鈴木 情と利害関係で成り立つ政治の世界では、石破みたいなタイプは面倒がられるかもしれません。理詰めで知的ゲームを楽しむところがあって、子分を集めてメシを食わせたりということもあまりやらないし、そんな時間があったら本を読みたいなんて言ったりするから、“永田町文化”の中では冷たく感じる人もいるでしょうね。

野上 安倍の場合は、幼少期に両親が不在がちで、母親の愛情に飢えていたというのが、やはり性格形成に影響しているでしょうね。養育係のウメが言うには「強情っ張り、わがまま、言い出したら聞かない」。ただ、度胸はあるんです。例えば子どもの頃、夏休みの最終日に宿題が終わっていないと、兄の寛信は涙顔になる。しかし晋三は平気で、ウメが「宿題は済んだの?」と聞くと、ノートは真っ白なのに「うん、済んだ」と平気で嘘を言って、始業式には「行ってきまーす」と元気よく家を出ていったといいます。

鈴木 言い出したら聞かないというのなら、石破にもそういうところはあります。初恋の女性と結婚したことからも分かるように、一途なんですよ。こだわりや執着は強い。ただし、石破の場合は整合性というのがどうしてもはずせない。「どうしてこの人がいいのか」「なぜ、このやり方でなければならないのか」と、論理的に説明できるかにこだわってしまうんですね。石破側近が盛んに「父性の人」と言うのだけれど、変な情で動くことはない。もちろん感情的な恨みつらみはあるけれど、論理的に許せるかどうか。だから、「目をかけてやったのに後ろからタマ撃ちやがって」みたいな部分は、石破には少ないかもしれませんね。

野上 ウメは「晋ちゃんは自分の感情が最優先で、個人的な恨みは忘れず、気に食わないとテコでも動かないタイプ」と回想しています。それでいて甘えん坊。排他的というか、敵と味方を峻別し、厳しい意見を言う人は遠ざけて、居心地のいい人ばかりで周りを固めてしまう。だから、「オトモダチ優遇」となり、オトモダチ重用人事に対して自民党内に不満、批判、異論が蓄積されてきている。

鈴木 かつて中曽根康弘は「風刺画の題材にされてこそ一人前の政治家」と言いました。自分に厳しいことを言ってもらえる環境こそ為政者に不可欠ですよね。西日本豪雨の時の「赤坂自民亭」も、誰か「今夜はやめよう」という仲間はいなかったのか。

野上 被災者のことを考えれば、まずは「軽率だった」と謝って当然なのに、「指示できる態勢は整えていた。私は何も悪いことはしていない」と開き直る。絶対に誤りを認めたがらないんですね。安倍は父・晋太郎から「おまえには政治家として必要な情がない」「相手の立場に立って考えることをしない」と散々、怒られたと聞いていますが、安倍を知る人たちは「非を認めないのはコンプレックスの裏返しでは」と言いますね。勉強ができなかったことに強烈なコンプレックスがあるというわけです。だからこそ、秀才だった祖父・岸信介への憧憬をより強くしたのかもしれませんね。 (つづく・敬称略)

▽野上忠興 1940年東京生まれ。64年早大政経学部卒。共同通信社で72年より政治部、自民党福田派・安倍派(清和政策研究会)の番記者を長く務めた。自民党キャップ、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任後、2000年に退職。安倍晋三首相のウォッチャーでもあり、15年11月発売の著書「安倍晋三 沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの秘密」(小学館)が話題。他に「気骨 安倍晋三のDNA」(講談社)など。

▽鈴木哲夫 1958年福岡県生まれ。早大卒。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経て13年からフリーに。25年にわたる永田町の取材活動で与野党問わず広い人脈を持つ。著書に「政党が操る選挙報道」(集英社新書)、「安倍政権のメディア支配」(イースト新書)など多数。またテレビ・ラジオでコメンテーターとしても活躍。

日刊ゲンダイ
2018年9月1日
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