X



鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しを整える。
垢版 |
2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ
0380名無しを整える。
垢版 |
2018/04/19(木) 07:23:59.51ID:o7ru28h8
>>377
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 ひとつの岩を想像してください。岩のなかに穴が、穴のなかにはカ
 エルがいます。カエルはその生を心迷わせず、邪魔されずに、完全
 な至福のうちにすごします。もしカエルが外の世界についての話を
 聞いたならば、彼は言うでしょう、「そんなものは存在しない。私
 の世界は平和と至福だ。あなたの世界は言葉で構築された、単なる
 まぼろしだ。それは存在してなどいない」と。あなたにとっても同
 じことです。あなたが私たちの世界は単に存在していないと言うと
 き、もはや討論するための共通の土台がありません。ほかの例をと
 れば、私が医者へ行き、腹痛を伝えたとします。彼は私を診察し、
「あなたはだいじょうぶだ」と言います。「でも、痛いのですよ」
 と私は言うでしょう。彼は、「あなたの痛みは精神的なものだ」と
 主張します。私は言います。「痛みが精神的だと知ることは何の助
 けにもなりません。あなたは医者なのです。痛みを治してください。
 でなければあなたは私の医者ではありません」と。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 質問者 あなたは鉄道を敷きました。しかし橋が欠けているため、列車が通
 れません。橋を架けてください。
 マハラジ
 橋の必要はない。
 質問者 あなたの世界と私の世界の間に、何らかのつながりが必要なはずで
 す。
 マハラジ
 実在の世界と想像上の世界の間につながりは必要ない。
 それはありえないからだ。
 質問者 それでは、どうしたらよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界を調べてみなさい。
 頭を使って批判的に調べなさい。
 それに関するあらゆる概念を詳細にわたって調べなさい。
 そうすれば、うまくいくだろう。
(´・(ェ)・`)つ
0381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/19(木) 22:48:45.67ID:FPWRLGiB
>>379 観念に囚われるのに気づく瞬間があるのならば自我に気づくことにも近いといえるのじゃ。
 自我も観念であるからのう。
 
 世界を調べるとは観察する事なのじゃ。
 全てを観察すれば自ずから病は治されるものじゃ。
 無意味な観念に囚われていたと気づくからのう。
0382名無しを整える。
垢版 |
2018/04/20(金) 07:42:52.01ID:tnQGgucC
>>380
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 調査するには、世界は大きすぎます。私の知っていることといえば、
 私は存在し、世界も存在しています。世界は私を混乱させ、私は世
 界を混乱させるのです。
 マハラジ
 私の体験ではすべてが至福だ。
 しかし、至福への欲望は苦痛を生みだす。
 それゆえ、至福が苦痛の種子となる。
 この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。
 喜びへの欲望をあきらめなさい。
 そうすれば、あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。
 質問者 なぜ喜びが苦痛の種子となるのでしょう?
 マハラジ
 なぜなら、喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。
 罪の結果は苦しみと死なのだ。
 質問者 あなたは、世界はただの苦難であり、何の役にも立たないと言われ
 ます。私はそうではないと感じています。神はそれほど愚かではあ
 りません。私には、世界は可能性を現実にし、物質に生命を与え、
 無意識を完全な覚醒に導く偉大な企(くわだ)てとして映ります。
 至高なるものを実現するには、私たちには対極の体験が必要です。
 寺院を建てるために、石や漆喰(しっくい)、木や鉄、草やタイル
 などが必要なように、生と死を克服した聖者となるためにはあらゆ
 る体験が必要です。女性が市場へ行き、料理のあらゆる材料を買い、
 料理し、主人に供するように、私たちも人生の火によって私たちを
 料理し、神に捧げるのです。
 マハラジ
 もしあなたがそう考えるのなら、そうしなさい。
 神に捧げるがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0383鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/20(金) 23:03:25.52ID:PmrASMfB
この一切皆苦の娑婆世界では快楽への執着は常に苦に変わるのじゃ。
喜びも快楽もただ孤独や不安やおそれを一時忘れさせてくれるだけのものじゃ。
それに執着すれば又苦が訪れるのじゃ。
苦の上に苦を重ねるのが快楽への執着なのじゃ。 
0384名無しを整える。
垢版 |
2018/04/20(金) 23:09:38.75ID:tnQGgucC
>>383
常に今に意識を置こうとすることは、基本的に誰にでもできることでありますね。
執着の無意味さを知れば、意識的にあろうとして実践することは、誰にでもできるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0385名無しを整える。
垢版 |
2018/04/21(土) 10:03:44.48ID:PGcwcGbs
>>382
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき


 質問者 子どもは学校で、後で役に立たないことも多く学ぶでしょうが、学
 ぶ間に成長していきます。同じように私たちも無数の経験を経て、
 後にすべて忘れてしまうでしょう。しかし私たちはその間もつねに
 成長していきます。そして、ジニャーニとは実在における天才にほ
 かなりません! 私のこの世界に偶然はありえません。それには意
 味があり、その背後には計画があるはずです。私の神は計画をもっ
 ているのです。
 マハラジ
 もし世界が偽りならば、その計画も、その創造者もまた偽りなのだ。
 質問者 またしてもあなたは世界を否定します。私たちの間に橋はないので
 す。
 マハラジ
 橋の必要はないのだ。
 あなたが生まれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬことはない。
 だが、あなたがある特定の日と場所で生まれ、この特定の身体をあなた自身
 のものと信じているところに過ちがあるのだ。
 質問者 世界は在り、私は存在します。これらは事実です。
 マハラジ
 なぜあなたは自分自身の面倒を見る前に、世界について心配するのだろう?
 あなたは世界を救いたい、違うかね?
 あなた自身を救う前に世界が救えるだろうか?
 そして救われるとはどういう意味だろうか?
 何から救われるのか?
 幻想からだ。
 救済とは、ものごとをあるがままに見ることだ。
 私には、本当に自分自身が誰とも何とも関係しているとは思えない。
 自分自身とさえも関係していない。
 その自分自身が何であろうとも。
 私は定義されることのないまま永遠にとどまる。
 私は内側に、そして彼方に存在する――親密で、しかも到達不可能なものな
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0386鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/21(土) 22:45:01.15ID:+BlQjNCx
>>384 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


人が自ら世界を創っているのに自分を観ないで世界を変えようとしても不可能なのじゃ。
自分が変らなければ世界は変らないのじゃ。
自分が変れば世界も変るのじゃ。
0387名無しを整える。
垢版 |
2018/04/22(日) 08:42:08.67ID:mWXmRL3a
>>385
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 どうやってあなたはそれに到達したのでしょうか?
 マハラジ
 私のグル(師)を信頼することによってだ。
 彼は私に、「あなただけが存在する」と言った。
 そして私は疑わなかったのだ。
 私はただ、あるときそれが絶対の真理だと悟るまで頭を悩ませていただけだ。
 質問者 繰り返しによって確信したのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現によってだ。
 私は意識であり、絶対的に幸福だと見いだしたのだ。
 ただ、私は存在―意識―至福が身体と身体の世界に属すると考えていたのが
 間違えだったのだ。
 質問者 あなたは学問の人ではありません。あなたは多くを読まなかったで
 しょうし、読み、また聞いたことは、おそらく矛盾しなかったので
 しょう。私はかなりの教育を受け、かなりの量の本を読み、本と教
 師たちの間に絶望的な矛盾を見たのです。ですから何であれ初めて
 読み、あるいは聞いたことは、疑いを通して受け取ってしまうので
 す。「それはそうかも知れない、そうではないかも知れない」が、
 私の最初の反応です。何が真実で、何がそうでないかを決定できな
 いために、私は無味乾燥な、教養ぶった疑いとともに取り残されて
 しまったのです。ヨーガにおいて猜疑(さいぎ)心は途方もなく不
 利な条件です。
 マハラジ
 そう聞けて私は嬉しい。
 だが私のグルも、私にすべてを完全に疑うよう教えたのだ。
 彼は言った、「あなたの自己を除いたすべての存在を否定しなさい」と。
 欲望を通してあなたは快楽と苦痛の世界をつくり出したのだ。
 質問者 それは苦痛をともなわなければならないものなのでしょうか?
 マハラジ
 ほかにどうありえよう?
 快楽の本性自体がかぎられた、はかないものなのだ。
 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
 そしてそれは欲求不満と絶望のなかで終わるのだ。
 苦痛は快楽の背景であり、快楽の追求はすべて苦痛のなかに生まれ、苦痛の
 なかに終わるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0388鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/22(日) 22:47:25.78ID:W+zgJlT0
そうじゃ、私とは意識なのじゃ。
全てのものも意識なのじゃ。
本質が同じ意識であるからそこに途切れは無く繋がっているのじゃ。
悟ればそれを知識や思考思想としてではなく感じることが出来るのじゃ。
0389名無しを整える。
垢版 |
2018/04/23(月) 06:48:34.86ID:VkAwhtDB
>>387
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたの言われることはみな、私にとって明白です。しかし身体的
 あるいは精神的困難が生じたとき、私のマインドは鈍く、暗くなる
 か、狂ったように救済を求め回るのです。
 マハラジ
 それがどうしたというのかね?
 鈍く、落ち着きがないのはマインドであり、あなたではない。
 見てみなさい。
 あらゆる類のことがこの部屋で起こっている。
 私がそれを起こるようにしたのだろうか?
 それはただ起こるのだ。
 あなたにとっても同じだ。
 運命がそれ自身を展開し、不可避の出来事を現実にするのだ。
 あなたに出来事の行方を変えることはできない。
 だが、あなたの態度は変えられる。
 そして本当に重要なのは態度にあって、単なる出来事にはない。
 世界は欲望と恐れの住処(すみか)だ。
 そこにマインドの平和を見つけだすことはできない。
 平和のためには、あなたは世界を超えて行かねばならない。
 世界の根本原因は自己愛である。
 そのために私たちは快楽を探し求め、苦しみを避ける。
 自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。
 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。
 世界はそれらを満たすための道具なのだ。
 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。
 そして時間がすべての勘定書を決算する。
 バランスの法則が究極の支配をするのだ。
 質問者 超人になるためには、まず人で在らねばなりません。人として在る
 ことは、数かぎりない経験の結果によるものです。欲望が経験を駆
 りたてるのです。それゆえ、その時と段階によっては、欲望も正し
 いものなのです。
 マハラジ
 ある意味では、まったく正しい。
 しかし、あなたが充分蓄え、築きはじめるべき日が来る。
 そのとき選別し、不要なものを捨てること(ヴィヴェーカ―ヴァイラーギャ)
 が絶対に必要となる。
 すべてを詳細に調べ、不必要なものは無常にも破壊されなければならないの
 だ。
 私を信じてほしい。
 行き過ぎの破壊はありえない。
 実際には、価値あるものなどないからだ。
 熱烈に冷静でありなさい。
 ただそれだけだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0390鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/23(月) 23:01:26.22ID:MqOb62nD
不要な煩悩を捨ててこそ悟りも近づいてくるのじゃ。
食欲とか必要な欲は捨てないでよいのじゃ。
捨てるべきは貪欲という必要以上に貪り求める欲なのじゃ。
それが煩悩の三毒の一つの貪欲なのじゃ。
0391名無しを整える。
垢版 |
2018/04/24(火) 07:25:50.66ID:ZJa3z8CI
>>389
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】

