エマ「女同士、離島」彼方「何も起きないはずがなく……」果林「何もないわよ」
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,,(d!.•ヮ•..)
青々とした空にもくもくと湧き立つ入道雲、いつもより少し涼しい夏休みの昼下がり。
同好会の練習も終わって、わたしと果林ちゃんは寮へおしゃべりしながら歩いていました。
「果林ちゃん、『おぼん』ってなに?」
練習が終わって、みんなで集まっているときにせつ菜ちゃんが『おぼんだから金曜日の練習はお休み』って。
知らない言葉だったから、わたしの頭の上にはハテナマークが出たんだけど……ついつい聞くタイミングを逃しちゃった。
「改めて聞かれると……どう説明したらいいのかちょっと難しいわね」
と、あごに手をあててうんうん唸る果林ちゃん。
少し間を開けて、
「お盆っていうのはね、ご先祖様をお祀りする日本の風習なのよ。この時期はみんな実家に帰省したり、お爺ちゃんお婆ちゃんの家に行ったりするのよ」
なるほど、だから練習もお休みになるんだ。
なんて素敵な風習なんだろう。
「果林ちゃんも実家に帰るの?」
「一応ね。親が戻ってこいってうるさくって」
強いられた、みたいな言い方をしつつも顔がほころぶ果林ちゃん。
この顔は間違いなくお母さんやお父さんのことを考えてる顔……だって、わたしも故郷のことを考えるとついつい頬が緩んじゃうから。
……あれ?そういえば、果林ちゃんの実家ってどこにあるんだろう? 「果林ちゃんの実家ってどこにあるの?」
「八丈島っていうところよ」
ハチジョウジマ……シマ、島?
わたしがきょとんとしていると、果林ちゃんはグーグルマップを開いて場所を見せてくれました。
「ほら、ここ」
東京から真南、海の上に赤いピンが立っています。
本当に島なんだ!
画面には、八丈島を紹介する写真として、なぜか風景じゃなくて透き通った青い海とウミガメが。
果林ちゃんの故郷なんだもん、きっと素敵な場所なんだろうな。
「へぇ〜!すごいね、なんだか良さそうなところ!」
「う〜ん……こっちと比べたら何もないど田舎よ?」
日本の人って、地元や故郷のことを尋ねると決まって「何もない」とか「大した場所じゃない」って言うけど、どこまで本気なんだろう?
東京の景色には慣れてきたけど、田舎にはわたしの知らないものがまだまだたくさんありそうで、すごく興味をそそられるんだけど……。
果林ちゃんは謙遜して田舎だなんて言うけど、そんなはずない。
クチコミの評価だって……。
「星が4.3もあるのに?」
「まあ、離島の観光地でもあるしね。でも住んでたら不便で仕方ないわよ?特に一度こっちに出ちゃうと、なおさらね」 やっぱり!観光もできる場所なんだ。
どうやって行くんだろう?どんな景色なんだろう?どんな食べ物があるんだろう?
一度湧いてしまった興味はそう簡単には尽きません。果林ちゃんの故郷となればより一層、気になってしまうのも仕方ありません。
本来はご先祖様に祈るため、家族と一緒に過ごす時間なんだろうけど……。
わたしの中で遠慮と興味の葛藤が起こっています。
もしわたしが「行ってみたい」って言ったら果林ちゃんはどうするかな。
きっと少し迷って、でも結局オッケーしてくれるような気がする。
そんな確信もあるから、果林ちゃんにちょっと甘えてみたいの。
「ねえ果林ちゃん」
「なに?エマ」
「もし果林ちゃんの迷惑にならなかったらだけど……わたしも、行ってみたいな。八丈島」
「えっ!?」
驚きと困惑の混ざった顔、『本気で言ってるの?』と少し物申したげな青い瞳がわたしを覗く。
でも、果林ちゃんがわたしを迷惑に思ってないことは分かる。
「う〜ん……」
わたしの表情を見て、嘘や冗談じゃないことを悟った果林ちゃん。
「そうねぇ……」
「う〜ん……」
果林ちゃんが悩んでる間、わたしたちの会話の空白を、練習中の運動部の子たちのかけ声とセミの鳴き声が埋めてくれています。 「……」
「……」
「別に、いいけど……」
「ふふっ……やった〜♪」
やっぱり、わたしの想像通りの展開。
イメージしていた果林ちゃんと現実の果林ちゃんが全く同じでつい笑っちゃった。
「いいけど、本当に何もないわよ?」
何もないなんて、そんなこと本当にあるのかな?
