http://www.huffingtonpost.jp/kazuo-yamaguchi/san-francisco-osaka_a_23289702/

日本を外から見ていて、またもや国際関係上非常識と思われ、国際的信用を下げることが起こってしまったと感じる。慰安婦像設立に関し、大阪市がサンフランシスコ市との姉妹都市関係を解消すると決定したことである。60年の歴史を解消するほどの行為の理由が、米国から見て「女性の人権蹂躙の歴史を記憶にとどめる碑」の設立が名誉を傷つけると日本が主張するという衝撃的事実が、いかに米国での日本のイメージを悪化させるかについて大阪市は考えたことがあるのだろうか。

慰安婦問題を否定しようとすることで「人権を軽視し、女性差別的な国」という印象を与える日本の自治体の行動が、国際的に「日本の名誉」をかえって損なうものであることは容易に想像できそうなものだが、自国しか見えないのであろう。

偏狭なナショナリズムは政治を世界に対し盲目にするという例になってしまった。だが慰安婦問題に対し日本政府の主張を支持する米国の有識者は皆無といって良い。親日家を含み米国の有識者での日本への評価は、筆者の観察では日本が慰安婦問題の存在自体を否定するような発言や行動をすればするほど悪くなってきている。将来の日米関係一般にも悪影響しかねない状況だ。

今回の関係解消について、大阪市長は国内の政治的空気を読んで一種のパフォーマンスをしたのだろうが、歴史評価問題に関し日本の人権意識の低さを国際的に印象付けると言う「負の外部効果」を生み出しただけでなく、サンフランシスコ市内の日系人社会に無用の分断と対立を生み出し、また経済的にも文化的にも発展し続けるサンフランシスコ市という魅力的な都市との交流という大阪市の将来を一時の政治的判断で潰してしまった。その社会的コストは極めて大きいと考えられる。

もちろん国際的な姉妹都市の関係が極めて有益であるどうかは一概に言えず、大阪市―サンフランシスコ市の姉妹都市関係が今までどれほど有益であったのかどうか筆者は知らない。しかし、シリコンバレーを近くにもち、グーグル社を含めIT関係の会社もひしめくサンフランシスコ市は住民の生活の質(quality of life)指数では全米トップの都市であり、有効活用されれば大阪市との姉妹提携は将来的にも十分日本側にとって恩恵をもたらすはずのものである。

大阪市は関係解消手続きが今からでもできるなら中止し、さもなくば近い将来サンフランシスコ市に今回の非礼を謝罪した上で、姉妹都市関係を復活させることが望ましい。形があれば有効活用は可能であり、国際親善にもなる。だが一旦関係が解消されれば覆水盆に帰らずとなる可能性もある。信用を培うのには時間がかかるが、不信は一時の誤りでも生まれるからである。それにしても意義のある60年の伝統を、大阪市の利益ではなく市政と本来無関係の政治的理由から破壊するとは、市長の権限の乱用ではないのか。

(略)

将来日本の若者が世界で胸を張って生きていけるためには、「歴史の負の側面」からも目を背けず、その上で戦後日本が経済復興と繁栄を成し遂げ、特有の魅力ある文化を発展させ、また70年以上の長きにわたって平和を維持し比較的安全な社会を作り出してきたということへの誇りに土台を置くべきである。これらの事実は世界でも高く評価されているからである。

一方日本は過去25年以上も経済的に低迷しているし、成功体験のある世代は現在の若者の世代が面している厳しさに理解がない。だから多くの若者が戦後の体験をポジティブに語る上の世代に反発し、戦後を否定する考えに同調し、憲法の護持や人権を叫ぶ「リベラル」からはむしろ距離を置くようになった。

しかし政治において戦前の人命や人権を軽んじた時代を美化し、歴史的事実から目をそむける方向にそういう状況の若者を誘導することは、日本を再び世界では理解不能な「異民族」に戻し、日本の若者から将来国際的に活躍する力をも奪うことである。道が見えにくくなっている若者たちに対し、いわばナショナリズムの心理を悪用して進んで世界から孤立するような意識を植えつけるような政治はもう本当に辞めて欲しいものだ。

日本社会が、若者たちにとって個々人が大切にされると感じることで希望を持てる社会となり、そこでの身近な経験が自然な愛国心を生み出す。そのような社会の実現を政治は目指すべきである。