共同通信 2018/3/26 16:00
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 前川喜平さんの授業に絡んで文部科学省が出した質問状を読み、違和感を持った感じた点を紹介し、
掘り下げて考えたい。

 最初の質問状の第12問は次のようにただす。


 ■お金への異常な執着■

 「前川氏を講師で招いた際の交通費や謝金の支出はあったのかどうか。あった場合、それらの金額はいくらか。
また、それらの経費はどこから出ているのか、具体的にご教示ください。また、同氏以外の外部講師の交通費や
謝金の扱いはどうなっているかも併せてご教示ください」

 外部の人を招いて講演や授業をしてもらったら、その団体の規定や資力に応じて交通費や謝礼を支払うのは当然だ。
講師は何を聞きたくて自分を呼ぶのかを理解し、その要望と自分が語りかけたいことを調和させ、必要に応じて調べ、
考え、整理して、聴衆の心に届くように工夫して話す。時間もエネルギーもかかる仕事だ。

 今回は中学生を主たる対象としたが、保護者や地域の人も参加した。聞き手の多様さは内容や表現には
制約として働き、講師にとって難易度は上がる。だが質問者は、謝金や交通費を出したかと聞く。
学校現場なら無料のボランティアが当然ということだろうか。

 質問全体の意図からいえば、前川さんの授業のことだけを聞けばいいのに、前川さん以外の外部講師への
謝金についても聞いている。前川さんには、ことさらに多額の謝金を払っていると疑ったのか。

 謝金の支出手続きにまで立ち入っているのも異様だ。市立中学が独自に実施した授業について、
国がここまで追及するのはなぜか。適正支出かどうかを、名古屋市議会や名古屋市の住民が監視するのは当然だが、
国がその適正を疑い、問いただすのは、よほどの違法を疑わせるような情報や事情が存在しない限り、越権だろう。
質問者はお金に異常な執着を持っているのだろうか。


(続きは記事元参照)


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