果林ちゃんはそう言うけど、絶対に素敵な場所だってわたしの勘が教えてくれてる。
「全然大丈夫だよ!」
日本に来てからしばらく経つけど、東京を出て遠くの場所へ行くチャンスなんてなかった。
旅行に行けるだけでも嬉しいのに、親友の果林ちゃんと遠出、それも果林ちゃんの故郷に!
嬉しすぎて小躍りしちゃう。
あと一年もしないうちにわたしはスイスに帰らないといけなくなる。
だから、いろんなことを経験してもっとたくさん思い出が欲しいっていう気持ちもあった。
せっかくの夏休みだもん、練習だけで終わらせちゃうのはもったいないもの。
そのあと、果林ちゃんといろいろ相談して……。
行きは船で、帰りは飛行機の3泊4日の旅程になりました。
果林ちゃんは帰省するときいつもそうしているみたいで、わたしは果林ちゃんのいつもの帰省に同行させてもらう、そんなイメージです。
わたしがお邪魔させてもらうことについて、果林ちゃんのご両親からも許可をいただき、準備万端!
チケットも予約したし、あとは出発の日を待つばかり。
楽しみだな♪
あっ、そうだ。
せっかくだし八丈島について軽く調べてみようかな。
「八丈島……っと」
八丈島のウィキペディアを見てみる。
八丈島は東京の南方の海に位置する伊豆諸島の島のうちの一つ。
伊豆諸島は常春と呼ばれる気候条件にあって、一年を通して暖かくて過ごしやすいみたい。 八丈島は八丈小島と八丈本島があって、人が住んでるのは八丈本島の方。
名物はくさや、明日葉、ハイビスカス、島焼酎……全部わたしの知らないものだ。
「でもどれも食べ物だよね……?んん〜、気になっちゃう……早く行きたいな」
島の方言である八丈方言は大昔の日本語の特徴を残していて、
『本土方言のほとんどで失われた動詞・形容詞の終止形と連体形の区別があり、特に連体形は万葉集に記録されたものと同じく』……。
「……?」
ここは読まなくてもいいかな?
果林ちゃんも方言が出たりするのかな?ちょっと聞いてみたいと思ったり。
あまり調べすぎるのも良くないし、そろそろ八丈島の事前調査はおしまいにして寝ようと思ったとき、
――ピコピコッ。
彼方ちゃんからLINEがきて。
――――――――
――――――
――――
(ζル ˘ ᴗ ˚ル
ゆりかもめに乗って、竹芝へ。
電車を降りて、スマホを改札にかざす。
――ピピッ。
「ふう……」
客船ターミナルは駅を出てすぐのところにある。
東京に出てきてしばらく経つけど、未だに乗換案内のアプリとグーグルマップは欠かせないのよね。
慣れた道でも、なんとなく安心感を求めてスマホに視線を落としてしまう。
実を言うと、地図に集中しすぎて自分が今どこにいるのか分からなくなるのがいつものパターンなんだけど。
そうはいっても、この距離なら迷いようがないわ。
……本当よ?
だって、ほとんど駅直結だもの。 エマと一緒に行こうと思ったんだけど、なぜか断られちゃって。
理由を聞いてみると、なにか用事があるとかないとか。
「……」
蒸し暑い夏の夜に海風が心地いい。
コツコツと靴の音を響かせながらターミナルへと歩く。
エマももうきっと来てるわよね?
