https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180122-00000046-sasahi-pol

 衆院本会議で22日、施政方針演説を行った安倍晋三首相。「働き方改革」、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対する防衛力強化の方針を示した上で、国会の憲法審査会で改憲案の議論を深めるよう与野党に促した。安倍首相は自民党内で「結党以来、党是として掲げてきた。実現する時を迎えている」などとも述べ、2020年の施行へ強い自信をのぞかせた。会期は6月20日までの150日間。

 だが、そんな中、国際社会から誤解を招きかねない首相の“塩対応”が話題になっている。

 ノーベル平和賞を受賞したNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のベアトリス・フィン事務局長が1月12日〜18日に来日したが、安倍首相は「日程の都合」を理由に、打診されていた面会を断ったのだ。

 確かに、安倍首相は1月12日から17日までの日程で東欧やバルト三国を歴訪していた。だが、首相動静によると、17日夕に帰国した後は17時から都内で茶道の表千家の「初釜式」に母の洋子さんや弟の岸信夫衆院議員らとともに出席。19時過ぎには、早々に富ヶ谷の自宅に戻っている。面会しなかったのは、本当に日程のせいだったのか。ICAN国際運営委員でピースボート共同代表の川崎哲(あきら)氏がこう語る。

「フタを開けてみればお茶会に出席していたわけで、まったく時間がとれなかったはずはないと思います。ノーベル賞の授賞式があったノルウェーやフィン氏の出身地のスウェーデンでは、国としては核兵器禁止条約に署名していないにもかかわらず首相が面会に応じ、様々な意見交換をすることができました。日本政府の対応は、首相ご本人の判断だったのか、周囲のお役人が資料をつくるのを面倒だと思ったのか……どこかで市民団体やNGOを軽く見ているのではないかと感じてしまいます」

 川崎氏はフィン氏の日本での日程調整を担当したが、政府との交渉では不可解な点が多かったのだという。一連の経緯をこう語る。

「元々、12月初旬までに長崎大学の招待でフィン事務局長が来日することが決まり、せっかく来日するのだからと、広島、東京も訪問することになりました。そこで、東京を訪問する1月16、17日のいずれかで安倍首相にお会いしたいということを要請した手紙を、こうしたことの窓口である内閣総務官室宛てに12月22日に投函したのです」

 ちなみに、ICANに対して「首相の外遊日程を知っていて、わざと不在の時期に打診したのではないか」と批判する声も挙がっているが、川崎氏は「最初に打診した時点では、首相の外遊日程は把握していなかった」と話す。

「首相官邸の秘書官付きの担当者に問い合わせると、『返事をします』とのことだったが、返答の期限としてお願いしていた1月4日になっても連絡はない。1月6日には、別の日程の件で電話で交渉していた外務省の担当者から、『このマターは私の所掌事項ではないが、(首相との面会は)日程上の都合でダメだと聞いている』と伝えられた。その時までには首相は16、17日には外遊中だという情報が入っていたので、『フィン氏が離日する18日の午前11時までであれば対応できます』という主旨の手紙を1月8日に再度、内閣総務官室宛てに投函しました」(川崎氏)

 1月11日に、再度、首相官邸の秘書官付の担当者に連絡したが、『手紙が届いているか今から確認します』と言うのみ。フィン氏が来日した12日になって、前出の外務省の担当者と電話で話した際、「私の所掌事項ではないが、外遊中かどうかという問題にかかわらず、18日も日程が合わないと聞いている」と伝えられた。ただ、直接の担当者ではない人物から伝えられた情報であり、この時点でも首相官邸から正式な回答はなかったため、川崎氏は13日、メディアの取材に「首相との面会は調整中」と答えた。すると、14日に前出の外務省の担当者からメールがあり、「あれ(12日のやり取り)は政府としての回答です」と伝えられたという。

「結局、こちらが出した手紙を誰が受け取り、誰が正式な担当者だったのかも最後まで確認できなかった。担当者もわからなかったので、首相ではなく代理の方と会ったり、フィン氏からのメッセージを書いた手紙を渡したりという別の手段で交渉をすることもできませんでした。首相が外遊等で多忙なのは十分理解できますが、ダメならダメと正式に伝えてほしかった」(同)
 
(略)