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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2
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0001名無しを整える。
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2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ
0035名無しを整える。
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2018/01/07(日) 15:08:36.44ID:fn0tE7QK
>>34
1131
ピンギヤ学生が、彼の師匠のバーヴァリ・バラモンのもとに帰り、師匠の質問を交えて、ブッダの説法を報告とする。
120歳のピンギヤさんがブッダのもとにたどり着いたと同様に、師匠のもとに帰って行った困難を思わずに、この偈を読むことはできない。

注釈書の解説によると、「世尊が『彼岸に到る道』の説法をすると、一万六千人の結髪者たちが阿羅漢の境地を得て、残りの一億四千万を数える神々や人間達に法の領解があった」と記されているから、
そのような噂は既にバーヴァリ・バラモンのもとに届いていたのではないかと思われる。
ピンギヤさんは師匠との約束を守り、師匠のもとに帰り、報告を始める。「<彼岸に至る道>をわたくしは読誦しましょう。」と述べ、「無垢で叡智ゆたかな人(ブッダ)は、みずから観じたとおりに説かれました。」と報告する。
ここでピンギヤさんは「そのようなブッダが偽りを言うはずがありません。」と述べると、バーヴァリ・バラモは、その話を聞きたいという想いがさらに募った。

1132
垢と迷いを捨て去って、高慢と隠し立てとを捨てている方。
垢とは、心の汚れで煩悩を意味している。迷いは、mohaの訳で暗愚、愚鈍、愚痴などの意味を含んでいる。
「高慢」と「隠し立て」を捨てていることに注目している。「高慢」とはmnaの訳だが、一般的には慢と訳され、阿羅漢になるまで残っている根強い煩悩の一つ。
「隠し立て」はmakkhaの訳だが、恩義を踏みにじる、他人の善を無視するという意味。他人を正しく評価するということになる。

1133
「バラモンよ」はピンギヤさんの師匠であるバーヴァリ・バラモンを指す。
「暗黒を払う人」。暗黒とは無明、無知を意味する。闇の中で明かりをともし、周りがすべて見える状態になった人。
「目覚めた人」。真実を自覚している人。私達は起きている状態の時は目覚めていないとは思ってはいないが、目覚めた人から見れば、夢を見ている状態。夢の中でライオンに遭遇していても、眼が醒めればライオンはいないようなもの。
凡夫の見ている世界は夢のようなもの。
「あまねく見る人」。凡夫は、いつも自分の周りの一部分しか見ていない。ブッダはすべてを見ている。
「世間の究極に達した人」。世間解とも言われるが、世間のすべてに通じるようになると世間を超えたことが解るようになる。
例えば、無限というものは理解できないものだが、有限の世界を完全に理解すると、無限が分かるというようなもの。
「一切の迷いの生存を超えた人」。迷いの生存とは、天界、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄の輪廻の世界での生存を言う。それを超えた人とは解脱した人。
「汚れのない人」。煩悩のない人。
「一切の苦しみを捨てた人」。一切の苦しみは無明、渇愛から生まれますから、無明、渇愛をなくした人。
「真に<目ざめた人>(ブッダ)と呼ばれるにふさわしい人=真理を呼び名とする方」。真実の人と呼ばれるのにふさわしいという人。
そのような人の側に近づき、説法を聞き、その教えを実践したのですとその感動を師匠に伝えた。
(´・(ェ)・`)つ
0036名無しを整える。
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2018/01/07(日) 15:24:11.69ID:fn0tE7QK
>>34
1134
ピンギヤさんは、鳥は餌になる木の実や果物がない森から離れて、食べ物になる果実の豊富な森に住むように、
修行者である自分は智慧ない人々から離れて、白鳥のように、大海原のような智慧のあるブッダのもとに到着しましたと述べた。

1135
ヘーマカ学生の偈1084 参照。
伝聞では、確かな確証はない。事実に基づかない思考は砂上の楼閣。迷いの世界からは抜け出ることはない。事実はどうか明確にして、真理を追究することが大切。

1136
彼岸(涅槃)への道は、独りで歩むもの。
暗黒を払うとは、無明を破ること。無明はすべての煩悩の元にあるものであり、すべての煩悩の親玉。無明が破れれば、すべての煩悩はなくなる。すべての煩悩がなくなれば、解脱。もう輪廻を繰り返すことはない。
解脱した人は光輝く人であり、光の担い手。その意味は他の人の道しるべになるということ。ゴータマ・ブッタはまさにそのような方。
「智慧ゆたかな人」と「叡智ゆたかな人」の違いはよく分からないが、ゴータマ・ブッダの智慧が世間の知恵以上の世間の智慧を超えた出世間の知恵の持主であることを称賛しているのだと思われる。

1137
世尊の説かれた法と特徴は、「法の六徳」として仏教徒に常に唱えられる言葉があるが、この偈では、そのままの言葉、或は異なる言葉で述べられている。sandihikaは「即時に効果の見られる。」そしてaklikaは「時を要しない。」
さらに、Tahakkhayaは「渇愛の滅尽」が、これは涅槃に導く教えということ。
また、antikaは「無災の、安全な、息災の」である教えという意味。このような教えを説く方は、他にはいないとピンギヤは最高の称賛をブッダに対して述べた。

1138、1139
ピンギヤさんの師匠であるバーヴァリ・バラモンは、ピンギヤさんに問いかける。「ピンギヤよ。そなたは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができるのか?」と

1139は、1137とme(わたくしに)がte(そなたに)に入れ替わった以外はすべて同じ言葉。バーヴァリ・バラモンもピンギヤさんと同じ評価をゴータマ・ブッダに対して行った。

(´・(ェ)・`)つ
1140解説は次回。
0037名無しを整える。
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2018/01/07(日) 18:41:23.11ID:fn0tE7QK
鬼和尚の仏教勉強会 購読ゼミバックナンバー
1)「潜在意識、マーフィーの法則」(くまのへっぽこ脱出大作戦)
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/199
2)「マハムドラ-の詩」>>305
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/305
3) 「信心銘 」>>389
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/389
4)「真理のことば(ダンマパダ)」>>562
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/562
5)ブッダのことば(スッタニパータ)>>782
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1491878919/782
スッタニパータ、533番〜1072番
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/1

(´・(ェ)・`)つ
0039名無しを整える。
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2018/01/08(月) 08:38:54.42ID:aioyVsIE
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、18、一六学生の質問の結語

1140 (ピンギヤがいった)、「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。

1141 まのあたり即時に実現される、時を要しない法、すなわち煩悩なき<妄執の消滅>、をわたくしに説示されました。かれに比すべき人はどこにも存在しません。

1142 バラモンさま。 わたくしは怠ることなく、昼夜に、心の眼を以てかれを見ています。かれを礼拝しながら夜を過ごしています。ですから、わたくしはかれから離れて住んでいるのではないと思います。

1143 信仰と、喜びと、意と、念いとが、わたくしを、ゴータマの教えから離れさせません。どちらの方角でも、智慧豊かな方のおもむかれる方角に、わたくしは傾くのです。

1144 わたくしは、もう老いて、気力も衰えました。ですから、わが身はかしこにおもむくことはできません。しかし想いを馳せて常におもむくのです。バラモンさま。わたくしの心は、かれと結びついているのです。

1145 わたくしは汚泥の中に臥してもがきながら、洲から洲へと漂いました。そうしてついに、激流を乗り超えた、汚れのない<完全にさとった人>(正覚者)にお会いしたのです。」

1146 (師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」

1147 (ピンギヤはいった)、「わたくしは聖者のことばを聞いて、ますます心が澄む(=信ずる)ようになりました。さとった人は、煩悩の覆いを開き、心の荒みなく、明察のあられる方です。

1148 神々に関してもよく熟知して、あれこれ一切のことがらを知っておられます。師は、疑いをいだきまた言を立てる人々の質問を解決されます。

1149 どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地に、わたくしは確かにおもむくことでしょう。このことについて、わたくしには疑惑がありません。わたくしの心がこのように確信して了解していることを、お認めください。」

<彼岸に至る道>の章おわる

八回にわたって誦える分量ある聖典のスッタニパータ終る。
【おわり】
0040名無しを整える。
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2018/01/08(月) 08:51:17.80ID:aioyVsIE
1140、1141
ピンギヤさんはゴータマ・ブッダから遠くに離れた所に住んでいたのに、その答えの言葉は「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。」であった。

1142
ピンギヤさんは、「昼夜に怠ることなく心の目で彼(ブッダ)を見ています。」という。更に「かれを礼拝しながら夜を過ごしています。ですから、わたくしはかれから離れて住んでいるのではないと思います。」と述べた。
実際の距離の問題ではない。心が離れているかどうかという問題。
ダンマパダ296参照。

1143
「信仰と、喜びと、意(こころ)と念(おも)い」でゴータマ・ブッダを見ている。
信仰とは、仏教では信仰と言った場合、それは決して盲信ではない。理解に基づく確信。
ピンギヤさんは、智慧ゆたかな、叡智ゆたかなブッダの説法を聞いて揺るがない確信を得た。だから彼はブッダを信仰によって見て、ま近くに住んでいるのである。
また、彼はブッダの説法を聞いて感動した。その時の喜びは消えることはない。彼はブッダを喜びによって見て、ま近に住んでいるのである。
更に、彼はブッダの説法を聞いて、意(こころ)が変わった。ピンギヤさんの心はブッダの心と一つになった。だから、彼はブッダから離れて住んではいない。
念(sati)は、気づきという意味もあるが、記憶という意味もある。
ここでも、もちろん気づき、よく気をつけていると理解しても良いが、ブッダとの出会いの記憶とその一部始終によってピンギヤさんはブッダを見て、ブッダと共に住んでいるのだとも考えられる。
このように、ピンギヤさんは信仰と、喜びと、意と、念いによってブッダを見て、共に住んでいた。

1144
120歳のピンギヤさんの心情がその通りに表現されている。「わたくしの心は、かれ(ブッダ)と結びついているのです。」と断言されている。

1145
「汚泥の中=汚泥」は、この世の中を意味している。実は多くの人々はこの世の中を汚泥とは思っていない。この世の中に期待して、楽しみを見つけ、楽しく生きたいと思っている。
ブッダは生きることは苦しみであると教えているが、人々はそれを理解しない。しかし、ピンギヤさんはこの世の中で生きることの真実を理解し、世を厭う気持ちを「わたくしは汚泥の中に臥してもがきながら」と表現した。
「洲から洲へ」の「洲」とは教師を意味している。ピンギヤさんはある教師から、また他の教師に教えを求めて漂ったと述べている。
そして、最後に「激流を乗り超えた、汚れのない<完全にさとった人>(正覚者)=激流を超えた、煩悩なき正覚者(ブッダ)」に会うことが出来たのだと、ブッダを称賛し、感動し、その喜びを述べた。

(´・(ェ)・`)つ
0041名無しを整える。
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2018/01/08(月) 12:14:02.36ID:aioyVsIE
>>39
1146
ブッダがピンギヤさんと彼の師匠であるバーヴァリ・バラモンの前に現れ、この偈を唱えた。
この偈に述べられた人名について説明する。
「尊者ヴァッカリは王舎城の陶工の家に住し、病苦に悩んでいた。
時に彼の願いによって世尊は彼を見舞い、『法(真理)を見る者は私を見る。私を見る者は法を見る。』といい、色受想行識の無常・苦なることを教える。
その後、彼を見舞った比丘たちに向って、「世尊に礼拝し、色受想行識の無常・苦なること、それに対して自ら欲なく執着のないことを疑わない」ということを、世尊への伝言として述べてから、刀を取って自殺したという。」
(南伝十四、188〜195頁。或は、春秋社の原始仏典U相応部第三巻217〜227頁)
バドラーヴダについて。バーヴァリ・バラモンの弟子の一人で、十二番目の質問者。彼の信については何も述べられていない。
アーラヴィ・ゴータマについては、ここ以外には何も分からないと注釈書に述べられている。
この偈の訳で問題になる所がある。muttasaddho及びpamucassu saddhaの訳である。中村先生はそれぞれ、「信仰を捨て去った」「信仰を捨て去れ」と訳されている。
正田先生はそれぞれ「解き放たれた信ある者」「信を解き放ちなさい(信仰を依存の対象にしてはならない)」と訳されている。
ところが、注釈書では、「信を寄せていた」「信を寄せよ」と訳されている。また、宮坂宥勝訳「ブッダの教え」(法蔵館)では「信仰を起こした」「信仰を起こすがよい」となっている。
表面的に読めば、中村訳と注釈書及び宮坂訳では反対の意味になる。正田訳は直訳で、その中間と見て良い。中村先生は、いわゆる信仰の問題点を強調する意味で「信仰を捨て去れ」と訳された。
しかし、伝統的な注釈書では、信仰はブッダもその重要性をたびたび強調されておるので、「信仰を捨て去れ」とは訳すわけには行かなかったのだと思われる。

1147
聖者の言葉とは何か? これは当然、1146偈のブッダの言葉。そうすると1146で問題にした「muttasaddho」及び「pamucassu saddha」を言っているのだと思われる。
仏教における「saddh」の意味は、盲信でなく、理解に基づく確信であると説明されるが、更に本質的には、他者(神など)を信じるということではなく、自分自身を信じることである思われる。
では自分自身の何を信じることかと言えば、覚悟或は決意である。更に具体的には自分が解脱することを信じること。自分が解脱することを信じることがない者は解脱しない。
宝経の7番目の偈(スッタニパータの228)には「堅く決意し、ゴータマ(仏陀)の教えに基づきよく励み」、このように実践した人が阿羅漢になったと述べられている。
覚悟や決意の重要性が述べられている。これが仏教における「信」である。
ブッダはこのことを、「解き放たれた信ある者」「信を解き放ちなさい」(正田訳:直訳)と述べたので、ピンギヤさんはますます浄信するようになり、このような表現をするブッダを
「明察のあられる方=即応即答〔の知慧〕ある方=弁才ある方」であると述べたのであろう。

(´・(ェ)・`)つ
0042名無しを整える。
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2018/01/08(月) 12:24:23.61ID:aioyVsIE
>>39
1148
Adhideveは中村先生は「神々に関して」と解されているが、注釈書では「神を超えたもの」の意であるとしてある。いずれにせよ、一行目、二行目の意味は神を超えたものや、その他あれこれ一切のものを師(ブッダ)は熟知していますという意味。
三行目と四行目は、注釈書には「疑問があっても(ないと)公言する人たちの質問を、(大)師は終わらせるのです。」と記されている。
少しややっこしく書いてあるが、ブッダは人々のどんな質問も最終的な結論を出すことができるということだと思われる。

1149
スッタニパータの最後の偈にふさわしく、仏教の信について述べられている。「どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地」とは涅槃の境地だが、ピンギヤさんはこの境地に到ることを確信した。
そして、彼は「このことについて、わたくしには疑惑がありません。」と明言した。これこそが仏教の信である。


ブッダのことば(スッタニパータ)
おわり
(´・(ェ)・`)つ
0043名無しを整える。
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2018/01/08(月) 21:15:01.08ID:aioyVsIE
明日からは、『I AM THAT 私は在る』ゼミを始めるであります。
(´・(ェ)・`)つ
0045名無しを整える。
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2018/01/08(月) 23:29:43.07ID:aioyVsIE
>>44
鬼和尚、こんばんは。
「私は在る」ゼミは、DAT落ちしないように、1年くらいかけてゆっくり進めるであります。
終わったらもう一度、スッタニパータを、できたら、鬼和尚に解説をお願いして、ゆっくり読んでみたいであります。
(´・(ェ)・`)つ
0046名無しを整える。
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2018/01/09(火) 18:26:49.28ID:b3nlktBh
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】

 質問者 毎朝、目覚めとともに世界が突然現れるのは、日々体験することです。それはいったいどこからやってくるのでしょうか?
 マハラジ
 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。
 質問者 目覚める前、私は無意識でした。
 マハラジ
 どういう意味だろう?
 忘れてしまったのか、それとも体験しなかったのだろうか?
 たとえ無意識のときでも、あなたは体験しないと言えるだろうか?
 記憶の忘却、それが存在していないことの証明になるだろうか?
 あなたが存在していなかったと、実際の体験として語ることができるだろうか?
 マインドが存在しなかったと言うことさえできない。
 呼びかけられて、あなたは目を覚ましたのではなかったか?
 そして、目覚めて最初に起こった感覚は、「私は在る」(I AM)ではなかっただろうか?
 眠り、または気絶の間にも、意識の種子は存在していたはずだ。
 目覚めの時の体験は、「私は在る―身体―世界」とつながっていく。
 それは連続して起こるように見えるが、実際には、世界の中で身体をもつというひとつの観念として、すべて同時に起こるものだ。
 誰かとして在ることなく、「私は在る」という感覚がありうるだろうか?
 質問者 私はつねに記憶と習慣をもった「誰か」です。それ以外の「私は在る」を私は知りません。
 マハラジ
 何かがあなたを知ることから妨げているのだろうか?
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく
0047名無しを整える。
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2018/01/09(火) 18:46:31.84ID:LOKriScE
マハラジの後期の言語録を読みましたが
「I AM」という認識が根源的な幻想であり
その痕跡が一切無い「THE ABSOLUTE」が私でありあなたである
と繰り返し言ってましたね
0048名無しを整える。
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2018/01/09(火) 18:48:00.41ID:b3nlktBh
>>46
> 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。
この「誰か」「背景」が意識であり、真我でありましょうか?
で、意識、真我は、特定されるものではなく、全てであるということでありましょうか?
で、それは、思考、感覚、感情など何でも映し出すスクリーンみたいなものと言う理解で良いのでありましょうか?
で、もしそうなら、真我を意識と読み替えても良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0049鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/09(火) 21:56:06.27ID:3yM/3APu
それは意識では有るが真我とは言えないのじゃ。
アートマンはそれに至る方法なのじゃ。
心臓に集中することによりアートマンは見出されるのじゃ。
そして無我になり、認識をも滅して全てが意識であると感じるようになるのじゃ。
0050名無しを整える。
垢版 |
2018/01/09(火) 23:37:58.11ID:b3nlktBh
>>49
「真我」=「アートマン」は、全ては意識であると言うときの「意識」ではない。

修行の過程で見出だされる、「…でない」によってのみ定義される「アートマン」を介して、その何者でもないアートマン=「無我」に至ると言う理解でよいでありましょうか?
以前もお尋ねしたことでありますが、アートマンとは、「…でない」によってのみ定義されるものでありますから、結局、アートマンはあると言っても、「無我」と言っても同じことであると言う理解でよいのでありますね。
マハラジは、そのことを、無我と言う言葉を使わず、真我と言う言葉で語っているのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0051名無しを整える。
垢版 |
2018/01/10(水) 00:17:03.76ID:yqRfsOmv
>>47
痕跡が一切無い「THE ABSOLUTE」= 「…でない」によってのみ定義されマン、でありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ
マハラジの言葉は、わくわくするであります。
0053名無しを整える。
垢版 |
2018/01/10(水) 12:51:47.49ID:4CwEZxpc
>>51
マハラジの言葉は鋭いですね
禅師のような感じを受けます

マハラジは
言葉なしの「I AM」をアートマンや意識
それを超えたものをパラマートマン、パラブラフマン、「THE ABSOLUTE」など
としているようです
0054名無しを整える。
垢版 |
2018/01/10(水) 18:39:15.27ID:yqRfsOmv
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 マハラジ
 ・・・・・・
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?
 質問者 彼らの指導のもとにその知識の源泉を探るでしょう。
 マハラジ
 あなたにとって、あなたが単なる身体にすぎないのか、あるいは何かそれ以外のものなのかを知ることは、重要ではないだろうか?
 あるいはまったく何ものでもないかもしれないということを?
 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去るのだ。
 質問者 私がこの身体ではないと知ることが何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体ではないと言うことでさえ、まったくの真実とは言えない。
 ある意味では、あなたはあらゆる身体、ハート、マインドのすべて、またそれ以上なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけだ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。
(´・(ェ)・`)つ
つづく
0055鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/10(水) 20:52:16.32ID:jQOgeCpq
>>50 無我の法とはいえるじゃろう。
 無我そのものではないのじゃ。
 アートマンがあるともいえないからのう。
 
0056名無しを整える。
垢版 |
2018/01/10(水) 21:39:29.04ID:yqRfsOmv
>>53
後期の言語録というのは、英語の本でありますか

>>55
鬼和尚、こんばんは。
「アートマン」とは、あれでもない、これでもない、なんでもない、としか定義できないものなのでありますから、結局「無」でありましょう。最初から、「無我」と言っとけばよいようなもんでありますが、
ただ、普通の実感としてある、自我をいきなり無いもの見よ!といっても難しいので、ワンクッション置いて無我に繋げるための概念というように理解しとけばよいでありましょうか?
てか、アートマンに達することと、無我に達することに違いってあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0057名無しを整える。
垢版 |
2018/01/11(木) 07:47:59.54ID:JSt4wY/h
>>56
ググってみたであります。
輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する か否かと言うややこしいテーマがあるようでありました。
(´・(ェ)・`)つ
0058名無しを整える。
垢版 |
2018/01/11(木) 14:29:13.73ID:BSGMsEGB
>>56
英語の本やネットに転がってるのものですね
例えばこんな感じで話していたようです


質問者
アートマンがサット・チットアーナンダ(存在・意識・至福)なら、パラマートマンはなんでっか?

マハラジ
サット・チット・アーナンダはそのうちパラマートマンになるんや。サッチターナンダが「I AMNESS」で、それ自体が至福、愛の状態や。
せやけどそれは、意識が続いとる間だけ体験される状態や。そんで意識は、肉体が使える間だけ存在しとる。時間制約の状態やねん。
お前さんはサット・チット・アーナンダを超えなあかんで。
0059名無しを整える。
垢版 |
2018/01/11(木) 18:41:32.31ID:JSt4wY/h
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 では、私とはいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだけだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく
0060名無しを整える。
垢版 |
2018/01/11(木) 18:54:41.01ID:JSt4wY/h
>>59
>あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
ふむふむ。
アートマンのことでありますね。
>あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
ふむふむ。
これでありますね。
観察の主体と客体が一致することの矛盾に気付けと言うわけでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ
0061名無しを整える。
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2018/01/11(木) 18:59:59.81ID:JSt4wY/h
>>58
たしかに、大阪のお好み焼き屋さんとかに居そうな風貌でありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0062名無しを整える。
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2018/01/11(木) 19:33:51.56ID:BSGMsEGB
言葉が指し示すものは覚者によって違うので

