共産党員をやめ65歳になった俺は、
貯金も底をつき生活保護を申請に役所に行った。
役所の窓口は鉄格子で覆われ、両脇にはガードマン
まるでアジアの銀行のような物々しい雰囲気だった。

俺が生活保護の申請を申し出ると、役所の共産党員が面倒臭そうに1枚の用紙をくれ、
「はいはい、これね。必要事項を書いて郵便で申請して。1ヵ月で結果を郵送しますから」
職員はそれだけ言うと、すぐに次の高齢者に同じ説明を始めた、元共産党員が次々来るのだ。

俺が、「1ヵ月も待てないです、今月末にもアパートを追い出されそうで」と言うと、
共産党員はさらに面倒臭そうに1枚の地図をくれ、「じゃここ行って。毎晩炊き出しやってるから」
俺は諦めて帰るしかなかった。

後日、役所から1枚のハガキが届いた。ハガキの内容は言うまでもない。当然の内容だった。
俺はただ眠るしかなかった。寝ている間は嫌なことは全て忘れられる唯一の時間だったのだ。
「このまま二度と目が覚めなきゃいいのに。共産党員なんてやるんじゃなかった。共産党員なんて!」 
俺の頬を冷たいものが伝う。何の努力もせず共産党員まで墜ちた代償は、あまりに大きかった。

「おいっ!起きろ!赤旗配達だよ、いつまで寝てんだよ!同志!」

俺は悪臭漂う共産党支部の仮眠室で目が覚めた。すべては夢だったのだ。
いや、夢なんかじゃない。俺はきっと20年後の未来を見て来たに違いない。

俺はその日、共産党員を辞めた。