>>593
どうもありがとう
詳しいお話ですが、肝心の関東大震災の揺れがどの程度だったか、よくわかりませんな  被害や、避難の描写も何もない
父方の祖父が早く亡くなっても、息子であるお父様は、その震災体験を聞いておられるはずですが、何も書いてないですね

私は、あなたの先祖の経歴や育ちを聞いてるんじゃなくて、戦争や災害の体験を知りたくて聞いただけです
経歴はどこかから他人のものを書き写せても、実際の体験は本人にしかわからないですからね それこそが、日本人である証

戦争中の群馬空襲で、焼夷弾の火を消すために、母方のお祖父様が屋根に上って火消しをされたそうですが、もちろんできなくはないが、
焼夷弾は屋根を突き破って落ちてくるので、穴の空いた屋根に上るのは大変危険だと思います
木造家屋は火の回りが早いですし、消すのが難しい
普通は、下から水をかけるのがやっとでしょうね
(当時は無風状態だったそうなので、お家は近所からの類焼ではなく、直撃弾を受けて穴が空き、燃えたはずです)
又、中島製作所があったのは、群馬県の太田町です
あなたの言う、大田じゃありません
大韓民国にある、大田(テジョン)と、間違えないように

それから、父の疎開先は気仙沼だそうですが、その時お父様は中学3年生ですね
普通は、男子中学生は疎開せず、軍需工場等へ勤労動員されます
疎開したと言うのは、嘘です

あなたの無駄話には、私の聞きたいことに答えた箇所はほとんどありませんでした
要点をはずし、経歴話で飾ってごまかしていますが
そして、江戸っ子三代と言うなら、祖父母の内半分が群馬県人、後の一人が神奈川県人、そして一人だけが東京生まれでは、いかにも弱いですなあ

ですよね、琉球新報を愛読しておられる朝鮮人工作員さん?