マハラジのいう「I AM」=鬼和尚のいう「阿頼耶識」
マハラジのいう「THE ABSOLUTE」=鬼和尚のいう「意識」

という印象を受けました
0063鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2018/01/11(木) 22:34:42.28ID:wDJhwkyB
>>56 そうじゃ、修業のために作られた概念なのじゃ。
 無我の状態はあるものじゃ。
 アートマンは実在しないものじゃ。
 ただ集中の対象として作られたのじゃ。
 
0064名無しを整える。
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2018/01/12(金) 18:58:49.44ID:BdhjbQJq
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 体験者としての存在の感覚、「私は在る」という感覚もまた体験ではないでしょうか?
 マハラジ
 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」なのだ。
 質問者 どのようにしてそれを得るのでしょう?
 マハラジ
 それを得る必要はない。
 なぜなら、あなたがそれなのだ。
 あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。
 非実在のものへの執着を解き放ちなさい。
 そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。
 自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。
 そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになるだろう。
 それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。
              
【1「私は在る」という感覚】(おわり)
【2 身体への固執】(につづく)
(´・(ェ)・`)つ
0065名無しを整える。
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2018/01/12(金) 19:17:57.10ID:BdhjbQJq
>>64
>記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づき。
↑これが、
>実在
でありますね。
> 非実在のものへの執着を解き放
てば、くまが、
>すべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになる
のでありますね。

ふむふむ。
難しいことを、簡単そうに説明する天才でありますね。

個の中にある 同一性の錯覚は、連続性があるからであると言うことと、
個と思っているものが実は、すべてのハートであり、源泉であるということを、一気に語ってるのでありますね。

(´・(ェ)・`)つ
0066名無しを整える。
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2018/01/12(金) 19:24:36.89ID:BdhjbQJq
>>63
概念を否定する概念。
典型的なパラドクスでありますね。
空同様、実体のないものでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0067名無しを整える。
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2018/01/12(金) 20:57:58.43ID:BdhjbQJq
>>62
ふむふむ。
鬼和尚のいう「阿頼耶識」とは、記憶に依存した認識のことでありましょうし、
マハラジのいう「I AM」」も、わたしはあると言う認識でありまして、
最終的にはともに、滅すべき対象のようでありますね。
Wikipediaによりますと、阿頼耶識とは個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識とも解説されるようであります。この点でも、「I AM」も特定されるものではない純粋な「私はある」みたいな意味らしいでありますから、=で結ばれそうでありますね。

「THE ABSOLUTE」、っていうのは、鬼和尚のいうただひとつの「意識」ってやつでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ
0068鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2018/01/12(金) 21:39:22.68ID:+if7kN0P
↑そうかもしれん。
おぬしがそれなのじゃ。
得ることも失うこともなくただそれなのじゃ。
0069名無しを整える。
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2018/01/12(金) 22:58:35.76ID:BdhjbQJq
>>68
それとは、くまが、
>すべてのハートであり、源泉である
というこでありましょうか。
「得ることもなければ、失うこともない。」は、般若心経の中の言葉かと思ったら、
仏教聖典の中にそのままあったであります。
鬼和尚、ありがとうであります。
精進せねばであります。
(´・(ェ)・`)つ
0070名無しを整える。
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2018/01/12(金) 23:16:14.96ID:W6Cz4ee7
>>67
マハラジによると

私でありあなたである「THE ABSOLUTE」から
頼みもしないのにただ見るものである「I AMNESS」が現れ
その後に心身との自己同一化が起こり苦しみが生じる

故に「I AMNESS」が苦しみの元凶の幻なのでそれを滅しなければいけない

マントラや瞑想などの行で心を静めつつ
教えを聞き理解してあらゆる観念への執着を離れ
「I AMNESS」にとどまることがはじめの一歩

そこに長く落ち着くことができれば時期が来れば気づきが起こり
「I AMNESS」は超えられる

というようです
0071名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 00:37:18.02ID:n4m7M0QB
>>70
ふむふむ。
「I AMNESS」は、「自我」
「I AM」は、「アラヤシキ」
「THE ABSOLUTE」は「意識」
で、ありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0072名無しを整える。
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2018/01/13(土) 01:49:49.01ID:AjakqKJE
>>71
「I AM」と「I AMNESS」は
同じものを指しているようです

それが生じた後に
「I AM ○○」となると
「○○」に同一化した自我が生じる
という解説のようです
0073名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 09:49:49.90ID:n4m7M0QB
>>72
そうだったなのでありますか。
文脈の中で、その言葉がどういう意味で使われてるか、おさえておかないと、わけわからなくなってしまうでありますよね。

アートマンについては、鬼和尚の>>63のように、
>修業のために作られた概念
 アートマンは実在しないもの
 ただ集中の対象として作られた

と説明されると、とてもわかりやすいであります。
(´・(ェ)・`)つ
0074名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 10:09:47.40ID:n4m7M0QB
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】
                   
 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?
 マハラジ
 根本的違いなど何もない。
 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに来ましたが、あなたは私のもとには来ません。
 マハラジ
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、私はしません。
 マハラジ
 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。
 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)は偉大です。
 マハラジ
 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだけで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。
 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?
 マハラジ
 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなったのだ。

(´・(ェ)・`)つ
つづく
0075名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 10:33:03.26ID:n4m7M0QB
>>74
覚者と普通の人の違いは、
人生における 出来事の連続に対して、
固執せず、過ぎ去るショーをショーとして見ているだけなのが、覚者で、
固執し、それとともに動き回るのが、普通の人。
執着からの自由でありますね。

>私は私自身以外の何ものでもない
←これが私はあるの私でありましょう。
>私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなった
←自分とは、あれでもない、これでもないと、私でないもの(=観念)を、捨て去って行く、修行の方向性を決めるものとして、アートマンが語られてるのでありましょうか。
だとすればまさに、>修業のために作られた概念 といえるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0076名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 11:45:24.22ID:AjakqKJE
>>73
アートマンという言葉も
色々な使い方をされているようです
これはマラーティー語から英語に訳された際に生じる問題かもしれませんが

アートマンというのも言葉なので指し示すものとは乖離していますが
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
その点で鬼和尚の使い方とは異なるという印象を受けました
0077名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 12:52:07.02ID:n4m7M0QB
>>76
>アートマン・・・
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
←鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。
別スレで、心臓の辺りにそれ(アートマン)があるとして集中する方法を説明されていたであります。

ところで、マハラジもアートマンを実体と考えてるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0078名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 13:07:14.05ID:n4m7M0QB
>>77
不思議不思議。こんな文字化けはじめて見たであります。

>鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。

鬼和尚の説明では、修業のために作られた概念であり、実在しないものと説明されておりますが、集中の対象と言う点では、具体的でありますよね。
0079名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 15:58:28.90ID:AjakqKJE
>>77
マハラジ
わいはいつ死亡宣告受ける?アートマンが肉体を離れたときや。
せやけどわいはアートマンやあらへんさかい、そこのどこにわいの死があるんや?
わいは癌に影響されとらん。何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。
すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん。


もうちょっとまとまっているものを探してみますね
THE ABSOLUTE以外は現れては消えていくものでしかないので
実体がないのは確かなようです
0080名無しを整える。
垢版 |
2018/01/13(土) 17:19:41.88ID:AjakqKJE
マハラジ
コンシャスネスの階層は3段あんねん。

ジーヴァートマンいうんは、自分を心身と自己同一化しとるやつのことや。
わいは世界から分離した1この体や、人格や、個人や…て思とるやつやな。
そいつは心身と同一化しとるさかい、自分を1この分離した人格として、世界から締め出して孤立させんねん。

次はただのビーイングネス、あるいはコンシャスネス、つまり世界や。
「I AM」はわいの世界全体を表しとる。
ただのビーイングと世界。ビーイングネスと一緒に世界も感じられんねん。
それがアートマンや。