 質問者 あるマハートマ(真我実現した人)たちが、世界は偶然の産物でも
 神の戯れでもなく、宇宙全体に意識を発展させ、覚醒をもたらそう
 とする壮大な計画の結果と表現なのだと主張しています。無生命か
 ら生命へ、無意識から意識へ、無知から優れた知性へ、迷妄から光
 明へ。これこそ世界が絶え間なく、容赦なく進んでいる方向なので
 す。もちろん、宇宙は活動停止するような休息の瞬間もあれば、暗
 黒と見える時期もあるでしょう。しかし、休息は終わりを告げ、意
 識への働きかけは再開されます。私たちの目には、世界は涙の谷間
 として映ります。あらゆる手段で、できるかぎり早く逃げだすべき
 場所なのです。覚醒した人にとって、世界は善であり、充分な目的
 を果たしています。彼らは、世界が精神によって構築されたもので
 あり、究極的にはすべてがひとつであることを否定していません。
 しかし、その構造には意味があり、最上の望ましい目的に仕えてい
 ると言うのです。私たちの言う神の意志とは、遊び好きな神の気ま
 ぐれではなく、愛と叡智と力の中で成長し、生命と意識の無限の可
 能性を実現するために絶対必要な表現なのです。
 庭師がごく小さな種を輝かしい完全性へと開花させるように、神も
 彼の庭で、ほかの生き物たちとともに、神を知り、愛し、彼と共に
 働く超人へと人間を育てるのです。
 神が休息(プララーヤ)をとるとき、成長が未完のものは無意識と
 なり、完成したものは、すべての形態と意識の内容を超え、宇宙的
 沈黙のなかで気づきつづけます。新たな宇宙が出現するとき、眠っ
 ていたものたちは目覚め、彼らの仕事をはじめます。より進歩した
 ものたちは最初に目覚め、後進のものたちのために土台を準備しま
 す。このようにして未来の成長にふさわしい行動のパターンと形態
 を見いだすのです。
 話の内容はこのようなものです。あなたの教えとの違いは、あなた
 は世界を避けるべき、価値のないものだと主張するのに対して、彼
 らは世界を忌み嫌うことは必要な通るべき段階ではあるが、一過性
 のものであり、じきに普遍の愛と確固たる意志で神とともに働くこ
 とになる、ということです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
今回は、長い質問だけであります。
0392名無しを整える。
垢版 |
2018/04/24(火) 21:04:52.01ID:Rp8uS8/A
煩悩を捨てるという煩悩
0393鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/24(火) 22:42:05.00ID:5QI56+1G
世界と自分が分離していると思っているようじゃのう。
根本的に勘違いがあるのじゃ。
悟りを得ていない者とはそのようなものかもしれんがのう。
0394名無しを整える。
垢版 |
2018/04/25(水) 07:41:09.59ID:38IE4ZPN
>>391
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 マハラジ
 あなたの言うことはすべて、外へ向かう(プラヴリッティ)道にとっては正
 しい。
 源へ帰還する(ニヴリッティ)道を行くものにとって、自己を無に帰するこ
 とは必要なことなのだ。
 私のいる無(パラマカーシュ)の境界には、いかなる言葉も思考も届かない。
 マインドにとって、そこはまったくの闇と沈黙だ。
 そこに意識が攪拌しはじめ、マインドが目覚めだし(チダカーシュ)、世界
 を投影し(マハーダカーシュ)、記憶と想像を構築しはじめる。
 ひとたび世界が存在のなかに現れたならば、あなたの言ったとおりとなるだ
 ろう。
 目標を定め、それに向かって闘い、方法と未知を探し、ヴィジョンとエネル
 ギー、そして勇気を示す、それがマインドの本性なのだ。
 それは神聖な質であって、私はそれらを否定してはいない。
 しかし、何の相違もなく、何も存在せず、それをつくり出したマインドもな
 いというのが私の立場だ。
 そこが私の居場所なのだ。
 何が起ころうと私には影響を与えない。
 ものごとがものごとに働きかける。
 ただそれだけだ。
 記憶と期待から自由なため、私はいつも新鮮で、無垢で、トータルだ。
 マインドはたいへんな働き者(マハーカルタ)で、休息が必要だ。
 何も必要ない私には、何の恐れもない。
 誰を恐れるというのだろう?
 そこには分離などない。
 私たちは分離し、孤立した自己ではない。
 ただ個人と非個人がひとつである真我、至高の実在があるだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
 長い質問に対する丁寧な返事でありました。
0395鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/25(水) 22:03:29.28ID:QPN1o0n4
そうじゃ、自他の区別の無いことが真実なのじゃ。
自他の区別があり、世界も在るというのは幻想なのじゃ。
幻想は幻想であり肯定も否定も無いものじゃ。
 
0396名無しを整える。
垢版 |
2018/04/26(木) 06:18:00.14ID:+XJynUDG
>>394
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 私はただ世界を助けられるようになりたいだけです。
 マハラジ
 あなたが助けられないと誰が言っただろうか?
 助けるとはどういう意味で、何が必要なのかということをあなたが自分で決
 めておいて、何をすべきで何ができるのかという必要性と能力の間で自分自
 身を葛藤(かっとう)に追いやったのだ。
 質問者 しかし、なぜ私たちはそうしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドがある構造を投影し、それと自己同一化するからだ。
 欲望の本性とは、それを満たすためにマインドが世界をつくり出すよう促す
 ことだ。
 小さな欲望さえ、長い行動の連鎖を生みだすのだ。
 強い欲望ならばどうだろう?
 欲望は宇宙をも生みだす。
 その力は奇跡的なものだ。
 小さなマッチ棒が巨大な森林に火をつけることができるように、欲望も現象
 の現れに火をつける。
 想像の目的自体が欲望を満たすことなのだ。
 欲望は高尚なものかも、卑しいものかもしれない。
 空間(アーカーシュ)は中立的なものだ
 人はそれを何でも好きなように満たすことができる。
 何を望むのか、人はとても注意しなければならない。
 そしてあなたが助けたい人々だが、彼らもまた欲望を満たすために、それぞ
 れの世界のなかにいる。
 彼らの欲望を通して以外、彼らを助けることはできない。
 あなたには、彼らが正しい欲望をもつように教えることができるだけだ。
 そうすれば彼らは現状を超え、快楽と苦痛の住処(すみか)である欲望の世
 界を創造し、再創造しようという衝動から自由になれるかもしれない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0397名無しを整える。
垢版 |
2018/04/26(木) 06:30:03.99ID:w9AAUj/e
仏教は神秘主義を否認し哲学に堕ちた
0398鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/26(木) 22:18:16.53ID:fdOO5TXI
小さな欲望とは金が欲しいとか権力や名声が欲しいとかいうものなのじゃ。
正しい大きな欲望とは死を超えたいという欲なのじゃ。
それがあれば悟りも得られるのじゃ。
小さなよくも本来は自己の安楽を求めるものであるからのう。
0399名無しを整える。
垢版 |
2018/04/27(金) 05:39:58.15ID:XmeiFo1T
>>396
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 ショーが終わって人が命を終え、宇宙の終局を迎える日がかならず
 訪れます。
 マハラジ
 眠っていた人がすべてを忘れ、新たな日に目覚めるように、あるいは死んで から新しい命を授かるように、欲望と恐れの世界も溶解し、消え去る。
 しかし、普遍の観照者、至高の真我は眠りも死にもしない。
 偉大な心臓の鼓動は永遠に鳴りやまず、あなたの鼓動のたびに新しい宇宙が
 誕生するのだ。
 質問者 至高の真我には意識があるのでしょうか?
 マハラジ
 彼はマインドが考えることのできるすべてを超えている。
 彼は存在と非存在をも超えている。
 彼はすべてに対してイエスであり、ノーである。
 内側であり、彼方でもある。
 創造し、破壊する想像しがたい実在なのだ。
 質問者 神とマハートマはひとつでしょうか?
 マハラジ
 彼らはひとつだ。
 質問者 何らかの違いがあるはずです。
 マハラジ
 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。
 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。
 神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。
 ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。
 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。
 神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
 わるものの永遠の観照者であることを知っている。
 その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。
 彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。
 それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0400名無しを整える。
垢版 |
2018/04/27(金) 11:54:34.82ID:SVTDBzPg
開 2 ち ゃ ん ね る= 便 所 の 落 書 き ・ 痰 壷 の 更 に 劣 化 コ ピ ー の 3 流 掲 示 板
運 営 の 性 格 の 悪 い 引 き こ も り I T 土 方 メ ガ ネ ザ ル 早 く 死 な な い か な
0401鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/27(金) 22:55:09.58ID:fpG1GQG/
神と一つになった者がマハートマなのじゃ。
それをわざわざ二つにしなくてよいのじゃ。
それが認識による観念化なのじゃ。
全てを分類し、違いを見つけて記憶しようとする働きなのじゃ。
 
