>>700
中国の粛正、北の粛正にも負けず劣らず、下関の粛正も大概のものだった。
古賀についた企業は徹底的に公共工事から排除され、古賀の実父や姉が経営していた日東建設も金融機関の貸し剥がしにあって倒産した。
古賀敬章やひっついていた連中も大概な野心家だったという記憶と共に、一連の政争(抗争)がいまさらながら思い出されている。
                by 武蔵坊五郎