2018.6.7 16:00 AERA dot. AERA2018年6月11日号

 囚人のジレンマという言葉がある。ばらばらに収監された2人の囚人は、相互不信にとらわれた結果、双方にとって不利な決断を下すことがある。その状況を意味する、ゲーム理論上のモデルである。

 この数カ月、政局を見てはその言葉を思い出している。野党は、与党は嘘つきで、倒すためなら手段を選ぶべきではないと考えている。与党は、野党は悪質なクレーマーで、少しでも弱みを見せたら終わりだと考えている。結果として、与党は不必要な嘘をつき、野党は国民向けのアピールに終始し、政治は空転し続けている。

 以前に記したように、筆者はいわゆるモリカケ問題に興味がない。政治家が周囲の声を聞き便宜を図るのは当然であり(ロビイングとはそもそもそういうものである)、贈収賄や背任がなければ犯罪ではない。教育行政が首相夫人や友人に振り回さ れたのは由々しきことだが、犯罪性がないのであれば、世論の反発を受け改善すればいいだけの話である。それがここまで大事になったのはなぜか。

 それは最初に首相が嘘をついたからである。そしてその嘘に引きずられ、官僚が嘘をつき公文書の改竄(かいざん)や破棄にまで手を染めたからである。公文書の改竄となれば、これはもう明らかな犯罪である。現行法で犯罪でないとしても、それは法の不備を意味するだけの話であり、とても看過できるものではない。そしてこの犯罪の起点はたしかに首相の嘘にある。このままごまかし続けることは、さすがに不可能だ。

 しかし同時に考えねばならないのは、なぜ首相は嘘をつく必要があったのかである。首相の人格にすべてを帰するのであれば話は簡単だが、そういうものでもあるまい。この嘘はおそらくは、前述した囚人のジレンマ状況から生まれた構造的なものである。だとすれば、首相が代わっても似た嘘は繰り返されるにちがいない。私たちに必要なのは、その連鎖を断ち切ることである。

 しかしそれはどうしたら断ち切れるのだろうか。野党勢力が拡大し、クレーマー戦略に頼らなくてよくなるのが唯一の道だろう。だがその道もいまはほとんど断たれている。

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