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『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられる
 のでしょうか?
 マハラジ
 無としてあることで、私はすべてなのだ。
 すべては私であり、すべては私のものだ。
 私の身体が、動かそうと考えるだけで動くように、私が思うだけでものごと
 は起こる。
 言っておくが、私は何もするわけではない。
 ただものごとが起こるのを見るだけだ。
 質問者 あなたが起こるように望んでからものごとが起こるのでしょうか?
 それともそれらが起こってから、あなたはそう起こることを望まれ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 それは両方だ。
 私は受け容れ、そして受け容れられるのだ。
 私がすべてであり、すべては私なのだ。
 世界であるゆえに、私は世界を恐れない。
 すべてとしてありながら、何を恐れるというのだろう?
 水は水を恐れず、火は火を恐れない。
 私は恐れない、なぜなら私は無であり、恐れや危険を体験しようがないから
 だ。
 私には名前も形もない。
 名前と形に固執することが恐れを生むのだ。
 私には執着がない。
 私は無だ。
 そして無は無を恐れない。
 反対に、すべてが無を恐れている。
 なぜなら、何かが無に触れたとき、それは無となるからだ。
 底なしの井戸のように、何であれそこに落ちたものは消え去るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)