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『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 どうやってあなたはそれに到達したのでしょうか?
 マハラジ
 私のグル(師)を信頼することによってだ。
 彼は私に、「あなただけが存在する」と言った。
 そして私は疑わなかったのだ。
 私はただ、あるときそれが絶対の真理だと悟るまで頭を悩ませていただけだ。
 質問者 繰り返しによって確信したのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現によってだ。
 私は意識であり、絶対的に幸福だと見いだしたのだ。
 ただ、私は存在―意識―至福が身体と身体の世界に属すると考えていたのが
 間違えだったのだ。
 質問者 あなたは学問の人ではありません。あなたは多くを読まなかったで
 しょうし、読み、また聞いたことは、おそらく矛盾しなかったので
 しょう。私はかなりの教育を受け、かなりの量の本を読み、本と教
 師たちの間に絶望的な矛盾を見たのです。ですから何であれ初めて
 読み、あるいは聞いたことは、疑いを通して受け取ってしまうので
 す。「それはそうかも知れない、そうではないかも知れない」が、
 私の最初の反応です。何が真実で、何がそうでないかを決定できな
 いために、私は無味乾燥な、教養ぶった疑いとともに取り残されて
 しまったのです。ヨーガにおいて猜疑(さいぎ)心は途方もなく不
 利な条件です。
 マハラジ
 そう聞けて私は嬉しい。
 だが私のグルも、私にすべてを完全に疑うよう教えたのだ。
 彼は言った、「あなたの自己を除いたすべての存在を否定しなさい」と。
 欲望を通してあなたは快楽と苦痛の世界をつくり出したのだ。
 質問者 それは苦痛をともなわなければならないものなのでしょうか?
 マハラジ
 ほかにどうありえよう?
 快楽の本性自体がかぎられた、はかないものなのだ。
 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
 そしてそれは欲求不満と絶望のなかで終わるのだ。
 苦痛は快楽の背景であり、快楽の追求はすべて苦痛のなかに生まれ、苦痛の
 なかに終わるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)