このビーイングネスを認識しとるアルティメット・プリンシプルに名前つけんのは不可能や。
どんな言葉でも近づけられんし当てはめられへん。
それがアルティメット・ステートや。

その階層をふつーの言葉で説明すんで。せやな…
わいに孫(ジーヴァートマン)がおる。わいには息子がおって、わいはじーちゃんや。
じーちゃんが息子と孫の源や。
0081鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/13(土) 20:49:51.07ID:hAsK//oI
>>69 そうじゃ全てなのじゃ。
 それでなかったことなど一瞬もないのじゃ。
 それを思い出すのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 
0083名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 09:36:51.90ID:8WbkCRkX
>>79
くまは、ハートとか、マインドって段階で、引っ掛かってしまうので、なかなかこれは手強いであります。
けど、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0084名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 10:15:53.67ID:8WbkCRkX
>>79
>わいはアートマンやあらへん
→私は真我ではない。
>わいは・・・・・何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。 →私は全てを真我に委ねている
>すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん
→(パラブラフマン・THE ABSOLUTEを取敢ずブラフマンに置き換えると、)
すべての行為とその結果は、梵(宇宙の 根本原理)にゆだねられる。

ふむふむ。
I AM が真我に委ねていて、そのI AMは否定され、アートマンも、否定によってしか説明できないのでありますね。

>>80は、もうちょぴっと理解が進んでから読み返してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ
0085名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 10:37:00.84ID:8WbkCRkX
>>74
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
 信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?
 マハラジ
 誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?
 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。
 マハラジ
 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思えない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。

(´・(ェ)・`)つ
0086名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 13:38:18.95ID:bKpT4EiI
>>84
おそらく
マハラジがいう私=パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットetc
マハラジがいう私≠I AM・意識・アートマン・ブラフマン・存在・世界etc
であるようです
0087名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 15:14:24.66ID:8WbkCRkX
>>86
パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットと言うのは、
ブラフマン=梵(宇宙の 根本原理)を包摂する概念でありますか?
(´・(ェ)・`)つ
0088名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 16:22:18.17ID:bKpT4EiI
>>87
ブラフマンの段階でもう既に概念は放棄されているようです

マハラジの用語の使い方が
伝統的なヴェーダンタと違うと指摘した方がいるようです
http://www.whatneverchanges.com/styled-4/20130824.html

Parabrahman, Maharaj Principle, Absolute, Ultimate (Nisargadatta) = Consciousness, Awareness, Self, Atman, Brahman, Parabrahman (traditional Vedanta)

IAm-ness, Beingness, Consciousness, Brahman (Nisargadatta) = Reflected Consciousness, Reflected Awareness, Subtle Body (traditional Vedanta)

私はヴェーダンタなどの教義に詳しくないのでよくわかりませんが
マハラジは独特な用語の使い方をしていたのかもしれません
0089名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 16:56:43.36ID:bKpT4EiI
ジーヴァートマン=個我の観念
アートマン=無我の状態
パラマートマン=無認識の状態

単純にこのような印象を受けました
0090名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 18:12:36.38ID:8WbkCRkX
>>89
ありがとうであります。
籾殻脳を絞り、がんばって、理解を少しづつ深めるであります。
(´・(ェ)・`)つ
0091名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 18:38:18.17ID:bKpT4EiI
>>90
紹介しておいて何ですが
マハラジの教えは単純で実践がすべてなので
あまり用語は気にしないほうがいいかもしれません

お互い精進しましょう
ではまた!
0092名無しを整える。
垢版 |
2018/01/14(日) 21:07:11.65ID:8WbkCRkX
>>91
o(´-(ェ)-`)o
うむ。実践が全てであります!
精進であります!
0093名無しを整える。
垢版 |
2018/01/15(月) 18:33:36.27ID:9sOPB516
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】

 質問者 私が見るかぎりでは、私の身体にも実在にも、何も問題
 はありません。どちらも私がつくりあげたものではなく、
 改善する必要もありません。何がおかしくなってしまっ
 たかと言えば、「内なる身体」です。マインド、意識、
 アンタカラナ、名前は何であれ。
 マハラジ
 あなたのマインドのどこがおかしくなったというのだろう?
 質問者 落ち着きがなく、快楽に貪欲(どんよく)で、不快を恐
 れていることです。
 マハラジ
 快楽を求め、不快を避けようとすることのどこが間違っているの
 だろうか?
 苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れていく。
 生の流れとともに流れていくことを拒んだとき、それは問題とな
 るのだ。
 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 起こることがあなたなのではなく、あなたにものごとが起こるの
 だ。
 結局、あなたは観察者でさえもない。
 あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり、その表現、
 その顕現なのだ。
 質問者 それでも、身体と自己との間には思考と感情の雲が横た
 わり、それが妨げとなっています。これら思考と感情は
 浅はかな、はかなく無意味なもので、私を盲目にし、息
 を詰まらせるただの思考のほこりにすぎません。それで
 もそれらはそこにあり、光を奪い破壊するのです。
 マハラジ
 確かに出来事の記憶が出来事そのものとして通用することはない。
 出来事の予測もまた同じだ。
 現在の出来事には何か独特な、以前起こったこと、あるいはこれ
 から起こるであろうことにはない例外的な何かがある。
 生き生きとして、実在であり、輝くように際立っている。
 そこには過去も未来ももっていない実際の「真実のしるし」があ
 るのだ。
(つづく!)
(´・(ェ)・`)つ
0094名無しを整える。
垢版 |
2018/01/15(月) 18:46:13.95ID:9sOPB516
>>85
> 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 ↑
読むだけだと、「受容」という言葉に引っ掛かってしまうのでありますが、観察の実践による気付きが、負の思いを溶解させるのであります。
くまにとりましては、瞑想の実践により、荒れ狂う心を鎮めることができたことが、瞑想の最大の恩恵でありました。
(´・(ェ)・`)つ
0095鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/15(月) 21:31:29.56ID:3akohFsv
そうじゃ、欲心も煩悩も滅しようとする必要は無いのじゃ。
ただありのままに観察すれば全ては滅していくだけなのじゃ。
そして観察すらも必要が無い境地にまで到達するのじゃ。
 
