>>412
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】

 質問者 あなたは喜んだり悲しんだりすることがありますか? 喜びや悲し
 みを知っていますか?
 マハラジ
 それらをあなたの好きなように呼ぶがいい。
 私にとってそれらはマインドの状態にすぎない。
 そして私はマインドではないのだ。
 質問者 愛はマインドの状態なのでしょうか?
 マハラジ
 それもまた、あなたが愛という言葉で何を意味しているかによる。
 欲望はもちろん、マインドの状態だ。
 だが、統合の実現はマインドを超えたものだ。
 私にとっては、それ自体で存在するものは何もない。
 すべてが真我であり、すべては私自身なのだ。
 私自身を皆のなかに見、皆のなかに私自身を見ることは確かに愛だと言える
 だろう。
 質問者 私が快く思う何かを見たとき、それを欲しくなります。誰がそれを
 欲しているのでしょうか? 
自我でしょうか、マインドでしょうか?
 マハラジ
 この質問は誤った形で問われている。
 そこに、「誰が」はいない。
 そこにあるのは欲望、恐れ、怒りであり、マインドが、これは私だ、これは
 私のものだと言うのだ。
 「私」あるいは「私のもの」と呼べるようなものは存在しない。
 欲望はマインドの状態であり、マインドによって知覚され、名づけられたも
 のだ。
 マインドが知覚せず、名づけなければ、欲望がどこにあるというのだろう?
 質問者 しかし、名づけることなしに知覚するというようなことがあるでし
 ょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 名づけるということが、マインドを超えることはありえない。
 一方、知覚は意識そのものなのだ。
 質問者 誰かが死ぬとき、正確には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 何も起こりはしない。
 何かが無となるのだ。
 無が存在していた。
 そして無が残るのだ。
 質問者 それでも、生と死の間には違いがあるはずです。あなたは生きてい
 るものを死んでおり、死んだものを生きていると言います。
 マハラジ
 なぜあなたはひとりが死ぬことに苦悩し、毎日何百万人もの人が死んでいく
 ことは気にもかけないのだろうか?
 宇宙全体が毎瞬、内破し、爆発しているのだ。
 それらのために私が泣かなければならないのかね?
 私にとってたったひとつ明白なことは、存在するすべて、生きるもの、動く
 ものすべては、意識のなかにその存在をもつということだ。
 そして、私は意識のなかに、そしてその彼方に在る。
 私は観照者としてはそのなかに在り、実在としてはその彼方に在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)