民主主義の「さじ加減」

 ハンブルク市民の怒りはたちまち全国に感染し、慌てたドイツ政府は責任逃れに走った。ハンブルク市長の状況認識が甘かったとか、警察の対応が悪かったとか、あるいは、これほどの暴力は想定外だったとか。

 しかし、ハンブルク市長がSPDであったため、それはすぐにSPDとCDUの責任のなすりつけ合いに発展した。

 実は、今回、ハンブルクでのサミット開催に熱心だったのはCDUのメルケル首相だった。理由の一つは、民主主義国のアピール。誰にアピールしたかったかというと、トルコとロシアだ。

 ドイツ政府は昨今、この2国に対する批判を強めている。

 トルコやロシアではデモどころか、反政府的な考えを持っているだけで拘束されることもある。それに比べて、ドイツでは、信条の違いで罰せられることはない。言論や集会の自由が認められている。警察は決して先に手を出さない。それをエルドアン大統領やプーチン大統領に見せかった。

 ドイツでは、こういう暴動と紙一重のようなデモが結構しょっちゅうある。たとえば、5月1日のメーデーの騒乱はすでに年中行事で、暴力のメッカはハンブルク、ベルリン、フランクフルト、ケルンなど。だからドイツ政府は、今回も制御可能だと思っていたのかもしれない。

 しかし、民主主義のさじ加減はまことに難しい。どこまでが集会の自由で、どこからが治安維持の対象なのかがわからない。全員の自由を認めれば、今回のように治安の破綻を招く可能性が高まる。そもそも、暴力を行使すると初めから分かっている人たちのデモを許可することが、本当に民主主義なのか。

 興味深いのは、暴動の後、早くも警官を大幅増員すべきだという声が出てきたことだ。ドイツ政府は最近、インターネット規制の強化など、静かに官権を強め始めているようにも見えるので、何だかうまく行き過ぎのような気さえする。
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写真:現代ビジネス
ドイツの真似は禁物

 ちなみに日本の警官の数は、人口当たりではドイツよりずっと少ない。それもあって、先週の本コラムは東京オリンピックの警備が心配だということで締めたが、どうも危機はその前にやってくるようだ。

 2019年のG20サミットの開催地が日本に決まったという。G20は人数が多いので、洞爺湖や伊勢志摩のようなこぢんまりした場所ではできない。日本の都市の規模はハンブルクとは桁が違うので、警備は至難の技だ。完璧を期すのは不可能ではないか。

 日本は島国なので外国の危険分子が列車やバスで到達できないことが一縷の望みだが、だからこそ、空港での入国検査は今すぐにも強化する必要がある。日本を混乱させようとしている勢力がスリーパーとして都会に紛れ込んでしまってからでは、取り返しがつかない。外国人ジャーナリストも、身元をしっかり調べるべきだ。

 いずれにしても、ドイツの真似をして、寛大に民主主義を証明しようなどということは考えないほうがよい。日本は、今のままでじゅうぶん過ぎるほどの民主主義国なのだから。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170714-00052280-gendaibiz-int&;p=3