0096名無しを整える。
垢版 |
2018/01/15(月) 21:52:18.74ID:9sOPB516
>>95
鬼和尚ありがとうであります。
受容=受け入れると言うのは、
何か苦の原因となる事実に対して、反応としての怒りとか、不安とか、悲しみとかの感情を、否定するでも抑圧するでもなく、
ただ、それと一体になって巻き込まれるのではなく、悲しんでいる、怒っていると、気付いて、その原因事実と、反応としての感情を丸ごと受け入れて、それにこだわらず、流してしまう。
それが、受容=受け入れると言うことの意味でありますよね。
で、巻き込まれないで、受容し流してしまうことを可能にするために、観察による気づきが必要なのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0097名無しを整える。
垢版 |
2018/01/16(火) 18:44:27.71ID:MZ4BEwTk
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 「真実のしるし」を現在に与えているものは何なのでし
 ょう?
 マハラジ
 現在のなかに、過去や未来から区別するような、特別な何かがあ
 るわけではない。
 ほんの一瞬前、過去は未来であったし、未来もまたそうなる。
 何が現在をそれほど特別にするのだろう?
 明らかに、それは私の存在だ。
 つねに今ここに在るからこそ私は現実なのだ。
 そして私とともに在るものに私の実在は分かちあわれる。
 過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。
 今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別
 なものがあるわけではない。
 それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のよ
 うなものかもしれない。
 連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているに
 もかかわらず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に
 予期されるものとはまったく異なっているのだ。
 今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、
 私とともに在る。
 私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
 質問者 しかし私たちは思い起こされたことがらも、現実のよう
 に扱います。
 マハラジ
 それが現在のなかに入りこんだときだけ、私たちは思い出につい
 て考える。
 今にもちこまれないと忘れ去られたことを思い出すことはない。
 質問者 そのとおりです。現在のなかには一過性の事実に一瞬の
 真実を与える、何か未知なる要因があることがわかりま
 す。
 マハラジ
 未知と言うまでもない。
 なぜなら、あなたはそれがつねに作用しているのを見ているから
 だ。
 生まれて以来、かつてそれが変わっただろうか?
 ものごとや思考はつねに変わりつづけてきた。
 だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
 て変わらなかったのだ。
(つづく)
(´・(ェ)・`)つ
0098鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/16(火) 22:08:17.33ID:Cxg2VOHa
>>96 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。
0099名無しを整える。
垢版 |
2018/01/17(水) 18:37:10.05ID:1C08Blcz
>>97
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 深い眠りのなかには、今現在の現実感はありませんでし
 た。
 マハラジ
 深い眠りにおける空白は、完全な記憶の欠如によるものだ。
 だが、幸福という総括的な記憶がそこにはある。
 「深い眠りのなかにいた」と言うのと「存在していなかった」と
 言うのとでは感覚の違いがある。
 質問者 はじめの質問に戻りますが、生の源とその表現(つまり
 身体)との間には、絶え間なく変化しつづけるマインド
 の状態があります。この精神状態の流れは際限なく、無
 意味で苦痛に満ちています。苦痛がその変わることのな
 い要因です。私たちが快楽と呼ぶものは、二つの苦痛に
 満ちた状態の狭間(はざま)にすぎません。欲望と恐れ
 は生の横糸と縦糸で、ともに苦痛でできているのです。
 いったい、幸福なマインドというものがありうるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
 質問者 私たちが快楽を求めたり苦痛を予期したりするときは、
 確かにそのとおりです。しかし予期せぬ、思いもよらな
 かった喜びの瞬間も存在します。不相応な、求めてもい
 なかった、神からの贈り物――欲望に汚されていない純
 粋な喜びがあります。
 マハラジ
 それでも、喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

(つづく)
(´・(ェ)・`)つ
0100名無しを整える。
垢版 |
2018/01/17(水) 18:43:51.23ID:1C08Blcz
>>99
> 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
>喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

うっ・・・・
マインドなるものが、幻想であれば、喜びも苦も幻想でありましょう。

けど、このあとで、違う切り口からフォローしてくれてるであります。
(´・(ェ)・`)つ
0101名無しを整える。
垢版 |
2018/01/17(水) 18:46:36.34ID:1C08Blcz
>>100
仏教だと「一切皆苦」からスタートでありますから、それに比べればマイルドでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0102名無しを整える。
垢版 |
2018/01/17(水) 18:59:12.35ID:1C08Blcz
一回分抜けてたであります。
>>85
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
.とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ること
になる。
 拒否と否定を通してあなたは真我
.へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
.さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
.「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
.「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
.だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
.となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
.れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
.値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
.てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
.らば、私たちはそれを見いだすだろう。

【2 身体への固執】(おわり)
(´・(ェ)・`)つ
0103名無しを整える。
垢版 |
2018/01/17(水) 19:07:26.82ID:1C08Blcz
>>102
観察は、の重要でありますね!
>不注意によって築いてきた牢獄
と言うのが、
さっきの、
喜びのは背景にある苦痛であったりするのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ
0104鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/17(水) 21:25:56.68ID:0uFYqMIs
人が快楽に執着するのも苦痛を一時的に忘れさせてくれるからに過ぎないのじゃ。
それは一時的に苦を忘れさせてくれるだけで苦はなくなっていないのじゃ。
日常に戻ればまた苦はあり続けるのじゃ。
 
0105名無しを整える。
垢版 |
2018/01/18(木) 18:37:23.69ID:v2m8uSqs
>>99
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 苦痛とは宇宙的な現実なのでしょうか、それとも単に精
 神的なものなのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙とは完成されたものだ。
 そこに何も欠如していない完全性が在るとき、苦痛を与えられる
 ものがあるだろうか?
 質問者 宇宙は、全体としては完全かもしれませんが、詳細にお
 いては不完全です。
 マハラジ
 全体の一部も、全体との関連のもとに見られたとき、また完全と
 なる。
 孤立したとき、それは欠陥をもち、苦痛の在処(ありか)となる。
 何が孤立をもたらすのだろうか?
 質問者 もちろんマインドの限界です。マインドには全体として
 の部分を見ることができません。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドはその本質上、分割し対立するものだ。
 統合し、調和をもたらし、部分のなかに全体を見て、全体との完
 全な関連性をもった部分を見ることのできる何か別のマインドと
 いうものが在りうるだろうか?
 質問者 別のマインド――どこを探せばいいのでしょう?
 マハラジ
 限界をもたらし、分割し、相対立するマインドを超えた彼方だ。
 周知のように、この精神的過程が終焉(しゅうえん)したときだ。
 これが終わりを告げたとき、そのマインドが生まれる。
 質問者 そのマインドのなかでは、喜びと悲しみの問題はもはや
 存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 私たちが知るような望むべき、あるいは憎むべきものとしてでは
 ない。
 それはむしろ、愛がその表現を求めて障害にであうようなものだ。
 包括的なマインドとは、愛が活動のなかで環境と戦い、初めは挫
 折しつつも最終的には勝利をおさめるようなものなのだ。
 質問者 魂と身体との間に橋を渡すものは愛なのでしょうか?
 マハラジ
 ほかに何があろう?
 マインドが奈落を生みだし、ハートが橋を架けるのだ。
                   【3 今を生きる】(おわり)
(´・(ェ)・`)つ
0106名無しを整える。
垢版 |
2018/01/18(木) 19:00:02.03ID:v2m8uSqs
>>105
>宇宙とは完成されたものだ。
 そこに何も欠如していない完全性が在るとき、苦痛を与えられる
 ものがあるだろうか?

>(宇宙)全体の一部も、全体との関連のもとに見られたとき、また完全と
 なる。
 孤立したとき、それは欠陥をもち、苦痛の在処(ありか)となる。

↑ふむふむ。苦は孤立がもたらす幻想なのでありましょうかね。
孤立してる限りは苦はあり続けるのでありますね。

>何か別のマインドとは、?
 完成された宇宙のマインドみたいなものでありましょうか?
>愛がその表現を求めて障害にであうようなものだ。
 ↑障害があるから、愛の存在に気付けるように、苦があるから、苦の無い完成された宇宙のマインドに気付けるみたいな意味でありましょうか?
>マインドが奈落を生みだし、ハートが橋を架けるのだ。

心が奈落を生みだし、愛が橋を架けるでよいのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ
0107鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/18(木) 21:09:41.82ID:+gUVBpML
全体とはなれた個我があるという観念によって苦も生まれるのじゃ。

マインドの無いマインドなのじゃ。

そのようなものじゃ。

愛でよいのじゃ。
まだ悟っていなくとも愛によってのみ人は全体に気づくこともできると言うのじゃ。
0108名無しを整える。
垢版 |
2018/01/18(木) 21:33:34.81ID:v2m8uSqs
>>107
鬼和尚ありがとうであります。
この場合の「愛」は「慈悲」に置き換えられるような意味でありますよね。
仏教では、渇愛とか愛欲とか、愛という字が否定的に使われることが多いでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0109名無しを整える。
垢版 |
2018/01/19(金) 18:42:01.15ID:6Me3d1AK
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】

 質問者 宇宙は因果関係の法則に支配されるのか、それともその法則の枠外
 で存在し機能するのかという質問がたびたび取り上げられてきまし
 た。すべては、たとえ小さくとも因果関係なしに、まったく何の理
 由もなく現れては消え去るというのが、あなたの見解だったと見受
 けられますが。
 マハラジ
 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。
 質問者 マインドが作用するかぎり、因果関係の法則に効力があるのですね。
 マハラジ
 すべての精神的なものがそうであるように、いわゆる因果関係もそれ自体が
 相矛盾するのだ。
 存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。
 宇宙がそのようではないかぎり、何ひとつあるがままでは在りえない。
 あらゆるものの土台と源が、起こることすべての唯一の原因であるとき、因
 果関係を宇宙の法則と見なすのは不当だと言えよう。
 宇宙の潜在的可能性は無限のため、その内容物によって限定されることはな
 い。
 しかもそれは基本的に、完全に自由な原理の表現または顕現なのだ。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)
0110名無しを整える。
垢版 |
2018/01/19(金) 18:48:33.30ID:6Me3d1AK
>>105
> 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。

ここで言われている「因果関係」とは、
鬼和尚の説かれる、苦滅の法としての、縁起の法や十二因縁におけるそれとはちょぴっと違うようでありますね。
本質的なことを語ってるのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ
0111名無しを整える。
垢版 |
2018/01/19(金) 18:50:58.07ID:6Me3d1AK
>>108
また、ある意味、苦滅の法も、この本質的理解において、その有効性が説明できのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ
0112鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/19(金) 22:50:04.71ID:7wBmbWxQ
>>108 そうじゃ、本来は男女の愛着なのじゃ。
 厭離すべきものとして説かれるのじゃ。
 それもまた苦に変る性質のものであるからのう。
 慈悲は苦に変らないものなのじゃ。
0113名無しを整える。
垢版 |
2018/01/20(土) 07:30:29.46ID:rGYOfI+i
>>109
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 質問者 ええ、結局ひとつのものが、ほかのものにとって唯一の原因だとす
 るのは、まったく間違いだということがわかります。しかし、実際
 の人生では、結果を見込んで行動を起こすのが私たちのつねなので
 す。
 マハラジ
 そうだ。
 無知のために、そのような行動はいたるところで見られる。
 全宇宙がそれを起こさないかぎり、何事も起こりはしないということを人び
 とが知るなら、彼らはよりわずかなエネルギーでより多くを達成するだろう。
 質問者 もしすべてが原因全体の表現だとするなら、ひとつの達成に向けて
 の目的ある行動などというものがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 達成しようとする衝動自体も全宇宙のひとつの表現なのだ。
 それは潜在するエネルギーが、ある一定の地点で現れたことを意味するにす
 ぎない。
 時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、
 原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
 質問者 それでも、どうして原因なしに何らかの存在が現れるのか、私には
 理解できません。

(つづく)
(´・(ェ)・`)つ
0114名無しを整える。
垢版 |
2018/01/20(土) 08:05:01.71ID:rGYOfI+i
>>113
> 全宇宙がそれを起こさないかぎり、何事も起こりはしないということを人び
 とが知るなら、彼らはよりわずかなエネルギーでより多くを達成するだろう。
←起こるべくして起こることを、受容することにより、迷いがなくなり、従って、より少ないエネルギーで、より多くを達成できるということでありましょうか?

> 時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、
 原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
←創造的自由が現れるのも、迷いがなくなるからでありますかね。
個別の因果関係が否定されるということは、個別の自由意思が否定されているのでありますが、
そもそも、行為の主体という観念が否定されてるのでありますから、
その、行為の主体ががあると言う錯覚に気付けば、迷いがなくなり、逆に創造的自由が現れると言うことでありましょうか。

ふむふむ。このような説明の場面で、いきなり「無我」というよりも、I AMでも何でも、その創造的自由に気付ける主体(?)のようなものがあったほうが、説明がわかりやすくなるでありますね。

> 質問者 それでも、どうして原因なしに何らかの存在が現れるのか、私には理解できません。
←くまの気持ちを代弁してくれてる、ありがたい質問者さんであります。
(´・(ェ)・`)つ
0115鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/20(土) 21:41:26.35ID:QvfPWXdu
時間もまた記憶に依って存在する観念に過ぎないのじゃ。
記憶と照らし合わせて変化した物をみて時間が経ったとか解釈するのじゃ。
変化するものが無ければ時間もまた無いのじゃ。
0116名無しを整える。
垢版 |
2018/01/21(日) 08:25:22.82ID:7mNaWiA1
4、3『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 マハラジ
 私が、あるものが原因なくして在ると言うとき、それはひとつの特定の原因
 なくしてという意味だ。
 あなたの誕生のために、あなたの母親は必要なかった。
 誰か他の女性から生まれることもありえたのだ。
 しかし、太陽と地球なしには生まれてくることはできなかったろう。
 それらでさえもっとも重要な原因なしでは、あなたの誕生の原因とはならな
 いだろう。
 生まれてきたいというあなた自身の欲望なしには。
 感情を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。
 欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことの
 できる何かとしてそれ自身を顕現させる。
 このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。
 真の世界はマインドを超える。
 私たちはそれを快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向
 こうにかいま見る。
 宇宙をあるがままに見るためには、その網を越え、一歩踏みださなければな
 らない。
 難しいことではない。
 なぜならその網は大きな穴でいっぱいだからだ。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)
0117名無しを整える。
垢版 |
2018/01/21(日) 09:54:26.90ID:7mNaWiA1
>>116
>存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。>>109
>時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。>>113
←ここまでで、とどめてくれるのであれば、理屈として納得できるのである。
なのに、
>もっとも重要な原因なしでは、あなたの誕生の原因とはならないだろう。
 生まれてきたいというあなた自身の欲望なしには。>>116
←宇宙全体といっていた原因はの中でも、重要性の大小かあり、
>生まれてきたいというあなた自身の欲望
が、
重要な原因と言われてしまうので、ちょぴっと混乱するくまなのである。
このくまが混乱する点が、このお話しの要なのでありますね。
昨日鬼和尚が指摘された通り(>>115)、時間も幻想であれば、矛盾は無いのでありましょう。

うぅ・・・けど、やっぱり、むずかしい点であります。
最終的には、時間も空間も、一切の観念は幻想であり、ただ一つの意識のみがあると言うところまで辿り着いて始めて落とし込ことができるのでありましょう。
(´-(ェ)-`)つ
0118名無しを整える。
垢版 |
2018/01/21(日) 10:32:38.00ID:7mNaWiA1
>>116
> 感情を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。
 欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことの
 できる何かとしてそれ自身を顕現させる。
 このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。