0402名無しを整える。
垢版 |
2018/04/28(土) 12:29:49.44ID:m8CAoVUY
>>399
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられる
 のでしょうか?
 マハラジ
 無としてあることで、私はすべてなのだ。
 すべては私であり、すべては私のものだ。
 私の身体が、動かそうと考えるだけで動くように、私が思うだけでものごと
 は起こる。
 言っておくが、私は何もするわけではない。
 ただものごとが起こるのを見るだけだ。
 質問者 あなたが起こるように望んでからものごとが起こるのでしょうか?
 それともそれらが起こってから、あなたはそう起こることを望まれ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 それは両方だ。
 私は受け容れ、そして受け容れられるのだ。
 私がすべてであり、すべては私なのだ。
 世界であるゆえに、私は世界を恐れない。
 すべてとしてありながら、何を恐れるというのだろう?
 水は水を恐れず、火は火を恐れない。
 私は恐れない、なぜなら私は無であり、恐れや危険を体験しようがないから
 だ。
 私には名前も形もない。
 名前と形に固執することが恐れを生むのだ。
 私には執着がない。
 私は無だ。
 そして無は無を恐れない。
 反対に、すべてが無を恐れている。
 なぜなら、何かが無に触れたとき、それは無となるからだ。
 底なしの井戸のように、何であれそこに落ちたものは消え去るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0403鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/28(土) 22:48:25.58ID:JO4WTrcU
そうじゃ、全ては私であり、私は全てなのじゃ。
そうであるから全ては全てなのじゃ。
どこにも境界は無く、区別も無いのじゃ。
0404名無しを整える。
垢版 |
2018/04/28(土) 23:53:51.44ID:KXQrl9up
  ┏━南都仏教━┓        ┏━━━━━━━━━━━┓
  ┃  華厳宗    ┃    ┌─╂    鎌  倉  幕  府    ╂─..臨済宗いいよ臨済宗 .──┐
┌╂  法相宗    ╂──│┐┗━━┿━━━━━━┿━┛            ┏禅宗━━━━┿━━━━━━━━━━━┓
│┃┌────┐┃    ││      お         ↑│↑    ハ,,ハ      ┃            ↓                ┃
│┃│律宗    │┃    ││      前          氏│└─..( ゚ω゚ ) ─┐┃  ┌臨済宗────────────┐┃
│┗┿━━━━┿┛    ││      が          ぬ└支援するよ ─┐│┃  │Q バナナはおやつに入りますか ? │┃
│  │真言律宗│←氏ね──┐    な        よ            ││┃  │∧_∧                  │┃
│  └────┘      │││    ↓          │              ││┃  │( ´・ω・)  入りますん         │┃
│┏━平安仏教━━━┓│││  ┏日蓮宗━━━┿━━━━━━┓││┃  │( つ旦O                      │┃
│┃┌─密教──┐  ┃│││  ┃                    ┃││┃  │と_)_)                  │┃
│┃│  真言宗  │  ┃││└─╂\(^ν^)/ 法華経こそ正法   ┃││┃  └───────────────┘┃
│┃│┌───┐│←╂──氏ね╂   l_l   邪法は氏ね     .┃││┃  ┌曹洞宗────────────┐┃
│┃└┤天台宗├┘  ┃││    ┃  / \                   ┃│└╂─┼                        │┃
│┃  └┼─┼┘    ┃││    ┗━━━━━┿━━━━━┿━┛└─╂→│                        │┃
│┗━━┿━┿━━━┛││                氏          └─氏ね→┃  │(-_-)  …                    │┃
└───┼──────┘│                ね                    ┃  │(∩∩)                  │┃
        │  └─────┴────────│─.汚物は消毒だ〜!!.→.┃  └───────────────┘┃
    うるさい黙れ                    │                    ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
        ↓                          ↓
┏━━浄土宗系━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┏━━仏罰━━━━━━━┓
┃┌浄土宗────┐┌浄土真宗────────┐┌時宗─────────┐┃ ┃┌ 西村研(リ・ヨウニン) ┐┃
┃│ナムアミダブツナムアミ││ /⌒ヽ 善人(笑)が     .││♪ ∧,_∧   レッツ !!     │┃ ┃│他人の個人情報を │┃
┃│( ゚д゚ ) ダブツナム││∩ ^ω^)浄土に逝けるなら....││   (´・ω・`) )) ダンシング♪ │┃ ┃│嘘悪態交え2ちゃんに│┃
┃│ノヽノ |.アミダブツナ.││|   ⊂ノ 悪人のオイラも   .││ (( ( つ ヽ、    ♪     │┃ ┃│拡散誹謗中傷してた │┃
┃│ < <ムアミダブツナ││|    _⊃余裕で逝けるお   . ││   〉 とノ )))         │┃ ┃│元小学校教員の   │┃
┃│. ムアミダブツナムア.││し ⌒               ││  (__ノ^(_)          │┃ ┃│臨床心理士     │┃
┃└───────┘└────────────┘└───────────┘┃ ┃└─────────┘┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┗━━━━━━━━━━━┛
0405名無しを整える。
垢版 |
2018/04/29(日) 06:45:37.79ID:atyCGANR
>>402
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 神は個人ではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがあなた自身を個人と考えるかぎり、神も個人だ。
 あなたがすべてであるとき、あなたは神をすべてとして見る。
 質問者 私の態度を変えることで、事実を変えることができるの
 でしょうか?
 マハラジ
 態度が事実なのだ。
 怒りを例にとってみなさい。
 私は激怒して、部屋のなかを歩きまわっているかもしれない。
 同時に、私は私が叡知と愛の中心、純粋な存在の原子であること
 を知っている。
 すべては静まり、マインドは沈黙へと溶けていく。
 質問者 まだ、あなたはときどき怒るのですね。
 マハラジ
 誰に対して、何のために私が怒らなければならないのか?
 怒りはやってきて、自己想起とともに消え去った。
 それはみな、ただのグナ(宇宙的特質)の戯れにすぎない。
 それらと自己同一化すれば、私はそれらの奴隷となる。
 距離をおいてあれば、私がそれらの主人なのだ。
 質問者 あなたは自分の態度によって世界に影響を与えることが
 できますか? あなたが世界から分離し、距離を置くこ
 とによって、世界を助けるという望みはみな失われてし
 まうのです。
 マハラジ
 そうではない。
 すべては私自身なのだ。
 私が自分を助けられないというのかね?
 私は特定の誰かと自己同一化しない。
 私は特定の個人でもあり、宇宙全体でもあるからだ。
 質問者 では、あなたは特定の個人である私を助けられますか?
 マハラジ
 だが、私はいつもあなたを助けているのだ、内面から。
 私自身とあなた自身はひとつなのだ。。
 私は知っているが、あなたは知らない。
 違いはそれだけだ。
 そしてその違いは、長くは続かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0406鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/29(日) 22:48:23.10ID:OMaSd0oR
そうじゃ、自他の区別も幻想の観念なのじゃ。
人も自分も本来は一つなのじゃ。
観念が無ければそれに気づくのじゃ。
0407名無しを整える。
垢版 |
2018/04/30(月) 05:58:10.63ID:G1s6ht4B
>>405
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 どのようにしてあなたは世界全体を助けるというのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ガンディーは死んだが、彼の精神は地上を覆(おお)っている。
 ジニャーニの想いは人類のなかに浸透し、善のために絶えず働き
 かけている。
 無名のまま内面から働きかけるために、より力強く心を動かすの
 だ。
 このようにして内面での助けと、外面への祝福によって世界は改
 善されるのだ。
 ジニャーニが死を迎えると、大海へと溶けいる瞬間、川が消え去
 るように、彼も消え去る。
 名前と形はもはやないが、水は残り、大海とひとつになる。
 ジニャーニが宇宙的マインドに加わると、彼のすべての善と智慧
 (ちえ)は人類の財産となり、すべての人間を向上させるのだ。
 質問者 私たちは自分の人格に執着しています。ほかの人とは違
 った個性に、私たちは価値を与えます。あなたはそのど
 ちらも無駄なものとして非難しています。あなたの非顕
 現が私たちにとって何になるというのでしょうか?
 マハラジ
 非顕現、顕現、個性、人格(ニルグナ、サグナ、ヴィヤクタ、ヴ
 ィヤクティ)、これらすべてはただの言葉、見解、精神的姿勢に
 すぎない。
 これらに実在はない。
 実在は、静寂のなかで経験される。
 あなたは人格に固執する。
 しかし、個人としての存在を意識するのは、あなたが困難な状態
 にあるときだけだ。
 困難に直面していないとき、あなたは自分のことを考えてはいな
 い。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0408鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/04/30(月) 23:13:20.06ID:/qwjJ47x
聖人の呼称さえ観念の世界のものじゃ。
全てが一つであると知ったならばそれさえも幻想とわかるのじゃ。
その時に死もまた幻想と知れるのじゃ。
0409名無しを整える。
垢版 |
2018/05/01(火) 06:19:35.06ID:2xkTG9s7
>>407
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 あなたは非顕現の目的について語ってはいません。
 マハラジ
 もちろん、目覚めるためには眠らなければならない。
 生きるためには死ななければならない。
 新たな形に再生するためには溶け去らなければならない。
 構築するために破壊し、創造する前に絶滅させなければならない。
 至高なるものは普遍の溶媒だ。
 それはあらゆる器を溶解し、あらゆる障害を焼き尽くす。
 すべてを絶対否定しないことには、ものの専制性は絶対的なもの
 となってしまうだろう。
 至高なるものは偉大な調和をもたらす。
 それは自由なる生の完璧な均衡と究極の保証だ。
 それはあなたを溶解し、このようにあなたの真の存在を再生する
 のだ。
 質問者 それ自体のレベルにおいては、それでいいかもしれませ
 ん。しかし、日々の生活において、それはどう作用する
 のでしょうか?
 マハラジ
 日々の生活は行為の生活だ。
 好きだろうが、嫌いだろうが、あなたは機能しなければならない。
 何であれあなたが自分のためにしていることは蓄積され、爆発す
 る。
 ある日それは飛びだし、あなたとあなたの世界を台無しにする。
 あなたがすべての人に良かれと思って働いていると自分自身を欺
 (あざむ)くなら、ことは一層悪化するだろう。
 なぜなら、何がほかの人びとにとって良いことかを、自分の概念
 によって決定すべきではないからだ。
 他者にとって何が良いのかを知っていると公言する者は危険だ。
 質問者 では、人はどのようにして働くべきでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身のためでも他者のためでもなく、仕事自体のために働
 きなさい。
 するだけの価値のあることには、それ自体の目的と意味がある。
 何かほかのことの手段にしてはならない。
 拘束してはならない。
 神はひとつのものをほかのものに仕えるために創造してはいない。
 それぞれがそれ自身のために造られたのだ。
 それがそれ自身のために造られているため、干渉することがない。
 あなたは物や人を、彼らとは相容れない目的のために用いるため、
 世界とあなた自身を台無しにしてしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0410鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/01(火) 22:53:10.78ID:ivwzcJZQ
そのようなことが出来る者はすでに悟っているのじゃ。
無為にして為すことであるからのう。
衆生には難しいことじゃ。
0411名無しを整える。
垢版 |
2018/05/01(火) 23:28:41.58ID:2xkTG9s7
>>410
ニサルガさんは、難しいことを、簡単にできるように語る天才でありたすね。
(´・(ェ)・`)つ
0412名無しを整える。
垢版 |
2018/05/02(水) 07:21:31.40ID:XBhGCRPt
>>409
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 実在はつねに私たちとともに在るとあなたは言われまし
 た。どうして私たちはそれに気づかないのでしょうか?
 マハラジ
 そのとおり、あなたはつねに至高なるものなのだ。
 しかし、あなたの注意はいつも身体的あるいは精神的なものに注
 がれている。
 あなたの注意がひとつのものを離れて、まだほかの対象物に固定
 される合間、あなたは純粋な存在なのだ。
 識別(ヴィヴェーカ)と無執着(ヴァイラーギャ)* の実践を通
 して、あなたは感覚的そして精神的状態の視野を失い、純粋な存
 在が自然な状態として現れだす。
 * 訳注 識別と無執着
 ヴィヴェーカ Viveka 識別。真実と偽りを識別するこ
 と。ヴァイラーギャ Vairagya 無執着。世俗的欲望の
 不在。非実在とはかなき存在への無執着。
 質問者 この分離された存在の感覚をどうやって終焉(しゅうえ
 ん)させることができるのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」にマインドの焦点を合わせることによって、「私は
 これだ」という存在の感覚は消え去る。
 そこに「私はただの観照者だ」が残り、それさえも、「私がすべ
 てだ」のなかに沈んでいく。
 そのときすべてはひとつとなり、ひとつは――私から分離してい
 ないあなたの自己となるのだ。
 分離した「私」という概念を放棄しなさい。
 そうすれば「誰の経験か?」という疑念が湧いてくることはない
 だろう。
 質問者 あなたはあなた自身の体験から語っています。どうやっ
 てそれを私のものとすることができるのでしょうか?
 マハラジ
 私の体験とあなたの体験が異なると言うのは、私とあなたが分離
 しているとあなたが信じているからだ。
 より深いレベルでは、私の体験はあなたの体験だ。
 あなた自身の内面深くに入っていきなさい。
 そうすれば、あなたはそれをいともたやすく、簡単に見いだすだ
 ろう。
 「私は在る」の方向へと入っていきなさい。
(´・(ェ)・`)               (おわり)
0413鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/02(水) 23:23:41.25ID:S2eI5DiK
>>411 そうかもしれん。

 マハラジの私とは分離していないわたしなのじゃ。
 全てである意識が私なのじゃ。
 
0414名無しを整える。
垢版 |
2018/05/03(木) 17:43:25.28ID:Y3BRUIfa
>>412
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】

