↓で、ここから。記事に肉付けしようとおもうと、事件報道ですから、所轄発表所轄情報に頼るしかない。じゃあ、所轄はなんていうてるか? 
灘署なんでそりゃ神戸新聞が一番詳しいに決まってる。
「神戸新聞が灘署に聞いた話」が「真実」であるとは限りませんが、神戸新聞は、「警察から聞いた話」に付けたり引いたりして書かない(書く必要がない)ので、神戸新聞が書くことは、「神戸新聞が神戸新聞として聞いた警察情報」であることは間違いない。
で、その神戸新聞は

「自殺した男性職員の遺書に、同学園の問題に直接関係する記述はなかったことが12日、神戸新聞社の取材で分かった。」
「県警は遺体の状態や遺族の話などから自殺と断定。遺族から確認した遺書は数行程度で、家族への言葉などが記されていたが、国有地売却や決裁文書の書き換えに触れた内容はなかったという。」
「県警は事件性がないとして遺書は押収せず、自宅の現場検証もしていない。その後の遺族対応などは近畿財務局が引き継いだ。」
「同学園を巡る問題では大阪地検特捜部が背任容疑などの告発を受け捜査しているが、この職員は聴取を受けていないという。」

です。
つまり、
「遺書はあったけど、なんも事件のこと書いてなかったよ」
「警察は事件性ないから手を引いて遺族対応とかは近畿財務局にやらせたよ」
「当該さん、事件の聴取されてないよ」
って言ってる。
繰り返しますが、これは神戸新聞の記事です。
神戸新聞の記者が灘署に直当たりして聞いて書いてる。灘署署員が神戸新聞に嘘を言っている可能性はあるけど、神戸新聞が読者に嘘をついている(つまり、灘署から聞いた話を捏造したり盛ったりしてる可能性)ことはない。

で、僕は、この記事の「県警は遺体の状態や遺族の話などから自殺と断定。
遺族から確認した遺書は数行程度で、家族への言葉などが記されていたが、国有地売却や決裁文書の書き換えに触れた内容はなかったという。」って記述に不自然さを感じつつも、「この自殺はあの事件とあんまり関係ない」というこの記事の大筋に胸をなでおろしていたんです。
なぜならば、当初僕は、「確かにこのタイミングで近畿財務局の職員が自殺したのはそりゃ気になるけど、”このタイミングで””近畿財務局の職員が自殺した”ことだけをもって、あの事件と結びつけるのはどうか」と思っていたので。
そしてこの思いは今もあんまりかわっていない。
手元にある材料をどう並べても、「この自殺があの事件と関係ある」と断定できる材料がないので。

しかし人間心理ってのは怖いもので、
「森友事件という大事件」
と「それに関与しうる立場にあった人の自死」
という2つの事実が並んだ時に、両方が両方とも硬い事実である以上、どうしても頭の中で勝手に結びついてしまうんですよね。
でもね、何度も言うように、
「この二つを結びつける有力な素材はない」
ってのが事実なの。

だから、普通の書き手ならば、不用意に、「近畿財務局の職員は、改竄で苦しんで死んだ」とは書かない。つーか、書けない。材料がないのだもの。バナナも牛乳もないのにミックスジュース作れんでしょうが。

しかし、不思議なことをする人がいる。読売新聞です。