さて、ここで推理問題。
松野、義家、萩生田は最初は早期開学に乗り気ではなかった
そんな彼らを動かす強権を持つ者が働きかけたということ
誰でしょうか?

> 文書によると、松野博一文科相からの「ご指示事項」には
「教員確保や施設設備等の設置認可に必要な準備が整わない」として懸念が示され、
「31年4月開学を目指した対応をすべき」と記されている。
松野文科相は早期開学に否定的だったのだ。

「義家副大臣レク概要」と題された文書には、
「平成30年4月開学で早くやれ、と言われても、手続きはちゃんと踏まないといけない」
「やれと言うならやるが、閣内不一致(麻生財務大臣反対)をどうにかしてくれないと文科省が悪者になってしまう」と記されている。
義家副大臣も松野文科相と同じく、早期開学には否定的だった。


 ただし、義家氏と萩生田氏はここから事態を動かしていく。
「10/4義家副大臣レク概要」と題された文書には、義家氏の言葉として
「私が萩生田副長官のところに『ちゃんと調整してくれ』と言いに行く。アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ」
という一文が記されている。また、「10/7萩生田副長官ご発言概要」と題された文書には
「平成30年4月は早い。無理だと思う。要するに、加計学園が誰も文句が言えないような良い提案をできるかどうかだな。
構想をブラッシュアップしないといけない」と萩生田氏が語ったという一文が記されている。

 当初は誰しも否定的だった早期開学だったが、実現に向けて徐々に動き出していく様子が文書から窺える。
そして、昨年11月に国家戦略特区の諮問会議で獣医学部の新設が52年ぶりに認められ、
今年1月に加計学園によって今治市に新設される方針が正式に決定したという流れだ。