現在時刻は21時50分。出港の時間が22時30分だから、少し余裕をもってのこの時間。
エマには遅くとも22時には着いているように伝えたけど。
「……♪」
鼻歌交じりにターミナルへ向かう道を歩いていると、フレアスリーブの白いワンピースに身を包んだいつもの栗毛色のおさげの後ろ姿が見えた。
「……?」
……と、その横にもう一人、見慣れた人影が。
「……彼方?」 えっ、ちょっと待って、どういうこと?
なんで彼方がここにいるの?と疑問に思ったのも束の間――。
「あっ、果林ちゃん!」
エマが私に気付いてそう声を出すと、隣の彼方も振り返って何食わぬ顔で手を振っている。
彼方は白のオーバーサイズのカットソーにデニムのオーバーオール、そして横にはちゃっかりスーツケース。
最初から一緒に八丈島に行くお話でしたよね?と言わんばかりの馴染みっぷり。
駆け寄って二人のもとへ。
「ちょっ、ちょっと彼方?どうしてここにいるのよ」
「おやぁ〜?ダメでしたかい?」
ゆっくりな江戸っ子口調で彼方はそう私に返す。
彼方がこういう変な口調を使うときは決まって調子に乗ってるときなのよね。
船の予約券まで手に持って、行く気満々の人にダメなんて言えるわけもなく――実際、全然ダメじゃないんだけど。
「……はぁ、分かったわ。お父さんにもう1人増えるって連絡するわね」
「やったぜ〜」
誰もいないところを向いてガッツポーズをする彼方……誰にアピールしてるの?
「ふふっ、ごめんね?果林ちゃん。彼方ちゃんに八丈島のことお話したら彼方ちゃんもついていきたいって」
「だったらもっと早く教えてほしいわ……」
「ごめんね、ちょっと果林ちゃんを驚かせたくなっちゃって」 エマと彼方とは知り合って長い訳じゃないけど、今じゃすっかり仲良しの友達で。
そんな二人と島に帰るのは、少し恥ずかしい気持ちもあるけど、それ以上に嬉しさや楽しみに思う気持ちもあったり。
「本当にびっくりしたんだから。次はやめてよね?」
「ごめんなさ〜い」と笑いながらぺこぺこ謝る二人。
二人の顔に反省の色は全く見られないけど……まあ、もういいわ。
ここで怒ったりしても仕方ないしね。
「さ、そろそろ時間だし行きましょ?」
「うん!」
「彼方ちゃん船なんて久々だよ〜。ワクワクしちゃう」
ターミナルを抜けて埠頭に行くと、いつもの船が待ち構えていた。
船は二人よりは慣れてると思うけど、それでも乗船する瞬間は私もワクワクする。
夜だし、どことなく非日常感があって好きなのよね。
それが私が船で島に帰る理由の一つ。
「わぁ〜、おっきい!」
船を見て目を輝かせるエマ。
私たちが乗る船は大型の客船で、船体が真っ黄色に塗装されていてとても目を引くデザインになっている。
観光シーズンなのもあって、毎年この時期は汽船の会社も羽振りがよさそうで。
私みたいに帰省する人から、観光、そして釣りのために来る人まで客層は様々。
離島というだけあって、八丈島はダイビングや釣りといった海のレジャーも盛んなの。
シマアジやカンパチがよく釣れるらしくて、一年を通して釣り人がやってくる。
私たちの前にも釣り竿を持った集団がいて……あら?茶髪の華奢な女の人がいるわね。こういう人も釣りをするなんて、少し意外だわ。
なんて、お客さん達の姿を観察していると、
「ねえねえ果林ちゃん、早く乗ろうよー」
彼方に袖を掴まれた。
「ふふっ。そうね、行きましょ!」
楽しそうな二人を引き連れて乗船の待機列に加わった。
待機列と言ってもその流れはとてもスムーズで、続々とタラップに人が消えていく。
喋る間もなく、私たちも乗船した。 今の時間は22時を少し回ったところ。
これからおよそ10時間半の船旅になる。
客船はいくつかの伊豆諸島の島に寄港したあと、終点の八丈島には朝9時頃に到着する。
船内は綺麗な印象で、廊下はちょっとしたビジネスホテルと比べても遜色ない。
「これからどうするの?」
とエマ。
「まずは部屋の鍵をもらって、荷物を置きに行きましょ」
客船には2等室、特2等室、1等室、特1等室、特1等和室、特等室が用意されている。
