『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 では、私とはいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだけだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく