>>497
『I AM THAT 私は在る』
【29 生きることが生命の唯一の目的だ】(つづき)

 質問者 もしすべてが自然な過程なら、なぜ努力が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 努力でさえ自然の一部なのだ。
 無知が頑固で手に負えないものになると、性格はゆがみ、努力とそれにとも
 なう痛みは避けられないものとなる。
 自然への完全な服従のなかに努力はない。
 霊的生命の種子は、約束されたときが来るまで、沈黙と暗黒のなかで成長す
 るのだ。
 質問者 私たちは何人かの偉大な人物に出会いますが、年老いてから、その
 人たちは子供っぽく、狭量で、口論好きで、意地悪になってしまい
 ます。なぜ彼らはそれほどまでに堕落してしまうのでしょう?
 マハラジ
 彼らは身体を完全に抑制した完全なヨーギではなかったのだ。
 あるいは彼らは自然に衰えていくことから身を守ろうとする気にならなかっ
 たのかもしれない。
 すべての要因を理解せずに結論を引き出すべきではない。
 その上、特に人が優れているか、劣っているかを裁いてはならない。
 若さとは智慧(ジニャーナ)よりも活力(プラーナ)の問題だ。
 質問者 人は年老いていくかもしれませんが、なぜ注意力や分別まで失って
 しまうのでしょう?
 マハラジ
 意識と無意識は、身体のなかにあるかぎり脳の状態にも依存するのだ。
 しかし、自己はそのどちらも超えている。
 脳も、マインドも超えている。
 道具の欠陥が使用する人を反映しているわけではない。
 質問者 賢者はけっして不体裁なことはせず、つねに手本となるような行為
 をすると聞いています。
 マハラジ
 誰が手本を示しただろうか?
 なぜ解脱した人が社会の慣例にしたがう必要があるのだろうか?
 予測可能な人となった瞬間、彼はもはや自由ではないのだ。
 状況の必要性にしたがい、その瞬間の必要性を満たすことのできる自由があ
 るということのなかに彼の自由がある。
 好きなことをする自由とは実は束縛であり、正しいこと、するべきことをす
 る自由のあることが真の自由だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)