2等室は簡易な仕切りがあるだけの雑魚寝だからあまり私たち向きじゃないのよね。
特等室はシティホテルのような造りで、とても快適に過ごせそうだけど2人用の部屋だからこれも今回は却下。
ということで、私たちの泊まるのは特1等室。
「すごいね!彼方ちゃん!」
「すごいね〜!」
小学生みたいな会話をしながら船内のあちこちを見回す二人を背にして、
「ほ〜ら、早く来ないと置いてっちゃうわよ?」 入り組んだ船内の廊下を抜けて――ピッ。
カードキーをドアに挿して解錠する。
「はい、着いたわ」
ドアを開けて二人に入るよう促す。
部屋は左右に二段ベッドがあって、正面の窓際にテーブルと椅子が4脚という内装になっている。
簡素だけど、きちんとシャワーやトイレも付いてるし、1泊するだけなら全然悪くない。
なんとなく、修学旅行や林間学校を思い出すような部屋ね。
「彼方ちゃんここにするね〜」
部屋につくやいなや、左側の二段ベッドの下段を陣取って寝転びだす彼方。
「ちょっと、まだ寝ちゃだめよ?」
「え〜?」
「じゃあわたしはこっちにするね」
と右側の下段に座るエマ。
「空いてるんだから二人とも上の方に行けばいいじゃない……」
本当は私も下の方がいいんだけど、譲らない二人に根負けして渋々上で寝ることに。 荷物を置いて、部屋の椅子に座って少し休憩する。
今のうちにお父さんにも連絡しておかなきゃ。
外海に出ると圏外になっちゃうし。
お父さんの車は確か4人乗りだし、実家の部屋も狭いわけじゃないし、彼方が増えても問題ないはずだけど。
報連相は大切なの。
モデルのお仕事を始めてからこうした予定の変更には昔より気を遣うようになった。
「……」
トークを開いて、人差し指で文字を入力していく。
――お父さん、もう一人増えそうなんだけどいい?
すると、すぐに既読がついて『OK』のスタンプが返ってきた。
「ふふっ」
エマと彼方には内緒だけど、二人に八丈島を楽しんでもらいたいから、島内のいろんなスポットに連れていく予定なの。
最近はお父さんに、二人――といっても相談していたときはエマだけを想定していたんだけど――をどこに連れていくのがいいか、そんな相談をしていたわ。
昔は東京都のくせに人がまばらでおしゃれなお店もない島が退屈で、出たい出たいとばかり思っていたけど、
いざ島を出ると、やっぱり良い場所だったな、なんて時々思うこともあって。
二人が喜びそうな場所やグルメを考えるのは島民の私にとっては朝飯前で……二人の反応が早くも楽しみな自分がいたりする。
とりあえず島寿司はマストね。
そうこうしていると、カンカンと出航を知らせる鐘が鳴り始めた。
そろそろ甲板に出て、ナイトクルージングの醍醐味を堪能しなきゃね。
「二人とも、デッキに出ない?」 部屋を出て甲板につくと、ちょうど船が動き出して、波止場が遠ざかっていくのが見えた。
船は少しずつスピードをあげてお台場の海を進んでいく。
右手を見ても左手を見ても、東京のビル群の明かりが夜空を飾っていて、東京タワーやニジガクの校舎も見える。
前方には青く照らされたレインボーブリッジが。
「わぁっ!」
手すりに捕まって身を乗り出して景色を眺めるエマ。
落ちちゃわないかしら……?と少し危なっかしく思う。
「夜景も綺麗だし涼しくていいねぇ……遥ちゃんに送ってあげよう」
彼方は彼方で夜景を背に自撮りを撮っている。
こっそり近づいて……彼方のカメラにフレームイン。
「おぉっ……エマちゃん、エマちゃん!」
すると、私の意図に気付いた彼方がエマを呼び寄せて、
「なに〜?――あっ!」
エマも画角に収まりに小走りで駆け寄ってくる。
三人で肩を寄せ合って、可愛く撮れるように、そして夜景もきちんと入るように角度を試行錯誤して……。
――パシャリ。
「うん、いい感じだよ。あとで送るね〜?」 しばらくすると、船はレインボーブリッジの真下に差し掛かった。
私たちにとってレインボーブリッジはそんなに珍しい光景でもなんでもないけど、真下から見るのは二人にとっては初なんじゃないかしら?
