失墜していること」が幸福なわけがない。自民党の客寄せパンダからガス抜き要員に出世したのも、内容がないことを自信満々で語るその面の皮の厚さが党中央に評価されたからだろう。

 とはいえ、進次郎の芸はこれだけだ。統計不正問題で注目が集まる中、国会で質問に立った進次郎は「平成が終わろうとしている」「この(衆院予算委員会の)基本的質疑は目の前のテレビを見ている方も、この景色を見ているように、全ての大臣が出席しなければいけないことになっている」と、「テレビを見ている方」も知っている事実を述べ立てた上で、総理大臣や閣僚の国会出席数の削減による負担軽減を求めた(今月4日)。

 さらに「この問題が起きるまで、誰もがこんなに統計のことを考えることはなかった」として、厚労省幹部の報告が遅れたことを「危機管理上アウト」と批判。アホなこと言ってはいけない。「統計は詐欺だ」との声は上がっていたし、問題は厚労省および政府の不正であり、危機管理ではない。質問に細工を施すことで論点をずらしたり問題を矮小化するのはプロパガンダの初歩的な手法だが、こんなのにだまされる人間がいるのも絶望的だ。進次郎は「厚労省、目を覚まして欲しい」と言っていたが、目を覚まさなければいけないのは国民である。

 結局、進次郎は「大臣が代わって済む問題とは違う」「厚労省の改革にしっかり旗を振って欲しい」と質問をまとめたが、これが茶番、出来レースでなくてなんなのか? 

 進次郎の渾身の政策「国会の議員配布資料のペーパーレス化」で思いついたのだが、「ウォシュレット小泉」という愛称はどうか? 

 希望して党厚労部会長の座に就きながら、自分が担当する組織のケツさえ拭けないのだから。

日刊ゲンダイ
2019/02/16
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