>>436
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

(質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
 マハラジ
 それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。)

 質問者 石の自由ですか?
 マハラジ
 そう、石の自由、そしてより以上のものがそこにはある。
 限りなき自由と意識だ。
 質問者 体験を積むには人格が要求されるのでしょうか?
 マハラジ
 今のあなたのままでは、人格はただの障害にすぎない。
 身体との自己同一化は幼児にとってはいいかもしれないが、真の
 成長は身体との自己同一化を離れることにあるのだ。
 通常、人は人生の初期に身体的な欲望から成長し、脱却するもの
 だ。
 快楽を否定しないボーギでさえも、ひとたび味わったものを熱望
 したりはしない。
 習慣と欲望の反復はヨーギとボーギをともに挫折させる。
 質問者 なぜあなたは個人(ヴィヤクティ)を重要ではないとし
 て退けつづけるのでしょうか? 人格は私たちの存在に
 とって根本的な事実です。それは人生の舞台全体を占め
 るものです。
 マハラジ
 人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
 だの習慣だということを見抜かないかぎり、あなたは自分自身を、
 生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめ
 られる個人だと考えるだろう。
 あなた自身に尋ねなさい。
 「本当にそれはそうなのか?」「私は誰なのか?」「これらすべ
 ての背後とその彼方には何があるのか?」と。
 そうすれば、すぐに自分の過ちを見いだすだろう。
 見られることによって消え去るということが過ちの本性なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)