 質問者 あなたは喜んだり悲しんだりすることがありますか? 喜びや悲し
 みを知っていますか?
 マハラジ
 それらをあなたの好きなように呼ぶがいい。
 私にとってそれらはマインドの状態にすぎない。
 そして私はマインドではないのだ。
 質問者 愛はマインドの状態なのでしょうか?
 マハラジ
 それもまた、あなたが愛という言葉で何を意味しているかによる。
 欲望はもちろん、マインドの状態だ。
 だが、統合の実現はマインドを超えたものだ。
 私にとっては、それ自体で存在するものは何もない。
 すべてが真我であり、すべては私自身なのだ。
 私自身を皆のなかに見、皆のなかに私自身を見ることは確かに愛だと言える
 だろう。
 質問者 私が快く思う何かを見たとき、それを欲しくなります。誰がそれを
 欲しているのでしょうか? 
自我でしょうか、マインドでしょうか?
 マハラジ
 この質問は誤った形で問われている。
 そこに、「誰が」はいない。
 そこにあるのは欲望、恐れ、怒りであり、マインドが、これは私だ、これは
 私のものだと言うのだ。
 「私」あるいは「私のもの」と呼べるようなものは存在しない。
 欲望はマインドの状態であり、マインドによって知覚され、名づけられたも
 のだ。
 マインドが知覚せず、名づけなければ、欲望がどこにあるというのだろう?
 質問者 しかし、名づけることなしに知覚するというようなことがあるでし
 ょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 名づけるということが、マインドを超えることはありえない。
 一方、知覚は意識そのものなのだ。
 質問者 誰かが死ぬとき、正確には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 何も起こりはしない。
 何かが無となるのだ。
 無が存在していた。
 そして無が残るのだ。
 質問者 それでも、生と死の間には違いがあるはずです。あなたは生きてい
 るものを死んでおり、死んだものを生きていると言います。
 マハラジ
 なぜあなたはひとりが死ぬことに苦悩し、毎日何百万人もの人が死んでいく
 ことは気にもかけないのだろうか?
 宇宙全体が毎瞬、内破し、爆発しているのだ。
 それらのために私が泣かなければならないのかね?
 私にとってたったひとつ明白なことは、存在するすべて、生きるもの、動く
 ものすべては、意識のなかにその存在をもつということだ。
 そして、私は意識のなかに、そしてその彼方に在る。
 私は観照者としてはそのなかに在り、実在としてはその彼方に在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0415鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/03(木) 23:17:12.58ID:AXdkDRZK
そうじゃ、死は観念でありないものじゃ。
人は死んでも意識として永遠に存在するのじゃ。
何も変らないのじゃ。
0416名無しを整える。
垢版 |
2018/05/04(金) 11:42:28.32ID:qQBBxDT7
>>414
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 もちろん、あなたの子どもが病気になったときは気にかけるのでは
 ありませんか?
 マハラジ
 私はあわてない。
 ただ必要なことをするだけだ。
 未来について心配したりはしない。
 あらゆる状況への適切な反応、それが私の本質だ。
 何をするべきかと立ち止まって考えたりはしない。
 ただ行動し、先に進むだけだ。
 結果は私に影響を与えない。
 それが良いか悪いかさえ私は気にもしない。
 それらが何であれ、あるがままだ。
 もしふたたびそれが起こるならば、私は新たな姿勢でそれに取りかかる、あ
 るいは新たな姿勢で取りかかるということが、私に起こる。
 私が何をしようと、そこにはいかなる目的感覚もない。
 ものごとは起こるように起こるのだ。
 私がそれらを起こらせるからではなく、私が在るゆえにそれらは起こるのだ。
 実際には、けっして何も起こらない。
 マインドに落ち着きのないとき、それはシヴァを舞い踊らせる。*
 * 訳注 シヴァを舞い踊らせる
 シバ神は南インド、タミル・ナードゥ州のチダンパラムでナータラ
 ージャ神として現れ、宇宙の創造と破壊の舞を舞ったという神話が
 ある。
 波に揺らぐ湖の水が月を踊らせるように。
 それらはすべて誤った概念による現れにすぎない。
 質問者 確かにあなたは多くのことに気づいており、それらの本質にしたが
 ってふるまっています。子どもは子どもとして、大人は大人として
 扱っています。
 マハラジ
 塩味が大海に浸透しているように、海水の一滴一滴が同じ味を含んでいる。
 同じようにあらゆる体験は、つねに新鮮な自己の存在の実現である実在の感
 触を私に与えるのだ。
 質問者 あなたが私の世界に存在するように、私もあなたの世界に存在して
 いるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん私は在り、あなたは在る。
 だが、意識のなかの単なる点として在るのだ。
 私たちは意識から離れては在りえない。
 このことはよく把握されなければならない。
 世界は意識に依存しているのだ。
 意識なしに世界はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0417鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/04(金) 22:01:03.17ID:xplPSRpb
そうじゃ、全ては意識なのじゃ。
在ると言えるものは意識だけなのじゃ。
個人も自分も他人もその一部として繋がって存在しているのじゃ。
0418名無しを整える。
垢版 |
2018/05/05(土) 11:13:31.83ID:QcmkJla5
>>416
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 意識のなかには数多くの点が存在しています。世界もまた数多くあ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 夢を例にとって見なさい。
 病院に多くの患者がいるとしよう。
 みな眠って、夢を見ている。
 病気という共通の要素を除いてはそれぞれが個人的な、無関係の、影響を互
 いに与えない夢のなかにいる。
 同様に、私たちも共通体験の現実世界から、想像によって私たち自身をひき
 離し、個人的な欲望や恐れ、想像や思考、観念や概念の雲のなかに私たち自
 身を囲み込んでしまったのだ。
 質問者 これは私にも理解できます。しかし、個人的世界の途方もない多様
 性の原因は何なのでしょうか?
 マハラジ
 その多様性はそれほどのものではない。
 すべての夢はひとつの共通する世界の上に重ねられたものだ。
 ある程度までそれらは互いを形づくり、影響を与えあう。
 それにもかかわらず、基本的な統一性はそのすべてに作用している。
 その根底にはすべて、私が誰かを知らないという自己忘却があるのだ。
 質問者 忘れるには、人は知っていなければなりません。忘れる前に、私は
 誰なのかを知っていたのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 自己を忘れることは、自己を知ることのなかに本来備わっているものなのだ。
 意識と無意識はひとつの生における二つの側面であり、それらは競争してい
 る。
 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
 を忘れるのだ。
 結局のところ、世界とは何だろう?
 記憶の集合だ。
 ひとつのことを固守しなさい。
 それが大切なことだ。
 「私は在る」をつかみ取りなさい。
 そしてほかのすべてを手放しなさい。
 これがサーダナ(修練)である。
 真我実現のなかには、覚えるものもなければ、忘れるものもない。
 すべては知られたものだ。
 思い出すことなど何もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0419鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/05(土) 22:40:04.42ID:hqUTrqVF
記憶に拠って世界も自他の区別も創られるのじゃ。
全てを忘れれば全てが蘇るのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
0420名無しを整える。
垢版 |
2018/05/06(日) 08:40:53.06ID:qgMPh7Sx
>>418
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 自己忘却の原因とは何でしょうか?
 マハラジ
 原因はない。
 なぜなら忘却などないからだ。
 精神状態はひとつの状態から別の状態へと継続していく。
 それぞれが以前の状態を消し去っていくのだ。
 自己想起はひとつの精神状態であり、自己忘却は別の精神状態だ。
 それらは夜と昼のように、交互に入れ替わる。
 実在はその両方の彼方に在るのだ。
 質問者 忘れることと知らないことの間には、かならず違いがあるはずです。
 知らないということに原因はいりません。忘れるということは以前
 あった知識と、忘れる傾向と能力を前提条件としています。知らな
 いということの原因を調べることができないことは認めます。しか
 し、忘れることには何かの理由があるはずです。
 マハラジ
 知らないということはないのだ。
 忘れるということがあるだけだ。
 忘れることの何が間違っているというのだろう?
 忘れることは、覚えることと同じように単純なことだ。
 質問者 自分自身を忘れることは悲惨なことではありませんか?
 マハラジ
 自分自身をずっと覚えていることと同じように悲惨だ。
 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。
 それが自然な状態だ。
 覚えること、忘れること、どちらも思考と言葉に拘束されたマインドの状態
 なのだ。
 生まれるという考えを例にとって見よう。
 私は生まれたと言われた。
 私は覚えていない。
 私は死ぬだろうと言われた。
 私はそれを予期しない。
 私は忘れてしまった、あるいは想像力に欠けているのだとあなたは言うかも
 知れない。
 しかし、私にはけっして起きなかったことや、明らかに不可能なことを期待
 することはできない。
 身体は生まれ、身体は死ぬ。
 だが、それが私にとって何だというのだろう?
 身体は意識のなかで来ては去っていく。
 そして意識はその根底を私のなかに置いている。
 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0421名無しを整える。
垢版 |
2018/05/06(日) 21:57:05.28ID:qgMPh7Sx
> 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。
 それが自然な状態だ。

それが、気付きであり、一つの意識でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ
0422鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/06(日) 22:49:37.24ID:Q/DP4G2j
↑そうじゃ、忘れる事も忘れないこともない意識なのじゃ。
 それこそが本来の意識なのじゃ。

 肉体が滅びても意識は永遠に在るのじゃ。
 何一つ変らずあるがままにありつづけるのじゃ。
0423名無しを整える。
垢版 |
2018/05/07(月) 00:16:00.44ID:LXM0xQZb
鬼和尚、こんばんは。
マハラジが
> 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。

私のもの と言うとき、「私」とはただ一つの意識のことであり、それは実体であるが、
私「のもの」とは、いつでも手放せる、実体ではない現象とでも理解すればよいのでありましょうか?

(´・(ェ)・`)つ
0424名無しを整える。
垢版 |
2018/05/07(月) 06:36:39.75ID:LXM0xQZb
>>420
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 あなたは世界の根底に自己忘却があると言いました。忘れるために
 私は覚えなければなりません。覚えるために私は何を忘れたのでし
 ょうか? 私は、私は在るということを忘れてはいません。
 マハラジ
 この「私は在る」もまた幻想の一部分なのだ。
 質問者 なぜそう言えるのでしょうか? あなたに私が存在しないと証明す
 ることはできません。たとえ私が存在していないと納得させられても、私は
 存在しています。
 マハラジ
 実在は証明することも、反証することもできない。
 マインドの範疇(はんちゅう)では不可能であり、マインドを超えればその
 必要もない。
 実在のなかでは、「実在とは何か?」という疑問は起こらない。
 顕現(サグナ)と非顕現(ニルグナ)は別のものではないのだ。
 質問者 その場合はすべてが実在なのです。
 マハラジ
 私はすべてであり、私自身としてはすべてが実在だ。
 私を離れては何も実在ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0425鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/07(月) 22:11:53.00ID:APW3qR7y
>>423 そうじゃろう。
 意識が無ければ全ては無いものじゃ。

