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『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】

 質問者 あるマハートマ(真我実現した人)たちが、世界は偶然の産物でも
 神の戯れでもなく、宇宙全体に意識を発展させ、覚醒をもたらそう
 とする壮大な計画の結果と表現なのだと主張しています。無生命か
 ら生命へ、無意識から意識へ、無知から優れた知性へ、迷妄から光
 明へ。これこそ世界が絶え間なく、容赦なく進んでいる方向なので
 す。もちろん、宇宙は活動停止するような休息の瞬間もあれば、暗
 黒と見える時期もあるでしょう。しかし、休息は終わりを告げ、意
 識への働きかけは再開されます。私たちの目には、世界は涙の谷間
 として映ります。あらゆる手段で、できるかぎり早く逃げだすべき
 場所なのです。覚醒した人にとって、世界は善であり、充分な目的
 を果たしています。彼らは、世界が精神によって構築されたもので
 あり、究極的にはすべてがひとつであることを否定していません。
 しかし、その構造には意味があり、最上の望ましい目的に仕えてい
 ると言うのです。私たちの言う神の意志とは、遊び好きな神の気ま
 ぐれではなく、愛と叡智と力の中で成長し、生命と意識の無限の可
 能性を実現するために絶対必要な表現なのです。
 庭師がごく小さな種を輝かしい完全性へと開花させるように、神も
 彼の庭で、ほかの生き物たちとともに、神を知り、愛し、彼と共に
 働く超人へと人間を育てるのです。
 神が休息(プララーヤ)をとるとき、成長が未完のものは無意識と
 なり、完成したものは、すべての形態と意識の内容を超え、宇宙的
 沈黙のなかで気づきつづけます。新たな宇宙が出現するとき、眠っ
 ていたものたちは目覚め、彼らの仕事をはじめます。より進歩した
 ものたちは最初に目覚め、後進のものたちのために土台を準備しま
 す。このようにして未来の成長にふさわしい行動のパターンと形態
 を見いだすのです。
 話の内容はこのようなものです。あなたの教えとの違いは、あなた
 は世界を避けるべき、価値のないものだと主張するのに対して、彼
 らは世界を忌み嫌うことは必要な通るべき段階ではあるが、一過性
 のものであり、じきに普遍の愛と確固たる意志で神とともに働くこ
 とになる、ということです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
今回は、長い質問だけであります。