「菅義偉官房長官など内閣の骨格は維持する考えか」。「政策が結果を出していくには安定感は極めて重要だ。骨格は変えるべきではない」。

9日、訪問先のスウェーデン・ストックホルムのホテルで安倍晋三日本首相と記者の間に行き来した会話だ。

婉曲表現で曖昧に述べたものの、発言の核心は東京都議会議員選挙惨敗以降、更迭説が出ていた菅義偉官房長官の留任だった。菅氏の更迭論が出てきたのは安倍氏の友人が理事長を務める学校法人の大学に獣医学科を新設する過程で、内閣府が関与していたという疑惑のためだった。ことし5月、獣医学科新設が「総理のご意向」という文書によって暴露された時、菅氏は「怪文書みたいな文書」と述べた。しかし、文部科学省の追加調査の結果、該当文書の存在が確認され、菅氏の言葉は説得力を失った。菅氏の発言が問題を大きくし、選挙敗北の原因になったため責任を取るべきだというのが「菅義偉官房長官責任論」だが、安倍氏は結局「菅氏は変えられない」という立場を鮮明にしたのだ。

官房長官は、韓国でいうと大統領秘書室長と青瓦台(チョンワデ、大統領府)広報首席を合わせたような役職だ。首相を守る政治的護衛武士と言える。菅氏は安倍氏が再執権を果たした2012年12月から4年半の間、官房長官を務めている。日本歴史上、最長寿記録をすでに1年前に更新している。

「政治名門家のお坊ちゃん」安倍氏とは違い、菅官房長官は自力で這い上がってきた人物だ。1948年生まれで安倍氏より6歳年上の菅氏は、秋田県の農家出身だ。高校卒業後に集団就職で上京した後、段ボール工場とカレー屋に職を得て苦学して法政大学を卒業した。2006年、安倍氏が自民党総裁になるために決定的な役割を果たし、同年発足した第1次安倍内閣の総務相に起用された。

安倍氏の復帰舞台だった2012年自民党総裁選出馬に対し、安倍氏が迷いを見せると「負けても構わないから、もう一度、安倍の本当の姿を国民に見せよう」と3時間説得したのも菅氏だったという。2014年、安倍氏が奇襲的に衆議院を解散するアイディアを出し、自民党議員が「安倍に悪く思われたらいつでもバッジを失いかねない」という恐怖心を植え付けたのも菅氏だった。

12日、日本経済新聞は安倍氏の政治的危機の中で、菅氏の存在感がさらに増しているとした。菅氏が過去6カ月に一度開いていた無派閥議員との会食を毎月開くことにしたという便りも伝えた。同紙は、「ポスト安倍の本命が不在という事情もあり、菅がいくら打ち消しても首相への意欲を勘繰られる」とし、安倍氏の支え役以上の今後についても言及した。

7/13(木) 9:00配信 
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