 自他を超えた意識の中では対象が無いから疑問も起こらないのじゃ。
 疑いも観念の対象があるから起こるものであるからのう。
0426名無しを整える。
垢版 |
2018/05/07(月) 22:50:06.33ID:LXM0xQZb
>>425
くま、マインドとかハートっていう、マハラジ用語を、「心」に置き換えてよいか考えてたのでありますが、
良いのではないかと思ったでたります。
ゼロ=絶対無を発見、発明したインド人の分析的思考は、人類の限界に挑戦した5千年前の人類の真剣な営みの成果ではなかろうかと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ
0427鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/08(火) 22:18:44.31ID:t14rGZyH
↑そうじゃろう。
 オショーとは違うようじゃ。
 オショーはマインドを分別する心としていたようじゃ。
0428名無しを整える。
垢版 |
2018/05/09(水) 00:31:37.96ID:v1C5DTjq
>>424
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 私には世界が過ちの結果だとは感じられません。
 マハラジ
 完全な調査の後にのみそう言えるだろう、その前ではない。
 もちろん、あなたが識別し、実在ではないものをすべて捨て去ったとき、後
 に残るものが実在なのだ。
 質問者 何か残るものがあるのでしょうか?
 マハラジ
 実在が残る。
 だが、言葉に惑わされてはならない。
 質問者 遙かなる昔から、無数の誕生を通して、私は自分の世界を構築し、
 改善し、理解してきました。それは完全でもなく、非実在でもあり
 ません。それはプロセスなのです。
 マハラジ
 あなたは考え違いしているのだ。
 世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。
 あらゆる瞬間において、それはあなたの反映にすぎない。
 あなたが創造し、破壊するのだ。
 質問者 そしてふたたび構築し、改善するのです。
 マハラジ
 改善するには、それを反証しなければならない。
 人は生きるために死ななければならない。
 死を通る以外に再生はありえない。
 質問者 あなたの世界は完全かもしれません。私の個人的世界は改善してき
 ているのです。
 マハラジ
 あなたの個人的宇宙は、それ自体では存在しないのだ。
 それはただ単に実在のかぎられた歪(ゆが)んだ見方だ。
 改善が必要なのは宇宙ではなく、あなたの見方なのだ。
 質問者 あなたはどう見るのでしょうか?
 マハラジ
 それは世界というドラマが演じられているステージだ。
 重要なのは演技の質だけだ。
 何を役者が語り、演じるかではなく、どのように彼らが語り、それを演じる
 かが重要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0429名無しを整える。
垢版 |
2018/05/09(水) 20:39:51.91ID:v1C5DTjq
>>428
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 私には世界創造が神のリーラ(戯れ)でしかないという、この概念
 が好きになれません。私はむしろ、世界を私たちが組み立てる仕事
 場に比べるでしょう。
 マハラジ
 あなたは深刻にとらえすぎなのだ。
 遊戯の何が悪いのだろう?
 あなたが未完成であるかぎり、目的を持たざるをえない。
 それまでは完全、完成が目的だ。
 しかし、内面と外面を統合して自分のなかで完全になれば、そのときあなた
 は宇宙を楽しむのだ。
 そのために働くことはしない。
 統合されていないものにとって、あなたはたいへんな努力とともに働くよう
 に見えるかもしれない。
 しかし、それは幻想なのだ。
 スポーツマンは途方もない努力をするように見える。
 だが、彼らの動機はすべて、遊ぶこととそれを誇示することなのだ。
 質問者 神はただ戯れているだけで、目的のない行為に従事していると言う
 のでしょうか?
 マハラジ
 神はただ真実と善だけではない。
 彼はまた美しくもある(サティヤム―シヴァム―スンダラム)。
 彼は喜びのために美をつくり出すのだ。
 質問者 それならば、美が彼の目的ではありませんか?
 マハラジ
 なぜ目的を持ち出すのだろうか?
 目的は活動、変化、未完成を暗示する。
 神は美を目標にしているのではない。
 何であれ、彼の行うことが美なのだ。
 あなたは花が美しくあろうと試みていると言うだろうか?
 その本質自体が美しいのだ。
 同じように、神も完成を目指して努力しているのではなく、神は完成そのも
 のなのだ。
 質問者 美のなかで目的はそれ自体を満たすのです。
 マハラジ
 何が美しいのだろう?
 何であれ美しいと感じるのは、至福に満ちて知覚されたときだ。
 至福が美の本質なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0430鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/09(水) 21:55:12.35ID:7GguyJag
美も醜も人の決める価値でしかないのじゃ。
よいものが美しいとされるのじゃ。
金がうつくしいというものもおるのじゃ。
0431名無しを整える。
垢版 |
2018/05/10(木) 07:54:12.93ID:OBGjo3gY
>>429
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 あなたはサッチターナンダ(存在―意識―至福)について語ってい
 ます。私は在るということは明白です。私は知っているということ
 も明白です。しかし、私は幸福であるということは、まったく明白
 ではありません。私の幸福はどこへ行ってしまったのでしょう?
 マハラジ
 自分の存在に完全に気づいていなさい。
 そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
 あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
 どめるために幸福の感覚を失うのだ。
 質問者 私たちにとって二つの道があります。努力の道(ヨーガ・マールガ)
 と安楽な道(ボーガ・マールガ)です。どちらも解放という同じゴ
 ールに導きます。
 マハラジ
 なぜボーガを道と呼ぶのかね?
 どうして安楽が完成をもたらすことができるだろう?
 質問者 完全に放棄する人(ヨーギ)は実在を見いだすでしょう。完全に楽
 しむ人(ボーギ)もまたそこに達するのです。
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう?
 それらは反駁しあっているのではないだろうか?
 質問者 両極は出会うのです。完全なボーギとなることのほうが、完全なヨ
 ーギになるよりも困難なのです。私は素朴な人間です。大胆にもの
 ごとの価値評価をすることはできません。ヨーギもボーギも、結局
 は幸福を求めているのです。ヨーギは永遠の幸福を求め、ボーギは
 断続的幸福に満足します。しばしばボーギはヨーギよりも厳しい苦
 労をするのです。
 マハラジ
 働き、闘いとらねばならないような幸福に何の価値があるのかね?
 真の幸福は自発的で自然なものだ。
 質問者 生きるものはみな幸福を探しています。異なるのは方法だけです。
 ある人は内面を探し、それゆえヨーギと呼ばれ、ある人は外面を探
 し、それゆえボーギだと非難されるのです。それでも彼らは互いを
 必要とするのです。
 マハラジ
 喜びと苦痛は交互に入れ替わるものだ。
 幸福は揺らぐことがない。
 あなたが探し求め、見つけだすものは本物ではない。
 けっして失ったことのないもの、譲渡できないものを見いだしなさい。
(´・(ェ)・`)つ
(おわり)
0432鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/10(木) 21:42:24.96ID:XfCcRWlI
そうじゃ、意識は決して失われず、譲り渡したりも出来ないのじゃ。
ただそこにあり続けるのみなのじゃ。
それこそが至福なのじゃ。 
0433名無しを整える。
垢版 |
2018/05/11(金) 19:45:55.81ID:ebPwmHNc
>>431
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】

 質問者 私が見るには、世界はヨーガの学校であり、人生そのも
 のがヨーガの修練です。誰もが完成を求めて闘っていま
 す。ヨーガもまた戦いにほかなりません。いわゆる「一
 般」の人びとと彼らの「一般」の人生は、何も卑しいも
 のではありません。彼らもヨーギと同じように厳しい努
 力をし、苦しみます。ただ彼らは真の目的を知らないだ
 けなのです。
 マハラジ
 いったいあなたの言う一般の人びとがどのようにヨーギなのかね?
 質問者 彼らの究極的目標は同じです。ヨーギが放棄(ティアー
 ガ)によって確保するものを、一般の人びとは体験(ボ
 ーガ)によって実現するのです。ボーガの道は無意識で、
 それゆえ反復し、長引きます。一方ヨーギの道は熟考さ
 れ、強烈で、それゆえより迅速なのです。
 マハラジ
 おそらくヨーギの期間とボーギの期間は交替するのだろう。
 まずボーギ、ヨーギ、そしてまたボーギ、ふたたびヨーギと。
 質問者 その目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 弱い欲望は内省と瞑想によって取り除かれる。
 しかし、強く、深く根づいた欲望は満たされ、その結果は甘かろ
 うと苦かろうと体験されなければならない。
 質問者 それでは、なぜ私たちはヨーギに敬意を払い、ボーギを
 軽んじるのでしょうか? ある意味では誰もがヨーギな
 のです。
 マハラジ
 人間的な価値の尺度では、意図的な努力は賞賛されるものと考え
 られている。
 実際には、ヨーギもボーギも機会と環境に合わせ、彼らの本質に
 したがっているのだ。
 ヨーギの人生はひとつの欲望、真実を見いだすことに支配されて
 いる。
 ボーギはたくさんのマスターに仕えている。
 しかし、ボーギはヨーギとなり、ヨーギはひと巡りしてボーギと
 なるかもしれない。
 最終的な結果は同じだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0434鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/11(金) 22:35:03.74ID:CfzAPVXC
実際には求めるものを知らない者達は長く苦しみ続けるだけなのじゃ。
迷いから迷いの世に何度も生まれかわるのじゃ。
今の世に求めるものを知っただけでも幸福なのじゃ。
0435名無しを整える。
垢版 |
2018/05/12(土) 05:47:30.29ID:fbmmMaf2
>>434
それが、無我、無認識であり、観念の向こう側にただ一つの意識のみがあるということであり、ニサルガさん的に言えば、真我、気づきのみがあると言うことでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0436名無しを整える。
垢版 |
2018/05/12(土) 06:00:07.77ID:fbmmMaf2
>>433
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
 話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
 れた、と伝えられています。この良き知らせは船荷の綿
 に火がつくことに匹敵します。ゆっくりと、しかし容赦
 なくそのすべては灰になるのです。同じように、悟りの
 良き知らせが遅かれ早かれ変容をもたらすでしょう。
 マハラジ
 そうだ。
 まず聞くこと(シュラヴァナ)、覚えること(スマラナ)、そし
 て熟考すること(マナーナ)など、私たちにはなじみ深い分野だ。
 知らせを耳にした人がヨーギとなる。
 残りの人たちはボーガを続けるのだ。
 質問者 しかし、川が大量の水を集めることで海への道を見いだ
 すように、死ぬために生まれ、生まれるために死ぬとい
 う世間的な平凡な人生を生きることは、その生きた総量
 によって、人を前進させるということに、あなたは同意
 しましたよ。
 マハラジ
 世界が存在する以前に、意識は存在していた。
 意識のなかに世界は存在を顕し、意識のなかで世界は維持され、
 純粋な意識のなかに世界は消え去る。
 すべての根底には、「私は在る」という感覚があるのだ。
 「世界は在る」はマインドの状態であり、二次的なことだ。
 なぜなら、私は存在するために世界を必要とせず、世界が私を必
 要とするからだ。
 質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
 マハラジ
 それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0437鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/12(土) 23:01:49.00ID:HRjjMVSw
>>435 そうじゃ、一心に追い求めるのじゃ。
 そうすれば求めていたものは私であったと気づくのじゃ。

 世界もまた観念であるから意識だけが在るとき消えうせるのじゃ。
0438名無しを整える。
垢版 |
2018/05/13(日) 10:07:14.50ID:EOXj19G0
> 質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
 話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
 れた、と伝えられています。
マハラジも、この質問を肯定的に受けて答えてますが、
仏陀は、意識における完全な逆転と変容である悟りと、言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0439名無しを整える。
垢版 |
2018/05/13(日) 10:32:34.99ID:EOXj19G0
>>436
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

(質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
 マハラジ
 それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。)

 質問者 石の自由ですか?
 マハラジ
 そう、石の自由、そしてより以上のものがそこにはある。
 限りなき自由と意識だ。
 質問者 体験を積むには人格が要求されるのでしょうか?
 マハラジ
 今のあなたのままでは、人格はただの障害にすぎない。
 身体との自己同一化は幼児にとってはいいかもしれないが、真の
 成長は身体との自己同一化を離れることにあるのだ。
 通常、人は人生の初期に身体的な欲望から成長し、脱却するもの
 だ。
 快楽を否定しないボーギでさえも、ひとたび味わったものを熱望
 したりはしない。
 習慣と欲望の反復はヨーギとボーギをともに挫折させる。
 質問者 なぜあなたは個人(ヴィヤクティ)を重要ではないとし
 て退けつづけるのでしょうか? 人格は私たちの存在に
 とって根本的な事実です。それは人生の舞台全体を占め
 るものです。
 マハラジ
 人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
 だの習慣だということを見抜かないかぎり、あなたは自分自身を、
 生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめ
 られる個人だと考えるだろう。
 あなた自身に尋ねなさい。
 「本当にそれはそうなのか?」「私は誰なのか?」「これらすべ
 ての背後とその彼方には何があるのか?」と。
 そうすれば、すぐに自分の過ちを見いだすだろう。
 見られることによって消え去るということが過ちの本性なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0440名無しを整える。
垢版 |
2018/05/13(日) 10:35:00.38ID:EOXj19G0
>>438
>意識における完全な逆転と変容である悟り
とは、無我のことを指していると理解すれば良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0441鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/13(日) 22:18:01.67ID:4wfFPqu9
>>438 そのようなことは言っていないのじゃ。
 なにやら誤謬があるようじゃのう。
 翻訳がおかしいのかもしれん。

