>>353
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】

 質問者 ヨーガの修練はつねに意識的なものでしょうか? それ
 とも気づきの境界下にあるまったく無意識的なものでし
 ょうか?
 マハラジ
 初心者にとってヨーガの修練は、しばしば熟考され、偉大な決意
 を要するものだ。
 だが、すでに何年も誠実に修練を培(つちか)ってきた者たちは、
 意識していようがいまいが、いつも真我の実現を念頭においてい
 る。
 無意識のサーダナ(修練)はもっとも効果的だ。
 なぜならそれは自発的で、変わらず続いていくからだ。
 質問者 ヨーガのまじめな弟子だった者が、何年か後に挫折し、
 すべての努力を放棄した場合はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 ある人がすること、あるいはしないことを、私たちはしばしば見
 誤ることが多い。
 彼の見かけの無関心さは、ただ力を蓄えているだけなのかもしれ
 ない。
 私たちの行動の原因は実にとらえがたいものだ。
 非難したり賞賛したりすることさえも急いではならない。
 ヨーガとは内面の自己が、外面の自己に働きかけることだと覚え
 ておきなさい。
 外面の自己のすることは、内面の自己への反応にすぎない。
 質問者 それでも、外面の自己は助けになります。
 マハラジ
 それがどれほどの助けになるというのだろう?
 身体を抑制し姿勢や呼吸を改善することはできる。
 マインドの思考や感情においては何の制御もできない。
 なぜなら、制御すること自体がマインドだからだ。
 外面を制御できるのは内面なのだ。
 外面はそれに従うならば賢明といえるだろう。
 質問者 もし霊的成長の原因が究極的に内面にあるとするなら、
 なぜそれほどまで外面への働きかけが勧められ、奨励さ
 れるのでしょうか?
 マハラジ
 外面は静かに在ることで、欲望と恐れから自由になることを助け
 る。
 あなたも気づいたかもしれないが、外面へのアドバイスはつねに
 否定の形を取っている。
 何々をしてはならない、やめなさい、差し控えなさい、あきらめ
 なさい、犠牲にしなさい、明け渡しなさい、偽りを偽りと見なさ
 い。
 実在の小さな描写さえ否定を通してなされる――「これではない、
 これではない」(ネティネティ)と。
 すべての絶対性が実在に対するように、すべての肯定性は内面の
 自己に属するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)