私はこの橋をくぐるときが、旅行のスタートラインを切るっていうような感じがして好きなの。
「おお〜っ」
「レインボーブリッジの下ってこんな感じなんだ〜!」
橋を見上げる二人の首が一緒に動いてなんだか面白い。
ライトアップされて綺麗な橋だけど、真下から見上げると無骨な鉄の構造やコンクリートが見える。
だから何?っていう感じだけど、私も初めて見たときはテンションが上がったのを覚えてる。
「これも撮っちゃお」
「あっ、彼方ちゃん、わたしにも後でそれ欲しいな〜」
「もちろん、送るね?」
その後も夜景を見ながら思い思いの時間を過ごした。
お台場を出発してしばらく経つと、街の灯りも遠くに消えて潮風に当てられた体が肌寒さを感じ始める。
私たちと同じように甲板に出て夜景を見ていた人が食堂や部屋に引き返し始めた頃……
「私たちもそろそろ部屋に戻らない?」
「うん、そうだねー」 部屋に戻る前に、船内の自販機コーナーで道草。
お茶やジュース、お酒、スナックや菓子パンの軽食が売られている。
とはいえ、種類はそこまで。
特にお酒はビールばっかりでチューハイとかほろよいとかその類のものは皆無で……もちろん飲まないわよ?
ただちょっと……オヤジ臭いって……言ったら失礼になっちゃうかしら?
アメニティとして部屋にお水が用意されているんだけど、それだけでは心もとないし私も飲み物を買っておくことにする。
「何にしようかしら」
少し迷って、烏龍茶のボタンを押す。
烏龍茶って脂肪の吸収を抑えたり、むくみを解消する効果があるって聞くし……いつでも体型には注意を欠かさないようにしたい。
「わたしは……ちょっとお腹空いちゃったし」
と、誰かに弁明するように独り言を呟くのはエマ。
菓子パンを買ったみたい。
「じゃあ私も何か買っちゃおうかな」
エマにつられて彼方もスナックに手が伸びる。
……二人とも、こんな時間に食べて大丈夫なのかしら? 私たちが部屋に戻ったのは日付が変わる少し前。
シャワーはエマと彼方が先に入って、私が一番最後。
シャワールームに入ると、むわっとした湿気とシャンプーやボディーソープの良い香りに包まれた。
ゆったり入るほどくつろげる空間でもないし、体の汚れを落とす程度にさくさくっと済ませてしまう。
「……♪」
ドライヤーで髪を乾かして、歯磨きを済ませて部屋に戻ると……
「すや〜……」
彼方はすでに夢の中。
パジャマ姿のエマは少し困ったように私を見つめて笑った。
「彼方ちゃんもう寝ちゃったの……。お菓子も食べてないのに」
「ふふっ……まあいいじゃない。船の揺れって眠たくなっちゃうし。そういえばエマ、船酔いとかは大丈夫?」
「大丈夫、酔い止め飲んできたから」
「用意周到ね」
冷蔵庫で冷やしておいた烏龍茶を取り出して口に含む。
火照った体をほどよく冷ましてくれる。
「でしょ?……あっ、そういえばこれ、面白いね」 昔フェリーで超満員、超キャンセル待ちで結果的に2等の雑魚寝すら出来ず
2階に上がる階段の踊り場に陣取って寝たことあったな エマが指差す方向に目を向けると、壁にかけられたモニターが。
モニターには日本地図と船の位置情報が表示されている。
北緯35度、東経139度……客船は鎌倉を過ぎ、横須賀を過ぎ、もうしばらくで房総半島を抜けて外海に出ようかというところだった。
「でも八丈島はまだまだ先だね」
日本地図から数センチ離れて、ポツンと表示されている私の故郷。
「そうね。でも眠って朝になればすぐよ?」
「えへへ、待ち遠しいなぁ」
そう言うエマは本当に待ち遠しそうに目を細める。
もう少しエマとお喋りしたいんだけど……そろそろ寝させた方がいいかもしれない。
というのも、明日の朝5時には三宅島に、6時には御蔵島に到着する。その騒ぎで船旅に慣れてない人だと目が覚めてしまうかもしれないから。
せっかく島内のスポットを散策するのに、眠くなったら本末転倒でしょ?
