イ・ヨンスはデビュー当時から「電話線で拷問を受けた」というエピソードが売り。
昔の電話はハンドルが付いていて、それをグルグル回すとダイナモが発電して交換所に信号が行く仕組み。
日本軍が改造電話でイ・ヨンスを拷問したかは定かではないが、戦後の韓国では思想犯に対して
「電話」を含む様々な拷問が行われていた。

<参考>
「醜い韓国人 <歴史検証編>」 朴泰赫 加瀬英明 1995年 光文社
加瀬
(第二次大戦後の)南朝鮮過渡政府のときから、警察が恐怖政治を行なっていた。混乱期だったということから、理解することも
できますが、日本統治時代よりも、ひどいものでした。ヘンダーソンは先の著書(『韓国渦巻きの政治』)のなかで、1947年なかばに
南朝鮮で7000人の政治犯を含む、2万2000人が投獄されていたが、「日本時代の2倍近くに当たる」といい、また、1950年の
韓国財務部の発表を引用して、全国21ヵ所にある刑務所に、5万8000人が収監されているが、「国会の調査によれば、このうち50〜80%が
国家保安法違反によって捕らえれた者である」と、述べています。
そして、「拷問――腎臓を殴打する、水漬け、電気ショック(「電話」と呼ばれる)、親指を縛って、身体を天井から吊るす(「飛行機」)、
唐辛子を無理やりに大量に食べさせる」ことが、ひろく行なわれていた、と書いている。また、警察の腐敗が目にあまり、1948年には警察官の
賄賂収入が、給料の「50倍から80倍に当たった」と、述べています。


私は拷問を受けた人々を取材したことがありますが,唐辛子を無理やりに食べさせるなんてことはできませんよ。これは、まず、人の顔を
濡れた布で覆ってから、唐辛子を溶いた真っ赤な湯を、ヤカンから目や、鼻腔に、流し込むんです。コチュゴモンという拷問です。
「電話」は、昔の手動式電話がありますね。陰陽の電流を流した線を、被疑者の指につないで、電話器の取っ手をまわすんですよ。これも、効きますよ。