田原総一朗
 安倍晋三首相は共謀罪について「一般人には全く関係ない」と強調するが、同じ言いぶりで始まったのが、治安維持法だった。
 当初は、国体を変革する共産主義者が取り締まりの対象とされたが、その後、政府の政策を批判する人、特に第2次大戦が始まってからは、戦争にいささかでも批判的なら、警察は容赦なく逮捕した。
父の知人も戦争を批判して逮捕され、数人が牢獄で亡くなった。深刻な表情で「恐ろしい」と言った父の顔が今でも忘れられない。
 小学5年の夏休みに玉音放送を聞いた。1学期と2学期で先生も新聞もラジオも言うことが全て変わった。これが僕の原点。偉い大人たちがもっともらしい口調で言うことはあまり信用しちゃいけないな、と。ちゃんと自分で確かめないといけないと思うようになった。
 テロを起こす人間は、一般人に紛れ込んでいる。本気でテロリストを見つけるには、一般人のプライバシーにある程度、手を突っ込まざるをえないはずだ。
どれだけプライバシーを損ねる可能性があるのか、その点について全く説明がない。法務大臣の答弁を聞いていると、政府は本気でこの法律を通したいのか、疑問すら感じる。
 一番怖いのは、自民党内に全く議論がないこと。僕らの若い頃は、党内の主流派と反主流派、非主流派による意見のぶつかり合いこそが魅力だった。
それが第2次安倍政権の誕生で消えたように映る。番組に出演した与党議員も、番組前なら政策に批判的な意見を口にするが、表だっては決して発言できないという。みなが安倍首相のイエスマンになっている。
 安倍首相の運がいいな、と思うのは、北朝鮮情勢が緊迫していること。テロ等準備罪という名前も成功している。海上自衛隊の護衛艦が安全保障関連法に基づいて米艦防護をした時も、反対の世論が高まらなかった。
 共謀罪ができれば、報道の現場にも萎縮が広がるだろう。第2次安倍政権後、その空気はすでに広がっていて、有志で共謀罪に対する反対声明を出す際も、事前に声をかけたジャーナリストの多くに「中立の立場を保たないといけないから」と断られた。
 僕からすると、中立なんてありえない。成田空港用地をめぐる三里塚闘争を取材した時、最初は農民の後ろから取材した。そのうち、そこでは危険になって、警察の後ろから取材するようになった。
そうすると、農民の横の武装した活動家の姿がテレビに映し出される。だんだんと世論が農民側から離れていくのを感じた。どこから見るかで事実は変わる。その怖さを、何度も体験している。
 ジャーナリズムの存在意義は波風を立てることだと思っている。いまはその逆。だから、今こそ言論の自由を体をはって守る時。安倍首相にはこう問いたい。
「共謀罪はどこまで国民のプライバシーに入り込むのか」、「自民党の誰もがあなたのたいこ持ちになっている。危険ではないのか」と。