「エマ、そろそろ寝たら?」
私がそう促すと、少し眠たそうな顔のエマはゆっくり私の方を向いて、
「……うん、そうだね。歯磨きしてもう寝ることにするよ。果林ちゃんは?」
「エマが寝るなら私も寝るわ」
「そっか、じゃあ急ぐね」
エマはすくりと立ち上がって洗面台の方へ歩いていった。 二段ベッドの梯子を上がって横になる。
船旅というと眠れるのかどうか気になる人もいるでしょうけど、
船の揺れとエンジンの音が意外と心地よくて、目を閉じても変な考え事が頭に思い浮かんでこなくて、安眠できるのよ?
その分早く起こされがちなのは……まあ、置いておいて。
歯磨きを終えたエマは、ベッドの上で改めて化粧水や美容液で顔のケアをしている。
「……よし、ごめんね果林ちゃん。お待たせ」
「全然いいわよ。じゃあ、電気消してくれる?」
「うん」
カチリと電気が消え、非常灯だけが足元をほのかに照らす。
「じゃあおやすみ、果林ちゃん」
「おやすみなさい、エマ」
二人の寝息を聞きながら目を閉じると、あっという間に眠りに落ちてしまった。
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――――
ノレcイ´=ω=)
――ゴンッ。
「ん、んぅ……」
あれ?彼方ちゃん、遥ちゃんに美味しいお料理をたくさん食べさせてあげてたのに……。
甘くて楽しい夢は、大きな振動で突然「。」を打たれて。
そうだ、今は果林ちゃんとエマちゃんと一緒なんだった。
今、何時だろう?とスマホを見ると朝の6時。
『――次の寄港地はとなりますのは、終点八丈島で――』
部屋の外からは足音とアナウンスが聞こえていて、中継地点の島に到着したことが分かった。
……あれ?
昨日、エマちゃんと一緒に果林ちゃんがお風呂から上がるのを待って、それで……寝ちゃった?
「よいしょ、っと」
まだ眠っていたいと駄々をこねる体を無理やり動かして、歯磨きと洗顔をしに向かう。 朝のあれこれを済ませた私は、すっかり目がさめて外の空気を浴びたくなった。
「おはよ〜……二人とも」
二人を起こさないようにこっそりと朝の挨拶をして、部屋の外へ出る。
デッキへ出ると、澄んだ空気とどこまでも続く青くうねった海がお出迎えをしてくれた。
「おぉ〜、すごい」
さっきまで停留していたであろう島はもうすっかり遠くの方に消えそうになっていて。
清々しい景色にますますしゃきっとしてくる。
つい深呼吸したくなる。
「すぅ〜、はぁ〜……」
椅子に座って一休みしていると、またアナウンスが。
『八丈島に向けまして航行中でございます。入港地は底土港を予定しております――』
底土港。
底土港って、そこどこー?
愛ちゃんが言いそうなセリフNo.1を私の中で受賞だよ。
でも私が果林ちゃんに言ったらはたかれちゃうかも。 ――彼方ちゃんの物語は数日前に遡る。
ある日の食卓、遥ちゃんが不意に、
「今度のお盆休みなんだけどね、東雲のお友達の実家にお泊まりさせてもらうことになったの」
なんて。
こんなこと、前もあったような気がするなぁ。
「いいなぁ、どこなの?」
「秋田に行ってね、2日間お世話になるんだ〜!」
秋田!?
