8月8日に亡くなった前知事の翁長雄志さんの妻の樹子さん(62)は、沖縄のタイムスのインタビューに、名護市辺野古の新基地建設問題に関する前知事の思いなどを明かした。(聞き手=政経部・福元大輔)

■沖縄の人たちの心を一つにしたかった

 撤回と聞いて「あなたが待ち望んでいたことよ。自分の責任でやりたかったと言うでしょうけど、皆さんが遺志を継いで頑張ろうと立ち上がってくれたのよ」と仏前に報告しました。

 翁長雄志は命がけでした。他の人にはなぜそこまでするのか、と理解できないかもしれません。政治家として自分に何ができるかを追い求めてきた人です。若い頃は何を考えているのか、何をやりたいのか、分からないこともありましたが、亡くなって初めて思うんです。ずっとつながっている。沖縄のことを思い、沖縄の人たちの心を一つにしたかったんだと。

 本人は亡くなる直前に言ったんです。辺野古問題で悩むことが多かったでしょ。「人がどう言うか、分からない。人がどう評価するか、分からない。でも、知っていてほしい。僕は精いっぱいやったんだ。これ以上できない、それでも足りないだろうか。僕の力がそこまでだったんだろうか」と。私が「ウチナーンチュだったらきっと分かるはずよ」と言ったんですよ。そしたら、翁長は静かに笑ってました。

■県民が諦めなければ新基地は止められる

 7月27日に撤回を表明し、30日に入院しました。10日そこそこで亡くなったんですが、肉体的にはとっても大変、きつかったと思うんです。弱いところを見られたくないという思いが強かったですから。副知事や公室長が来たときも病室のいすに座って話をしていました。

 若い頃から政治一筋だったので、自分がいま何やるかが分かっていたのかもしれない。撤回の準備に入ったのも、自分の体調が本当に厳しくなってから。どうにか撤回まで持っていきたいと考えていた。

 ぎりぎりの状態で進め、結局、自分で撤回することなく亡くなってしまったけど。後は任せるということになり、本当に申し訳ないという気持ちだった。

 県民が諦めなければ辺野古の基地は造られないと思う。それは翁長も私も信じていた。県民が辺野古の基地はもうしょうがないということになれば、未来永劫(えいごう)沖縄に基地を置かれたままになる。それでいいのでしょうか。翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい。私にはそれしかできない。

 ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがあると次男が県民大会で言ったでしょ。本当にその通りだと思うんです。一つになって立ち上がる。その強さを翁長は求めていたんだと思うんです。若い頃から。

つづく

沖縄タイムス
9/1(土) 7:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180901-00307620-okinawat-oki