■朝日新聞 2017年2月2日03時02分
公文書管理「日本の歴史に責任を持つこと」 福田元首相
http://www.asahi.com/articles/ASK104RL6K10UTFK00K.html
 公文書管理法の制定を主導した福田康夫・元首相(80)に話を聞いた。

 ――小泉内閣の官房長官だった2003年、福田さんが主導して公文書の適正な管理について検討する懇談会を設置しました。なぜですか。

 20年前、地元の学校から「記念誌を出すから戦争直後の写真がほしい」と頼まれた。
でも、戦争で全部やられてきれいになくなっちゃって、探してもなかなかなかった。
いろんな人に探してもらったところ、ワシントンのスミソニアン博物館に写真があると聞いた。そこで見に行ってみると、確かに日本の、それも前橋市の焼け野原の写真があった。
 これはえらいことだなと。1枚だけじゃなくてたくさんあった。他の国の写真が都市ごとにあって、簡単に見つけられる。
コピーもしてくれる。こういうことを知って、日本にも記録を残すための整備が必要だと感じた。それがきっかけだ。

 ――当時は、公文書を管理するという意識が薄かったと思いますか。

 法的なルールがなかった。これはとんでもない話でね。民主主義国家というのは、国民が様々な判断をするために正しい事実を知らなければいけない。
民主主義の根幹にかかわる問題だ。同時に、文書が残ることで日本の歴史は残っていく。
正しい信頼できる資料を、みんなが納得できるような形で残していくことが必要だ。
何が真実なのかわからないままお互いに言い合いをした結果、争いが生まれる。そういうことにしてはいけない。

 ――公文書管理法は政府の意思決定を検証できるように過程を残すよう明確に定めていますね。

 一つの法律がいったんできれば、100年使うこともありうる。
時間が経って環境や状況が変わったとき、この立法の趣旨は何だったのかと、さかのぼって検証できるようにしないといけない。
 憲法もそうでしょ。条文の一つ一つがどういう意味を持つのか、わかるように残していく。
将来、その時々で勝手な解釈がなされ、論争や混乱のもとになる。
国内であればまだしも、国と国との間の論争まで起こる、それが戦争のもとになる、なんていうことでは困る。
 細かくいちいち全部メモまで残すべきかどうか、それは案件によって違う。
だが、集団的自衛権をめぐる議論については、できるだけわかった方がいい。
ある日、ひらめきがあってパッと変わったということではないからね。

 ――法の施行から今年4月で6年を迎えます。法の精神は霞が関に浸透していると感じますか。
 かなり浸透しつつあるとは思う。残す努力はしていると聞いている。
だけどね、都合の悪いことを記録として残すことが本当にできるのか。
各官庁で担当者が、間違った判断で間違った案文を作っちゃうことが、可能性としてないわけではない。
都合が悪いから公文書館に出すのをやめようということが、絶対にないわけではない。
 そのため、各官庁は公正な立場で何を残すか、何を公文書館に移管するか、何を開示するか、きちんと判断していかないといけない。
書類を残す判断を役所にすべて任せていいのかという意見はあるが、第三者では本当にどれが大事なのか判断できない。
当事者が一番わかっている。とにかく、役人の意識を高めていくしかないということだ。

 ――書類を作る公務員の高い意識がなければ、文書は残らないということですか。
 公務員は、自分たちが日々歴史を築いているんだと。歴史の石垣を一つ一つ積み上げているんだと。
そういう仕事をしているんだと。この一個の石は小さいけれど、もしなければ、石垣は安定しないんだと。
そんな思いを持ってもらわないといけない。それは日本の歴史に責任を持つことでもある。
 日本国とは何か。抽象的だけど、文書が記録として残って日本国を形成する。
行政文書があいまいだったら、日本国というのは一体信用できる国なのかどうか、そういうことが問われてしまう。
記録をしっかり残すということは、日本の強みになる。