この離脱が注目される理由は、宮司となった長子氏の祖父、盛彦氏(1892〜1974)が神社界の功労者だからだ。
 「戦後神道界の群像」(神社新報社)によると、盛彦氏は鹿島神宮(茨城県)で宮司をした後、49年に岳父の後継として富岡八幡宮の宮司に就任。
59年には神社本庁の事務総長に就いて、神道の失地回復に力を尽くした。
 最晩年には、臨済宗円覚寺派管長の朝比奈宗源氏や「生長の家」創始者の谷口雅春氏、明治神宮の伊達巽宮司らと「日本を守る会」の設立(74年)に走り回った。
同会は97年、作曲家の黛敏郎氏らの「日本を守る国民会議」と合流。改憲団体「日本会議」(田久保忠衛会長)となり、いまの安倍政権とのかかわりで無視できない存在になっている。