>>355
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 現実の体験のなかでは、どのようにして内面を外面から
 見分けるのでしょうか?
 マハラジ
 内面はインスピレーションの源だ。
 外面は記憶によって動かされる。
 源をたどることは不可能だが、すべての記憶はどこかから始まる。
 このようにして外面はいつも決定されるが、内面を言葉でつかむ
 ことはできない。
 知覚されるものは一時的で、はかなく、それゆえ実在ではないと
 いうことを忘れ、内面を、何かつかみ取れるものと想像すること
 のなかに弟子の過ちがある。
 知覚を可能にするもの、ただそれだけが真実なのだ。
 生命あるいはブラフマン、何であれあなたの好きな名前で呼ぶが
 いい。
 質問者 生命はその自己表現のために身体をもたなければならな
 いのでしょうか?
 マハラジ
 身体は生きることを求めている。
 生命が身体を必要としているのではなく、身体が生命を必要とし
 ているのだ。
 質問者 生命は意図的にそうするのでしょうか?
 マハラジ
 愛は意図的に行動するだろうか?
 そうだとも、そうでないとも言える。
 生命は愛であり、愛は生命なのだ。
 身体をひとつに保ちつづけるのは、ほかでもない愛だ。
 欲望は自己愛以外の何ものでもない。
 恐れとは守ろうとする衝動以外の何ものでもない。
 そして知識とは真理への愛にほかならない。
 方法や形態は間違っているかもしれない。
 だが、その背後にある動機はいつも愛なのだ。
 私と私のものへの愛。
 私と私のものは小さなものかもしれない、あるいは爆発し、宇宙
 を抱擁するかもしれない。
 だが愛は残る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)