秋田っていうと、なんだい、あの東北の秋田かい?
……いや、それ以外にないだろうけど。
彼方ちゃんは今回もまた、遥ちゃんに置いていかれることになったのです。
部屋に戻り、椅子に座って考える。
「……ふむ」
遥ちゃんと久しぶりにどこかにでかけて遊ぼうかと思っていた私の計画は儚くも潰え、手持ち無沙汰なお盆休みになることが確定してしまいました。
同好会のみんなもそれぞれ実家に帰省したり用事があるだろうし、声をかけづらいなぁ。
う〜ん、誰かいるかな。
「あっ……エマちゃんなら」
エマちゃんの故郷はスイス。
スイスにはお盆休みの概念もないだろうから、もしかして空いてるかも?
そう思った彼方ちゃんはエマちゃんにお盆の間に遊べないか打診をしたのです。 ところが、
『ごめんね〜、わたし、お盆は果林ちゃんのご実家に行くんだ』
なんと。
エマちゃんと果林ちゃんはもうそんな関係に?
……というのは冗談で、エマちゃんのお話を聞いてみると、思い出づくりの旅行も兼ねてのことらしい。
「っていうか、果林ちゃんって八丈島出身だったんだ」
いかにも洗練された都会っぽい印象のある果林ちゃんからはかけ離れたワード。
いや、あの実はぐうたらで道に迷いやすい果林ちゃんのおおらかさから連想すると、意外とマッチしてる?
果林ちゃんは八丈島出身で、エマちゃんは二人で八丈島で遊ぶ……予期しない新情報に呆気にとられていると、
『彼方ちゃんも来る?きっと果林ちゃんならオッケーしてくれるよb』
次の瞬間、彼方ちゃんはチケットの予約ページを見ていました。
あ……ありのまま、今、起こった事を話すぜ!
『おれは エマちゃんとLINEしていると
思ったら いつのまにかチケットを予約していた』
な……何を言っているのかわからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった……(以下略) よくよく考えてみたら、同好会の三年生で改まって遊んだりする機会なんて意外となくて。
エマちゃんに誘われて、ものすごく心が踊った。
……遥ちゃんと遊ぶのも良いけど、いやそれ以上に、エマちゃんと果林ちゃんと一緒に八丈島は……。
「魅力的すぎるよ……」
ごめんね、遥ちゃん。
浮気症なお姉ちゃんを許しておくれ……!
そして、去る昨日、エマちゃんと竹芝客船ターミナルで落ち合ったのです。
果林ちゃんがやってくるまで、何気ない会話をエマちゃんと積み重ねていました。
「いやぁ、それにしても果林ちゃんも寛大だよねぇ。飛び込み参加の私も連れてってくれるなんて」
「そうだね〜……あっ、果林ちゃんにはお話したの?」
「えっ?エマちゃんが話を通しておいてくれたんじゃないの?」
「えっ?」
二人で顔を見合わせます。
おいおいおい、ちょっと待ってくれよ。
「彼方ちゃん、果林ちゃんに言ってなかったの……!?」
……突然の参加を許してくれた朝香果林大先輩には本当に頭が上がりません。
果林ちゃんをちょっとからかいたくて、エマちゃんと口裏を合わせてそんな素振りは隠したけどね。
恩返しはまた別の機会にたっぷりさせてもらうよ。 回想はここまで。
時刻は7時を回って、腹の虫が食糧を求めてぐうぐうと騒ぎ出した頃、部屋に戻ると二人ももう起きていた。
「あっ、おはよう彼方ちゃん!」
「おはよう、彼方。どこ行ってたの?」
「おはよー。ちょっとデッキの方にね。海がすごい綺麗だったよー」
「そうだよね、青くてとっても綺麗で」
二人は朝ごはんを食べながら部屋の窓越しに海を眺めていたみたい。
果林ちゃんの隣に座って、私も朝ごはんを食べることに。
「……それ、朝ごはんにするつもり?」
「む〜、だってねぇ……食べそびれちゃったから」
私は昨日寝落ちして食べそびれてしまったスナックを朝食代わりにお腹を満たすことにした。