>>440 そのようなものかもしれん。
 
0443名無しを整える。
垢版 |
2018/05/14(月) 07:20:27.62ID:fcFUzWbi
>>439
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】

 質問者 生きることの、生命そのもののヨーガは、いわゆる自然
 のヨーガ(ニサルガ・ヨーガ)と呼ばれるものです。そ
 れはマインドと生命の結婚として、『リグ・ヴェーダ』
 のなかの原初のヨーガ(アディ・ヨーガ)に記述されて
 いるものを思い出させます。
 マハラジ
 注意深く、完全な気づきのなかで生きられた生は、それ自体ニサ
 ルガ・ヨーガだ。
 質問者 マインドと生命の結婚とはどういう意味なのでしょうか?
 マハラジ
 自発的な気づきに生きること、努力のいらない生の意識、己の生
 に完全な興味を抱くこと――これらがみなそれに暗示される。
 質問者 ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー
 ・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの努力をよく叱
 ったそうです。彼女は、彼らを熟する前に摘み取られた
 マンゴーに比較して、「どうして急ぐの? あなたが完
 全に熟し、甘く、芳醇になるまで待ちなさい」とよく言
 ったそうです。
 マハラジ
 何と彼女は正しいことか!
 多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを
 昼と間違え、過剰な自尊心から彼の得たわずかばかりでさえも台
 無しにしているのだ。
 謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)
 にとって本質的なものだ。
 完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の
 発揮を許すことができるのだ。
 質問者 あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈
 黙を七年、十二年、あるいは十五年、または二十五年に
 わたってまでも守っていくといいます。バガヴァーン・
 シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、
 彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。
 マハラジ
 そうだ。
 内なる果実は熟さねばならない。
 それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることは必須となる。
 徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のない
 ものとなる。
 質問者 クリシュナムルティも気づきのなかに生きることを語っ
 ています。
 マハラジ
 彼はつねに究極を直指している。
 そうだ。
 あなたの言うとおり、究極的にはすべてのヨーガは意識(花嫁)
 と生命(花婿)の結婚であるアディ・ヨーガに行き着く。
 存在と意識(サット-チット)は至福(アーナンダ)のなかで出
 会うのだ。
 なぜなら、至福が現れるにはそこに出会いが、接触が、二元性の
 なかでの統合の主張がなければならないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0444鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/14(月) 21:51:54.42ID:/BJkq47Q
>>442 どういたしまして、またおいでなさい。


ヨーガとは結びつけるという意味なのじゃ。
精神わ対象に意識的に結びつける努力が初めに実践されるのじゃ。
やがてそれは無意識な努力にならなければ不死の境地にたどり着けないのじゃ。
0445名無しを整える。
垢版 |
2018/05/15(火) 06:57:25.05ID:OM/j5BBj
>>444
鬼和尚ありがとうであります。
精神わ対象に → 精神を対象に でありましょうか?
それは身体の部位に集中することでありましょうか。集中すること=気づいている毛とでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0446名無しを整える。
垢版 |
2018/05/15(火) 07:01:10.87ID:OM/j5BBj
>>443
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 ニルヴァーナ(涅槃)を達成するには、人は生きている
 存在へと進まなければならない、と仏陀もまた言ってい
 ます。意識は成長のために生命が必要なのです。
 マハラジ
 世界そのものが接触だ。
 世界はすべての接触の全体が意識のなかで実現されたものなのだ。
 魂が物質に触れて意識が起こる。
 この意識が記憶と期待に汚されるとき、束縛となる。
 純粋な体験は束縛しない。
 体験が欲望と恐れに捕らえられて不純になり、カルマをつくり出
 すのだ。
 質問者 統合のなかでの幸福がありえるのでしょうか? すべて
 の幸福は必然的に接触を暗示します。それゆえ、二元性
 を生みだすのではないでしょうか?
 マハラジ
 葛藤をつくり出さないかぎり、二元性には何の問題もない。
 争いのない多様性と多彩性は喜びだ。
 純粋な意識のなかには光が在る。
 暖かさには接触が必要だ。
 存在の統合の上に愛の統合がある。
 愛が二元性の意味と目的なのだ。
 質問者 私は養子です。実の父を私は知りません。私の母は、私
 が生まれたときに亡くなりました。子供ができなかった
 私の養母を喜ばせるために、養父が私を養子にしたので
 す。ほとんど偶然の出来事です。彼は純朴な人で、トラ
 ックの所有者であり運転手です。母は主婦をしています。
 私は今二十四歳で、この二年半の間、落ち着かず、探し
 求めながら旅をしてきました。私は良き人生、神聖な人
 生を送りたいのです。どうしたらいいでしょうか?
 マハラジ
 家に帰って父親の仕事を引き継ぎ、年老いた両親の面倒を見なさ
 い。
 あなたを待っているだろう女性と結婚し、誠実に、純朴に、謙虚
 に在りなさい。
 あなたの徳を隠し、静かに生きるがいい。
 五感と三つの質(グナ)があなたにとってヨーガの修練の八段階
 だ。
 そして「私は在る」が偉大な真言(マハー・ヴァーキャー)だ。
 あなたに必要なことはすべて、これから学ぶことができる。
 注意深く在り、絶え間なく探求しなさい。
 それだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0447鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/15(火) 21:10:52.64ID:r2p4nq7A
>>445 そうじゃ、精神を対象に集中するのじゃ。
 それは肉体の部位だけではないのじゃ。
 呼吸とか日月星とかにも集中するのじゃ。
 
 
0448名無しを整える。
垢版 |
2018/05/15(火) 22:00:22.31ID:OM/j5BBj
>>447
集中すること=気づきつづけることでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0449名無しを整える。
垢版 |
2018/05/16(水) 11:54:29.38ID:N1JoTGP5
>>446
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 もしただ自分の人生を生きることで解放されるならば、
 なぜ皆解放されないのでしょうか?
 マハラジ
 すべての生きるものたちは解放されている。
 あなたが何を生きるかではなく、どう生きるか、それが問題なの
 だ。
 真我の実現の概念がもっとも重要だ。
 そのような可能性があるということを知るだけで、その人の全視
 野が変化する。
 それはおがくずの山に火をつけるようなものだ。
 すべての偉大な師たちは皆そうしたのだ。
 真実の火花が偽りの山を焼き尽くす。
 その逆もまた真実だ。
 真実の太陽は、身体との自己同一化という雲の背後に隠されてし
 まうのだ。
 質問者 この悟りの良き知らせを広めることは、とても重要なこ
 とのようです。
 マハラジ
 そのことを聞くということ自体が、悟りを約束している。
 グルに出会うこと自体が解放の保証なのだ。
 完全なるものは生命を与え、創造的だ。
 質問者 賢者は「私は実現した」と考えることがあるのでしょう
 か? 人びとが彼を祭りあげることに彼は驚かされるの
 でしょうか? 彼は自分自身を普通の人間と見なしてい
 るのではないでしょうか?
 マハラジ
 普通でも特別でもない。
 ただ気づいていて、愛情深いのだ――強烈に。
 彼は自己定義にも、自己同一化にもふけることなく彼自身を見る。
 彼は世界から離れた彼自身を知らない。
 彼が世界なのだ。
 彼は絶え間なく自分の富を分け与えるとても裕福な人のように、
 完全に彼自身を除き去る。
 彼は裕福ではない、なぜなら彼は何ももっていないからだ。
 彼は貧困ではない、なぜなら彼は豊富に与えるからだ。
 彼はただ無所有なのだ。
 同様に、賢者は無我だ。
 彼は何とであれ自己同一化する能力を失ったのだ。
 彼は場所をもたず、時間と空間を超え、世界を超えている。
 言葉と思考を超えた者、それが彼なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0451鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/16(水) 21:50:04.34ID:/RXWzpMH
>>448 そうじゃ、それが出来ればよいのじゃ。

>>450 もはやなにものとも自己同一化しないのが無我なのじゃ。
 やろうとすれば仮に出来るがのう。
 それもまた観念のみの遊戯と知っているのじゃ。
0452名無しを整える。
垢版 |
2018/05/17(木) 21:13:07.80ID:teqNYShZ
>>451
仮にでもいいので、できたらいいなと思うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ
0453名無しを整える。
垢版 |
2018/05/17(木) 21:30:22.68ID:teqNYShZ
>>449
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 私にとっては深い神秘だとしか言いようがありません。
 私はただのシンプルな人間です。
 マハラジ
 深く、複雑で、神秘的で、理解し難いのはあなたのほうだ。
 あなたに比べれば、私はシンプルそのものだ。
 私は内面と外面、私のものとあなたのもの、善と悪といったいか
 なる区別もない、あるがままだ。
 世界であるものが私で、私であるものが世界なのだ。
 質問者 人がそれぞれ自分自身の世界をつくり出すとは、いった
 いどのように起こるのでしょうか?
 マハラジ
 数人の人が眠るとき、それぞれが彼ら自身の夢をみる。
 多くの異なった夢という疑問は目覚めとともにだけ現れ、それら
 はすべて夢、あるいは何か想像されたものとして見られたときに
 消え去る。
 質問者 夢でさえ根拠があります。
 マハラジ
 夢は記憶のなかにあるのだ。
 たとえそうだとしても、思い出されたものとは、もうひとつの夢
 にほかならない。
 偽物の記憶は、偽物をもたらすことしかできない。
 記憶自体に何も間違ったことはない。
 偽りはその内容にあるのだ。
 事実を覚え、意見は忘れなさい。
 質問者 何が事実なのでしょうか?
 マハラジ
 純粋な気づきのなかで、欲望と恐れから影響を受けずに知覚され
 たことは事実なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0454鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/17(木) 22:23:46.07ID:0r6LTw3Q
今目覚めて認識する世界もまた夢なのじゃ。
それは記憶に拠って作られているものじゃ。
欲も恐れもない気づきがそれを超えて真実を見出すことが出来るのじゃ。
0455名無しを整える。
垢版 |
2018/05/18(金) 21:55:53.95ID:LnT1wnXs
>>453
>私は内面と外面、私のものとあなたのもの、善と悪といったいか
 なる区別もない、あるがままだ。
 世界であるものが私で、私であるものが世界なのだ。
これ以上わかりやすい不二一元の分かりやすい説明はないでありましょう。
> 記憶自体に何も間違ったことはない。
 偽りはその内容にあるのだ。
 事実を覚え、意見は忘れなさ
これも分かりやすいでありますが、ニサルガさんは、難しいことを簡単に出来そうに言うのがうまいであります。
> 純粋な気づきのなかで、欲望と恐れから影響を受けずに知覚され
 たことは事実なのだ。
うむ。(´・(ェ)・`)つ
0456名無しを整える。
垢版 |
2018/05/18(金) 22:00:00.94ID:LnT1wnXs
>>453
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 * 訳注1 ニサルガ・ヨーガ 付録I参照。
 * 訳注2 ラーマクリシュナ・パラマハンサ 
 Ramakrishna Paramahansa (1836―1886)
 ベンガル地方出身の偉大なる聖者。ビジョンを通して
 の直接体験によって、世界中の主要な宗教が本質にお
 いてひとつであることを解き明かした。スワミ・ヴィ
 ヴェーカナンダの師でもある。
 * 訳注3 ヴァガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ
 Bhagavan Shree Ramana Maharsh(1879―1950)
 南インド、カミール・ナードゥ州のティルヴァンナー
 マライにある、聖なる丘アルナーチャラの麓にてその
 半生を送った、現代においてもっとも広く認識されて
 いる聖者。彼の沈黙の教え、「私は誰か?」という問
 を用いた明確で革新的な真我探求の方法と彼の聖者と
 しての生涯は、世界中の信奉者を引きつけている。
 * 訳注4 ジッドゥ・クリシュナムルティ
 Jiddu Krishnamurti(1895―1886)
 南インドのチェンナイ近郊に生まれる。一四歳のとき、
 未来の「救世主」として神智学協会のリードビーター
 によって発見され、英国にて英才教育を受ける。
 二七歳のとき神秘体験を持つ。後に救世主であること
 を否定し、精神的指導者、師といった一切の呼び名を
 拒絶して、ひとりの自由人として世界中を巡って講話
 をした。
 * 訳注5 ヨーガの修練の八段階
 アシュターンガ・ヨーガ Ashtanga Yoga
(一)ヤマ 非暴力、真実、不盗、独身生活、無所有
 といった善行の修養。
(二)ニヤマ 善行の尊守。
(三)アーサナ ヨーガの姿勢。
(四)プラーナーマーヤ
 呼吸の制御を通しての修練。
(五)プラティヤーハーラ 思考の制御。
(六)ダーラナー 意識をブラフマンドラ、頭頂点に
 集中させる修練。
(七)ディヤーナ 瞑想。
(八)サマーディ 瞑想の修養を通して得る三昧状態。
 ここでは、マハラジは五感と三つのグナ、つまり視覚、
 聴覚、味覚、臭覚、触覚の五感とサットヴァ、ラジャ
 ス、タマスの三つのグナがヨーガの八段階に代わると
 示唆している。
(´・(ェ)・`)b
(おわり)
これが、何の注なのかわからぬくまであります。
0457鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/18(金) 22:27:57.47ID:GLET+B3m
それは観察による段階じゃろう。
五感からグナわ観察する事で無我にもいたると言いたいのじゃな。
0458名無しを整える。
垢版 |
2018/05/18(金) 22:31:53.62ID:LnT1wnXs
>>456
うむ。本文の質問者が取り上げた賢者達の解説でありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0459名無しを整える。
垢版 |
2018/05/18(金) 23:08:38.95ID:LnT1wnXs
>>457
鬼和尚、ありがとうであります。
訳注5のことでありますね。
(´・(ェ)・`)b
0460名無しを整える。
垢版 |
2018/05/19(土) 08:43:35.71ID:arFU60gO
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】

