http://www.sankei.com/politics/news/170915/plt1709150074-n1.html

 新潟県の米山隆一知事のツイッターでの投稿が、「排外主義的ではないか」とインターネット上で論議になっている問題で、米山知事は15日の定例会見で見解を示した。米山知事は自身の発言について、「それは差別では全くない」と反論。発言の発端になった東京新聞の望月衣塑子記者に対する中国出身の評論家、石平氏の批判には、「『こんなに賛同している人がいるだろう』などと、理由もきちんと示さずにやっている」と指摘した。

 定例会見での発言要旨は次の通り。

       ◇

 −−石平氏とのツイッターのやりとりで、知事は「(前略)吐き気を催すほど醜悪だと思う」とツイートした。こういう表現をして大丈夫なのかと県民としても心配になるが、表現についての知事の考えは?

 「表現については議論のあるところでしょうから、もう少し言葉を選んでもよかったのかなと思う。ただ、一方で、確かに『醜悪だ』という言葉、一単語は確かに強すぎる表現かもしれないが、石平氏の東京新聞記者への批判について『吐き気を催すほどのうぬぼれだ』とおっしゃったツイートは、1万リツイートされている。1万リツイートもされているから、みんなこれを支持している、ほらこいつはものすごいんだと、ほかでも追加でツイートされている。彼らは常にそういう手法を使いますから、それはいじめの構造だ。

 望月さんの言っていることは、本当に吐き気を催すほどのうぬぼれかは何も言わずに、論証せずに、ただただこんなに賛同している人がいるだろう、こいつは間違っているだろう、こいつはたたきつぶせ、ほらほらほらと言って、理由もきちんと示さずにやっている。民主主義に対する挑戦ですよね。

 別に私も望月さんのテレビで拝見する質問光景を自分にやられては、菅さんぐらいの表情をしない自信はないが、菅さんぐらいの表情はしちゃうかなとは思うんですが、そこで止めておくのが民主主義。表情がこわばるのは人間ですから、私も時折、あんな感じでやられたら、私も菅さんのような表情になると思います。なるんですが、それをあんな風にあげつらい、しかも直接関係ないじゃないですか。あんな風にあげつらって、結局あれは、ほぼほぼ本当は個人攻撃ですよね。

 それを隠して個人攻撃をされていることに対して、言葉の選択はよくよく僕も考えますが、中身という意味なら醜悪だと思う。

 その言い方は『このようなことはいかがなものかと思います』という書き方にしようと思いますけれども、それはあくまで表現の問題であって、それをいかがなものかと思いますと言わなかったことに関して、石平氏がきちんと論理的に私を批判されるなら、いかようにも受けて立ちますし、必要であれば謝罪もさせていただくが、(知事のツイートに対する石平氏の「帰化人を日本人と認めない拝外主義的態度だ」との指摘に対し)それは差別では全くない。全く無関係なことだ。

 それをまた差別だと言って、大変恐縮ながら御社(産経新聞)がまるでそれが事実であるかのように言って、ある種のあげつらいをするわけですよ。ある種のいじめですよね。彼のツイートをよくみていただけたら分かりますが、私はきちんと反論したつもりです。これは全く差別ではないし、こうですこうですと。それに対して石平氏は何ひとつ反論せず、そんなこと言うけれども、おれのツイートを同調した奴はこんなにいる。こんなに抗議をしている人がいる。何も理由を示さずに、自分を反対する人を抑圧しようとしている。それをマスコミの皆さんが放置していることが、どれほど民主主義を危険にさらすのか。私も同じことをしていいんですかということなんです。

 石平氏は、こんなに多くの人が俺の意見に賛成しているのに米山氏はとんでもないやつだという議論をひたすらあおっている。それはやるべきことじゃない。

 私が言うことによって、県に対する影響もありますし、いろいろそれは考えさせていただきますが、ここにいらっしゃる皆さんはメディアとして自由、民主主義というものを保つ、崇高な使命を担っていると思う。第3の権力であっていいと思う。そこはちゃんとやっていただきたい」

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