モニターの位置情報を見ると、私たちは日本近海の黒潮の真上にいて、少し不思議な気持ちになる。
文明の利器ってすごいなぁと、朝には似つかわしくない食感と味を噛み締めながら人類の歴史に思いを馳せる彼方ちゃん。
朝食を済ませた私たちは下船に向けて、出した着替えや荷物を整理してスーツケースに荷詰めする作業に取り掛かった。
さらにそれが終わると、それぞれ髪をセットしたりお化粧をしたり……到着までそんなことをして時間を潰した。 しばらくして、窓には二つの島が映るように。
一つは小さくぽつんと海の上に浮かび、もう一つは大きくて、ラクダの背中みたいに二つの曲線を描いている。
「わぁ〜っ、あれが八丈島だよね……!」
窓に張り付いて楽しそうに言うエマちゃん。
「そう。隣の小さいのが八丈小島っていう無人島。で、あれが八丈本島よ」
へえ、あっちは無人島なんだ。
「ねえ、そろそろ出ない?わたし待ちきれなくって!」
窓越しの景色にしびれを切らしたエマちゃんが提案する。
私も果林ちゃんもノータイムで賛成。
潮風でセットした髪が乱れないようにキャップを被って、スーツケースに手をかける。
「二人とも、忘れ物はない?」
「わたしは大丈夫!」
「私も大丈夫だよ〜、果林ちゃんも大丈夫?」
「ええ、いつでもいいわよ」
「じゃあ行こっ!」
ドアに手をかけて飛び出したのはエマちゃん。
嬉しそうな後ろ姿にこっちまで嬉しくなっちゃうよ。
果林ちゃんもそんな感じだね。 波止場では船員の人たちが船を係留するためにせわしなく動いているのが見える。
あの鉄の杭って、なんて言うんだっけ?
エマちゃんと二人で島の雄大な山の景色に見惚れていると……。
『――本日はご乗船誠にありがとうございました。またのご利用を心より――』
「さ、着いたわ。行きましょ?」
「うんっ!」
他のお客さんの列に混じって、タラップの上をカタンコトンと歩く。
そして、陸地の、揺れてない地面に足がついた。
「うわっ……なんだが久々の陸で変な感じだよ……」
陸地なのにまだ揺れてるような……そんな感覚。
「陸酔いかしら?大丈夫?」
果林ちゃんは全く大丈夫なご様子……流石島民、強し。
そして、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、三年組、八丈島、上陸。
岸辺で少しだけ休んだあと、私たちは駐車場へ向かった。
道中、南国のヤシの木みたいな木(多分ヤシの木だよね?)が道に沿って植わってて……同じ日本、同じ東京なのにまるで他の国に来たみたいな。
「……ここが果林ちゃんのアナザースカイかぁ」
「バカにしてるでしょ、彼方」
「してないしてない!数年後には本当に出るかもよ〜?先に練習しちゃう?」
「もう!エマもなんとか言ってやってよ」
「えぇ〜?」
三人で横になって歩きながら笑い合う。私たちの八丈島の旅はそんな幕開けだった。
駐車場には果林ちゃんのお父さんがいて、私たちを迎えにきてくれてるらしい。 Wikipediaの八丈小島とマレー糸状虫症の記事はすごいぞ
一度読んでどうぞ 今日はここまでで
連休中の暇潰しにのんびりやっていきます
もしよければお付き合いください >>19
茶髪の華奢な女の人…
その人なっ釣れとか釣りいったーとか言ったりしません? ノコギリクワガタとるんけ?
八丈島はノコギリクワガタの顎の形が面白い 船旅における非日常のワクワクを思い出した
文章上手いなぁ 八丈島で果林彼方凛がヤギと死闘を繰り広げるSSなら見たことある >>64
あ、それは読んだわ
ちょっとカオス系だったから頭から消してた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています