>>513
『I AM THAT 私は在る』
【29 生きることが生命の唯一の目的だ】(つづき)

 質問者 もし夢と夢からの逃避がともに想像なら、それからの出口はどこに
 あるのでしょうか?
 マハラジ
 出口の必要はないのだ!
 出口もまた夢の一部分だということがわからないのだろうか?
 あなたがするべきことは、夢を夢として見ることなのだ。
 質問者 すべてを夢として忘れ去るという訓練をはじめることが、私をどこ
 に導くのでしょうか?
 マハラジ
 どこであろうと、それが導くところ、それは夢だ。
 夢を超えていこうとする考えそのものが幻想なのだ。
 なぜどこかへ行かなければならないのか?
 あなたはただ世界という夢を見ているのだ、ということを悟りなさい。
 そして、出口を探すのはやめなさい。
 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、あなたが夢のなかのある部分が好きで、別の部分が嫌いだというこ
 とだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、為(な)すべきことはすべて為し終えたの
 だ。
 質問者 夢は考えることによって起こるのでしょうか?
 マハラジ
 すべては観念の戯(たわむれ)れだ。
 観念化から自由になった状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)のなかでは、
 何も知覚されはしない。
 その根本となる観念が「私は在る」だ。
 それが純粋意識の状態を打ち破る。
 すると無数の感覚、知覚、感情、観念がその後に続いていく。
 それらの全体性が神であり、その世界なのだ。
 「私は在る」は観照者として残る。
 しかし、すべては神の意志で起こるのだ。
 質問者 私の意志で、ではないのでしょうか?
 マハラジ
 またしても、あなたはあなた自身を神と観照者に分割した。
 それらはひとつなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)