2018.02.22 信毎web
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「やっぱりここにいたいべ」―。福島の原発事故から1カ月後、飯舘村が避難区域になると知った大久保文雄さんは、じっとうつむいていたという。自ら命を断ったのはその晩だった。

 102歳。生まれ育った飯舘村で農家を継ぎ、土地を開墾し、牛馬を飼って暮らしてきた。99歳の白寿は大勢の村人が集まって祝った。人生のすべてだった村での生活を理不尽に奪われる悔しさ、切なさは察するに余りある。

 福島地裁が、自殺と原発事故の因果関係を認め、東京電力に賠償を命じる判決を出した。避難すれば帰還できずに最期を迎える可能性が高く、耐えがたい苦痛を与えたと述べている。被災者に向き合ったうなずける判断である。

 原発事故による自殺をめぐっては2014年、15年に別の裁判で東電に賠償を命じる判決が出て、確定している。3例目の今回も裁判所は、事故との因果関係を否定する東電側の主張を退けた。

 東日本大震災から7年近くが過ぎる現在も、震災や原発事故に関連する自殺は絶えない。福島県の関連自殺者は昨年までに99人に上る。一昨年は7人に減ったが、昨年は12人と増加に転じた。年月とともに被災者が置き去りにされ、自殺者の増加につながることを心配する声が出ている。

 飯舘村は昨年3月末で、一部を除いて避難指示が解除された。この春には小中学校も再開する。けれども、帰還率は1割に満たない。除染は今も続き、空き地には放射性廃棄物を入れた袋が山積みになっている。戻れる状況にないと考える村民は多い。

 原発事故で避難した住民らが各地で起こした集団訴訟でも、東電に賠償を命じる判決が続いた。千葉地裁は昨年、「ふるさと喪失」の慰謝料を初めて認定した。生活の基盤を奪われた苦痛は、賠償の対象になるとの判断である。

 今月、東京地裁が出した判決はさらに一歩踏み込んだ。ふるさとの喪失は憲法が定める人格権の侵害だと指摘し、判断の新たな枠組みを示している。

 原発でいったん事故が起きれば、損なわれた自然も、地域のつながりも、元には戻らない。経済的な損失にとどまらず、住民が失うもの、受ける苦しみは計り知れない。大久保さんの死は、そのことをあらためて思わせる。

 東電は被害を限定的に捉える姿勢を改めなければならない。司法の判断を重く受けとめ、住民が受けた被害に丁寧に向き合って、救済を進める責任がある。