 質問者 先日、私はあなたに二通りの成長の方法、放棄と悦楽(ヨーガとボ
 ーガ)について尋ねました。その違いはさほどのものではありませ
 んでした。ヨーギは楽しむために放棄し、ボーギは放棄するために
 楽しむのです。ヨーギはまず放棄をし、ボーギはまず楽しみます。
 マハラジ
 それが何だというのだね?
 ヨーガのことはヨーギにボーガのことはボーギにまかせておくがいい。
 質問者 私にはボーガの道のほうがより良いように見えます。ヨーギは熟し
 きらないマンゴーのように、未熟なまま木から切り離され、かごの
 なかに熟すまで保たれます。風通し悪く、加熱されて、塾しはしま
 すが本当の味と香りは失われてしまうのです。木に残ったマンゴー
 は完全なサイズで、色、甘さなど、あらゆる喜びをともなって成長
 します。それでも、どういうわけかヨーギはあらゆる称賛を受け、
 ボーギは非難を受けます。私の目にはボーギのほうがよりよく映る
 のです。
 マハラジ
 何があなたにそう言わせるのだろうか?
 質問者 私は多くのヨーギたちと、彼らの途方もない努力を見てきました。
 たとえ彼らが真我を実現したときでも、何かそこには苦く、厳しい
 ものがあります。彼らは一見、多くの時を三昧(ざんまい)状態の
 なかで過ごしているようですが、いざ話をすると聖典の引用をする
 ばかりです。そのようなジニャーニ(知者)たちは、もっとも良い
 ところで、完成されていても周囲にわずかな芳香を放つ小さな花の
 ようです。森林のように豊かで、多彩であり、巨大な、動きにあふ
 れる世界をもった何人かの人たちがいます。その違いには何らかの
 理由があるはずです。
 マハラジ
 あなたはすでに言ったではないか。
 あなたによればヨーガにおいて人は発育を妨げられ、ボーガにおいて育成す
 るのだと。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0461鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/19(土) 20:55:42.79ID:5EzgZIEz
誰でも楽な道を好むものじゃ。
しかし楽な道のほうが困難なのじゃ。
それを捨てることが難しくなるからのう。
0462名無しを整える。
垢版 |
2018/05/20(日) 08:37:50.70ID:by4zKdxn
>>460
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 そうではありませんか? ヨーギは人生を恐れ、平和を探し求めま
 す。一方、ボーギは冒険的精神いっぱいに前進するのです。ヨーギ
 は理想に束縛され、一方、ボーギはつねに探検する用意があります。
 マハラジ
 それは多くを望むか、わずかで満足するかという問題だ。
 ヨーギは野心的だが、ボーギは単に冒険的だ。
 あなたのボーギはより豊かで、もっと興味深いように見える。
 だが、実際はそうではないのだ。
 ヨーギは鋭いナイフの刃先のように、狭く局限される。
 深く、ためらいなく、数多くの偽りの層を誤ることなく貫くために、彼はそ
 うあらねばならないのだ。
 ボーギはたくさんの祭壇を崇拝する。
 ヨーギはただひとつ、彼の真我のみに仕えるのだ。
 ヨーギをボーギに対立させるのは、まったく無駄なことだ。
 外面へ向かう道(プラヴリッティ)は、かならず内面への道(ニヴリッティ)
 に先行するものだ。
 判定を下したり、採点したりすることはばかげている。
 すべてが究極の完成に貢献しているのだ。
 ある人びとは、実在には三つの層があると言っている。
 真理、智慧(ちえ)、至福だ。
 真理を求める者はヨーギとなる。
 智慧を求める者はジニャーニに、幸福を求める者は行動の人となる。
 質問者 私たちは非二元性の至福についての話を聞きました。
 マハラジ
 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。
 質問者 何がその違いを生みだすのでしょうか?
 マハラジ
 違いは与えることと、つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
 質問者 もしゴールに違いがないのなら、なぜ多様な道に区別をもうけるの
 でしょうか?
 マハラジ
 各人がそれぞれの自然な本性にしたがって行動するがいい。
 いかなる場合であっても究極の目的に仕えることだろう。
 あなたの識別や分類はまったく正しい。
 だが私にとって、それらは存在しない。
 何の根拠がなくとも、夢の記述は詳細で正確かもしれない。
 同じように、あなたの区別分類もまた、憶測に合わせたものにほかならない。
 ある概念からはじめて、異なった衣装をつけた同じ概念で終えただけだ。
 質問者 あなたはどのようにものごとを見るのでしょうか?
 マハラジ
 私にとっては、ひとつとすべては同じだ。
 同じ意識(チット)が存在(サット)と至福(アーナンダ)として現れる。
 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0463名無しを整える。
垢版 |
2018/05/20(日) 18:06:35.59ID:by4zKdxn
>>462
> 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。
・・・その違い
> 違いは与えることと、つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
←非二元だと一つだから与えるしかないなでありますね。
二元だと、つかみとるしかないのでありますね。
> 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。
←信心銘にもある言葉でありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0464名無しを整える。
垢版 |
2018/05/20(日) 18:11:03.11ID:by4zKdxn
>>463
> どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
とは、真理は一つだからでありましょうかね。
ただ、非二元の道の方が近道だよと言うことでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ
0465鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/20(日) 22:54:52.39ID:55JAzp5F
そうじゃ、最後まで行き着くことができれば一つなのじゃ。
途中でやめればいくつもあるようにみえるのじゃ。
それで争うのは愚かなことじゃ。
 
0466名無しを整える。
垢版 |
2018/05/21(月) 06:40:02.42ID:ghbxKp1E
>>462
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは動と不動の区別をつけています。
 マハラジ
 無区別は沈黙のなかで語る。
 言葉は区別をともなうからだ。
 非顕現(ニルグナ)は名前をもたない。
 すべての名前は顕現(サグナ)に属するからだ。
 言葉を超えた何かを表現するために、言葉で争うのは無意味なことだ。
 意識(チダーナンダ)は魂(プルシャ)であり、意識は物質(プラクリティ)
 でもある。
 不完全な魂が物質で、完全な物質が魂なのだ。
 はじまりがそうであるように、終わりもまたそうなのだ。
 すべてはひとつだ。
 すべての分割はマインド(チッタ)のなかにあり、実在(チット)のなかに
 分割はない。
 運動と休息はマインドの状態であり、互いに対極なしには存在できないのだ。
 それ自体では、何も動かず、何も休息しない。
 絶対的存在を精神的構造に帰属させることは悲惨な過ちだ。
 それ自体では、何ひとつ存在しないのだ。
 質問者 あなたは休息を至高の状態と同一化しているようですが。
 マハラジ
 マインドの状態(チダラム)としての休息があり、存在の状態(アートマラ
 ム)としての休息がある。
 前者は来ては去っていく。
 一方、真の休息は行為の本質そのものだ。
 あいにく、言語は精神的道具であるため、対立のなかでしか使うことができ
 ない。
 質問者 観照者としてのあなたは働いているのでしょうか、休息しているの
 でしょうか?
 マハラジ
 観照は体験であり、休息は体験からの自由だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0467鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/21(月) 22:53:25.75ID:b6hsfUy+
分別の中にだけ始まりとか終わりもあるのじゃ。
それは本来無いものじゃ。
観照すらも消えていくものなのじゃ。
0468名無しを整える。
垢版 |
2018/05/21(月) 23:20:00.64ID:ghbxKp1E
>>467
鬼和尚、ありがとうであります。
それが永遠無限と言うことでありますね。
それが真理であるような気がするくまであります。
(´・(ェ)・`)つ
0469名無しを整える。
垢版 |
2018/05/22(火) 07:47:16.42ID:HtNi130R
>>466
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 大海のなかで、波のざわめきが深海の静けさと共存するように、そ
 れらは共存できないのでしょうか?
 マハラジ
 マインドを超えたところに体験はない。
 体験とは二元的状態だ。
 実在をひとつの体験として語ることはできないのだ。
 ひとたびこれが理解されたならば、あなたはもはや在ることと成ることを分
 離し、対立したものとして追い求めたりはしないだろう。
 実際には、同じ木の根と枝のように、それらはひとつであり分割不可能だか
 らだ。
 そのどちらも意識の光のなかにのみ存在することができ、どちらも「私は在
 る」という感覚のなかに立ち現れる。
 これが基本的な事実であり、もしこれを逃したならば、すべてを逃すことに
 なる。
 質問者 存在の感覚は体験によってのみ生じるのでしょうか? 偉大な真言
(マハー・ヴァーキャー)、「タット・サット」(我はそれなり)
 は単なる思考の様式なのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、語られたことは言葉にすぎない。
 何であれ、考えられたことは思考にすぎない。
 真の意味は説明不可能だが、体験することは可能だ。
 マハー・ヴァーキャーは真実だが、あなたの観念は偽りだ。
 なぜなら、すべての観念(カルパナ)は偽りだからだ。
 質問者 「我はそれなり」という信念も偽りなのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 信念とは精神的状態だからだ。
 「それ」のなかに「私は在る」はない。
 「私は在る」という感覚が現れると、日が昇るとともに星が消え去るように、
 「それ」は光を奪われる。
 しかし、太陽とともに光が射し込むように、自己の感覚とともに至福(チダ
 ーナンダ)が訪れる。
 そして至福の原因を「私ではないもの」のなかに探求することによって束縛
 がはじまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0470鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/22(火) 22:25:51.60ID:ajjB/GjZ
>>468 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。

