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『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 神は個人ではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがあなた自身を個人と考えるかぎり、神も個人だ。
 あなたがすべてであるとき、あなたは神をすべてとして見る。
 質問者 私の態度を変えることで、事実を変えることができるの
 でしょうか?
 マハラジ
 態度が事実なのだ。
 怒りを例にとってみなさい。
 私は激怒して、部屋のなかを歩きまわっているかもしれない。
 同時に、私は私が叡知と愛の中心、純粋な存在の原子であること
 を知っている。
 すべては静まり、マインドは沈黙へと溶けていく。
 質問者 まだ、あなたはときどき怒るのですね。
 マハラジ
 誰に対して、何のために私が怒らなければならないのか?
 怒りはやってきて、自己想起とともに消え去った。
 それはみな、ただのグナ(宇宙的特質)の戯れにすぎない。
 それらと自己同一化すれば、私はそれらの奴隷となる。
 距離をおいてあれば、私がそれらの主人なのだ。
 質問者 あなたは自分の態度によって世界に影響を与えることが
 できますか? あなたが世界から分離し、距離を置くこ
 とによって、世界を助けるという望みはみな失われてし
 まうのです。
 マハラジ
 そうではない。
 すべては私自身なのだ。
 私が自分を助けられないというのかね?
 私は特定の誰かと自己同一化しない。
 私は特定の個人でもあり、宇宙全体でもあるからだ。
 質問者 では、あなたは特定の個人である私を助けられますか?
 マハラジ
 だが、私はいつもあなたを助けているのだ、内面から。
 私自身とあなた自身はひとつなのだ。。
 私は知っているが、あなたは知らない。
 違いはそれだけだ。
 そしてその違いは、長くは続かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)