 真理を告げる言葉も、言葉としては嘘なのじゃ。
 観念であるからのう。
 ただ人を苦から解放し、悟りに導く故に真理といえるのじゃ。
0471名無しを整える。
垢版 |
2018/05/23(水) 07:01:41.04ID:8WvVGnZj
>>469
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 日々の生活のなかで、あなたはつねに実在の状態を意識しているの
 でしょうか?
 マハラジ
 意識もしなければ、無意識でもない。
 私に信念は必要ない。
 私は勇気を生きる。
 生命の愛である勇気が私の本質だ。
 私には記憶や不安がない。
 私が何であるか、あるいは何ではないかということには無関心だ。
 自己描写にふけったりもしない。
 「ソーハム」(我は彼なり)、や「アハム ブラーマスミ」(我は至高なる
 ものなり)といった偉大なマントラも無用のものだ。
 私には無として在る勇気がある。
 そして世界をあるがままに、無として見るのだ。
 シンプルに聞こえるだろう?
 試してみなさい!
 質問者 しかし、何があなたに勇気を与えたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの見方は何と倒錯しているのだろう。
 勇気は与えられる必要のあるものだろうか?
 あなたの質問は不安が正常で、勇気は異常だということを暗示している。
 それは反対なのだ。
 不安と期待は想像から生まれる。
 私はその両方から自由だ。
 私はシンプルな存在だ。
 何に寄りかかる必要もないのだ。
 あなたがあなた自身を知らないかぎり、存在があなたにとって何になるとい
 うのだろう?
 あなたのままで幸福であるには、あなた自身を知らなければならないのだ。
 在ることは、知ることとして輝く。
 愛のなかの暖かさ、それを知ることだ。
 それはみなひとつだ。
 あなたの分離を想像しておいて、疑問に頭を悩ませている。
 公式に関わりすぎてはならない。
 純粋な存在は描写できないものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0472鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/23(水) 22:00:31.42ID:+x6BK7N/
言葉にすれば観念になり、嘘になるものじゃ。
言葉の上でさまざまな分離や疑問が次々に生まれるのじゃ。
言葉を離れた境地を知るには実践する以外にないのじゃ。
0473名無しを整える。
垢版 |
2018/05/24(木) 06:54:51.91ID:CO+t+Ldq
>>471
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】

 質問者 それを知ることができ、楽しむことができないかぎり、私にとって
 は何の意味もありません。それはまず、私の体験の一部となるべき
 です。
 マハラジ
 あなたは実在を体験のレベルまで引き下げているのだ。
 どうして実在が体験に依存できるというのだろう?
 実在は体験の根底(アーダール)そのものなのだ。
 実在は体験の本質のなかにではなく、体験の事実のなかにある。
 体験は、つまりマインドの状態なのだ。
 一方、在ることは明らかにマインドの状態ではない。
 質問者 またもや私は混乱しています! 在ることは知ることから分離して
 いるのでしょうか?
 マハラジ
 分離は見かけだけだ。
 夢が夢見る人から離れてはいないように、知ることも在ることから離れては
 いない。
 夢は夢見る人であり、知識は知る人なのだ。
 区別は単に言葉の上にあるだけだ。
 質問者 私には今、サット(存在)とチット(意識)がひとつだとわかりま
 す。しかし、アーナンダ(至福)はどうでしょうか? 存在と意識
 はつねに一緒です。しかし、至福はごくまれに、瞬間ひらめくだけ
 です。
 マハラジ
 存在の静かな状態が至福なのだ。
 乱された状態が世界として現れる。
 非二元性のなかには至福がある。
 二元性のなかには体験がある。
 来ては去っていくのは苦痛と快楽の二元性の体験だ。
 至福とは知られるものではない。
 人はつねに至福なのだ。
 しかし、けっして至福に満ちているのではない。
 至福とはひとつの属性ではないのだ。
 質問者 もうひとつ質問があります。あるヨーギたちは目標を達成しますが、
 ほかの人たちの役には立ってはいません。彼らは知らないのか、あ
 るいは分かちあうことができないのです。もっているものを分かち
 あうことのできる人たちは、ほかの人びとに教えを授けます。違い
 はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 何の違いもない。
 あなたのアプローチが間違っているのだ。
 助けるべきほかの人びとはいない。
 ある裕福な人は全財産を彼の家族に投げ出し、乞食に与える一枚の貨幣さえ
 もない。
 賢者(ジニャーニ)も彼のすべての力と所有物を捨て去り、何も、文字どお
 り何も彼について言えることはないのだ。
 彼は誰も助けることはできない。
 なぜなら、彼がすべての人だからだ。
 彼がその貧しい人であり、その貧困なのだ。
 彼が泥棒であり、また盗みなのだ。
 彼はそれらと分かたれてはいない。
 どうして彼に助けることができるだろうか?
 世界から分離していると考えている人に世界を助けさせればいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0474鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/24(木) 21:47:06.51ID:SYcDe6uN
そうじゃ、実践によってのみ人は自らを救えるのじゃ。
百万人の目覚めた者も自ら実践しない者を救うことは出来ないのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 
0475名無しを整える。
垢版 |
2018/05/25(金) 05:56:08.32ID:u1HNZyT4
>>473
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 それでも二元性はあり、悲しみはあり、助けの必要はあります。そ
 れを夢として放棄することでは何も達成されません。
 マハラジ
 ただひとつ助けとなること、それは夢から目覚めることだ。
 質問者 それには目覚めた人が必要とされます。
 マハラジ
 その人もまた夢のなかにいる。
 目覚めた人が終焉(しゅうえん)のはじまりを意味している。
 永遠の夢などないのだ。
 質問者 たとえ、それにはじまりがないとしてもでしょうか?
 マハラジ
 すべてはあなたとともにはじまるのだ。
 何かほかにはじまりのないものがあるだろうか?
 質問者 私は誕生とともにはじまりました。
 マハラジ
 それはあなたが聞いた話だ。
 そうではないかね?
 あなたははじまりを見たのかね?
 質問者 私はたった今、はじまりました。それ以外はすべて記憶です。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 はじまりなきものは永遠にはじまる。
 同じように私は永遠に与え続ける。
 なぜなら私は何ももっていないからだ。
 無として在り、何ももたず、自分自身のために何も蓄えないことは、最高の
 寛容さなのだ。
 質問者 自己への関心は残っていないのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、私は自己への関心をもっている。
 しかし、すべてが自己なのだ。
 実際それは、尽きることのない普遍的な善意の形をとっている。
 あなたはそれをすべてに行きわたり、すべてを救済する愛と呼ぶかもしれな
 い。
 そのような愛は、行動しているという感覚をもたないにもかかわらず、最高
 に活動的なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0476名無しを整える。
垢版 |
2018/05/25(金) 05:59:22.12ID:u1HNZyT4
>>475
> 質問者 私はたった今、はじまりました。それ以外はすべて記憶です。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 はじまりなきものは永遠にはじまる。

なるへそへそのごま!
それが永遠と言うことなのでありますね!
(´・(ェ)・`)b
0477鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/25(金) 22:42:01.94ID:DeBhUmKV
そうじゃ、刹那に生じ、刹那に滅しているのじゃ。
全てが常に新しく変化しているのじゃ。
それが止まらない道なのじゃ。
0478名無しを整える。
垢版 |
2018/05/26(土) 10:48:21.85ID:siXAy8Bq
『I AM THAT 私は在る』
【28 すべての苦しみは欲望から生まれる】

 質問者 私は遠い国からやって来ました。ある内的体験をしたのですが、あ
 なたの言葉をうかがいたいのです。
 マハラジ
 もちろん。
 あなたはあなた自身を知っているだろうか?
 質問者 私はこの身体ではなく、マインドでもありません。
 マハラジ
 何をもってあなたはそう言うのだろうか?
 質問者 私が身体だとは感じないのです。私はあらゆるところに在るように
 感じられるのです。マインドに関しては、私はマインドのスイッチ
 を入れたり切ったりすることができ、それが私をマインドではない
 と感じさせるのです。
 マハラジ
 あなたが自分自身を世界のあらゆるところに感じるとき、あなたは世界から
 分離しているのだろうか、それともあなたが世界なのだろうか?
 質問者 その両方です。ときどき、私はマインドでも身体でもなく、すべて
 を見るひとつの目だと感じます。私がより深くそのなかに入ってい
 くと、私自身が見るものすべてとなり、世界と私はひとつになりま
 す。
 マハラジ
 よろしい。
 欲望はどうだろう?
 あなたには欲望があるだろうか?
 質問者 はい。それは短い間訪れ、表面的なものです。
 マハラジ
 では、それをどうするのかね?
 質問者 私に何ができるというのでしょう? それは来ては去っていくもの
 です。私はそれを見るだけです。ときおり、私は身体とマインドが
 携わって、それを満たすのを見ます。
 マハラジ
 誰の欲望が満たされるのだろう?
 質問者 それは私の住む世界の一部です。樹や雲がそこにあるように。
 マハラジ
 それは何か不完全さの証拠ではないだろうか?
 質問者 いいえ。欲望はただ欲望なのです。そして私はただ私のままです。
 どうして欲望の出現と消滅が私に影響を与えられるでしょう? も
 ちろん、それはマインドの形態と内容に影響しますが。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0479鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/05/26(土) 21:57:46.28ID:UlexXvgn
かなり進んでいるようじゃ。
サマーディには達しているのじゃ。
0480名無しを整える。
垢版 |
2018/05/27(日) 08:14:35.50ID:iyR1IOoH
>>478
『I AM THAT 私は在る』
【28 すべての苦しみは欲望から生まれる】(つづき)

 マハラジ
 よろしい。
 あなたの仕事は何かね?
 質問者 保護観察官です。
 マハラジ
 それはどういったものだね?
 質問者 少年犯罪者が保護観察期間の終えると、ある特別監察官が彼らの行
 動を見守り、職業訓練や仕事の世話をするのです。
 マハラジ
 あなたは働かなければならないのかね?
 質問者 誰が働くのでしょうか? 仕事はただ起こるのです。
 マハラジ
 仕事をする必要があるのかね?
 質問者 彼らは私を必要としているのかもしれません。彼らの運命が、私に
 この仕事をさせるのです。生はひとつです。
 マハラジ
 あなたはどうやって現在の状態に行き着いたのだろうか?
 質問者 シュリー・ラマナ・マハルシの教えが私を導いてくれたのです。そ
 してダグラス・ハーディングという人が、どのように「私は誰か?」
 に働きかけるかを教え、助けてくれたのです。
 マハラジ
 それは突然だったのだろうか、あるいは段階的だったのだろうか?
 質問者 それはまったく突然でした。何かまったく忘れ去ってしまったこと
 が、記憶に戻ってきたように。あるいは突然のひらめきの理解のよ
 うでした。「何とシンプルだろう」と私は言ったのです。「何とシ
 ンプルだろう。私は、私が考えていたものではなかった! 私は知
 覚されるものでも、知覚する者でもない。私はただ知覚することな
 のだ」と。
 マハラジ
 知覚することでさえない。
 だが、それらすべてを可能にするものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況