→世界は、欲望によって創造される。
しかしそれは実体ではなく、名前と形=観念に過ぎない。

ふむふむ。
て、ことは、
欲望がなければ、世界はないのでありましょうか?
(´-(ェ)-`)つ
0119名無しを整える。
垢版 |
2018/01/21(日) 10:52:46.79ID:7mNaWiA1
>>118
> 欲望がなければ、世界はないのでありましょうか?
←これは言えないでありますね。
重要な原因というだけであり、
>宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる
と言ってるわけでありますから。
言葉尻を捉えて、屁理屈に囚われるのが、くまの悪い癖であります。
(´-(ェ)-`)ゞ
0120鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/21(日) 22:54:40.47ID:wTH/vv1u
観念によって世界があると認識するのじゃ。
それは本来無いものじゃ。
0121名無しを整える。
垢版 |
2018/01/22(月) 18:27:55.14ID:0UGR56uS
>>116
( 真の世界はマインドを超える。
 私たちはそれを快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向こうにかいま見る。
 宇宙をあるがままに見るためには、その網を越え、一歩踏みださなければならない。 )
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 質問者 穴とはどういう意味でしょう? そして、どうすれば見いだせるの
 でしょうか?
 マハラジ
 網とその多くの矛盾を見るがいい。
 ことあるごとにあなたは何かを為(な)し、そして取り消す。
 愛と平和と幸福を求め、熱心に働きかけたあげく、苦痛と憎悪と戦争を生み
 出す。
 長寿を求めながら過食し、友情を求めながら搾取する。
 あなたの網の目が矛盾に満ちていることを見てとりなさい。
 そしてそれを取り払うのだ。
 見るという行為そのものがそれを消し去るだろう。
 質問者 見るという行為がそれを消し去るのならば、見ることと消えること
 の間に因果的関連があるのではないでしょうか?
 マハラジ
 たとえ概念としても、因果関係は混乱には当てはまらない。
 質問者 欲望はどの程度まで因果関係の要因となるのでしょうか?
 マハラジ
 欲望は多くの要因のなかのひとつだ。
 あらゆるものには無数の因果の要素がある。
 しかし、そのすべての源はあなたの中にあり、それは愛と力と光をすべての
 経験に与える至高の実在なのだ。
 だが、この源が原因なのではなく、またどの原因も源ではない。
 それゆえ、私はすべてのものに原因はないと言うのだ。
 あなたはどのようにしてものごとが起こるのか、その由来をたどってみよう
 とするかもしれない。
 だが、なぜものごとがあるがままなのかを見いだすことはできない。
 ものごとはあるがまま在るのだ。
 なぜなら宇宙はあるがまま在るからだ。

(´・(ェ)・`)つ
【4 真の世界はマインドを超える】(おわり)
0122名無しを整える。
垢版 |
2018/01/22(月) 20:01:12.94ID:0UGR56uS
>>121
真の世界、 あるがままの宇宙はどうしたら見れるか?
>快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向こうにかいま見る。

>網の目が矛盾に満ちていることを見てとり ・・・
 そしてそれを取り払う
 見るという行為そのものがそれを消し去るだろう。
>あらゆるものには無数の因果の要素がある。
 しかし、そのすべての源はあなたの中にあり、それは愛と力と光をすべての
 経験に与える至高の実在なのだ。
 だが、この源が原因なのではなく、またどの原因も源ではない。
 それゆえ、私はすべてのものに原因はないと言うのだ。
>なぜものごとがあるがままなのかを見いだすことはできない。
 ものごとはあるがまま在るのだ。
 なぜなら宇宙はあるがまま在るからだ。

ふむふむ。全てが全ての原因なのであれば、あるがままの原因はあるがままでありますね。
ふむふむふ…
(´・(ェ)・`)つ
0123鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/22(月) 21:11:23.64ID:Gl3fGSkP
そうじゃ、あるがままなのじゃ。
長生きには小食がよいのじゃ。
0124名無しを整える。
垢版 |
2018/01/23(火) 18:30:26.96ID:hLalKlyV
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】

 質問者 観照意識とは不変のものでしょうか?
 マハラジ
 それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在
 る。
 不変あるいは永遠といった言葉は当てはまらないのだ。
 質問者 眠りのなかでは知る者も知られるものも存在しません。何が身体に
 感覚と受容力をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 知る者が不在だったと言うことはできない。
 ものごとや思考の体験がなかった、それだけだ。
 しかし、体験の不在もまた体験なのだ。
 それは暗室に入って、「何も見えません」と言うようなものだ。
 生まれつき盲目の人が暗闇の意味を知らないように、知る者だけが知らない
 ということを知っている。
 眠りは単なる記憶の喪失であり、生は続いていく。
 質問者 では死とは何でしょうか?
 マハラジ
 それはある特定の身体にとっての、生の過程における変化だ。
 統合が終わり、そして崩壊が始まる。
 質問者 しかし知る者はどうなるのでしょうか? 身体の消滅とともに知る
 者も消え去るのでしょうか?
 マハラジ
 誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去るの
 だ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)
0125名無しを整える。
垢版 |
2018/01/23(火) 18:38:34.56ID:hLalKlyV
>>124
ふむふむ。
観照者意識とは、ただ一つの意識みたいなもので、不変なものかと思っていたであります。
> それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在る。
時を越えて在るけど、不変ではないのでありますね。

観照者意識も時も、不変も、観念でありますから、これでいいのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ
0126鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/23(火) 20:25:28.78ID:CYP8JhEb
知るのは厭離するためであるからのう。
厭離が起こればもはや知ることも必要ないのじゃ。
産まれた時から悟りへ導く能力はあるのじゃ。
死ねばそれもなくなってしまうのじゃ。
0127名無しを整える。
垢版 |
2018/01/23(火) 21:05:10.39ID:hLalKlyV
>>126
生きてあることによって、分離してあると言う錯覚から目覚める機会を得るのでありますね。
それが生きる意味であり、死んではならぬ理由なのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0128名無しを整える。
垢版 |
2018/01/24(水) 18:39:02.22ID:cUymOozd
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】(つづき)

 質問者 そして何も残らないのですか?
 マハラジ
 生命が残る。
 意識は顕現するために、媒体と手段を必要とする。
 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。
 質問者 連鎖継続する身体とそれを知る者、あるいは「身体―精神 *」との
 間には、何か因果関係があるのでしょうか?
 * 訳注 「身体―精神」 Body-Mind
 身体―精神という有機的組織体ある
 いは身体精神機構を意味する。マハラジの最たる通訳者であった
 ラメッシ・S・バルセカールは、Body-Mind orgnism, Body-Mind
 mechanism, psychosomatic apparatusなどと解釈している。
 マハラジ
 そうだ。
 そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録
 した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
 それはイメージの雲を集めたようなものだ。
 質問者 この分離した存在の感覚はいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは分離した身体のなかに現れる、唯一の実在の反映なのだ。
 この反映のなかで、かぎりあるものと無限なるものが混同され、同じものと
 して見なされてしまった。
 この混乱の解消がヨーガの目的なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0129名無しを整える。
垢版 |
2018/01/24(水) 18:58:20.74ID:cUymOozd
>>128
> マハラジ
誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去る
けど、 生命は残る。
> 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。

> そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
> それはイメージの雲を集めたようなものだ。
←これは輪廻の話でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0130鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/24(水) 21:56:37.51ID:UbsAW78a
>>127 そうじゃ、生きている限り悟りを得るチャンスはあるものじゃ。
 苦しくとも生きて悟りを目指すが良いのじゃ。

>>129 それは輪廻を創造する阿頼耶識のことなのじゃ。
 全て個我かあるという幻想の上で成立するものであるがのう。
 
0131名無しを整える。
垢版 |
2018/01/24(水) 22:24:22.61ID:cUymOozd
>>130
>想いをすべて記録した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何か

とは、阿頼耶識 の 種子みたいなもののことでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ
0132名無しを整える。
垢版 |
2018/01/25(木) 18:33:35.56ID:HMDOKnMP
>>128
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】(つづき)

 質問者 死はこの混乱を解消しないのでしょうか?
 マハラジ
 死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。
 質問者 しかし人は生まれ変わるのでしょうか?
 マハラジ
 生まれたものは死ななければならない。
 不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。
 質問者 どのようにしてそれを見いだしたらいいのでしょう?
 マハラジ
 何かを見いだそうとするとき、あなたはどうするだろうか?
 マインドとハートをそれにとどめておくのだ。
 それに対する関心と、確固とした記憶が必要だ。
 覚えなければならないことを覚えること、それが成功の秘訣(ひけつ)だ。
 真剣さがそれをもたらす。
 質問者 見いだそうとするだけで充分なのですか? もちろん、能力と機会
 が必要なはずです。
 マハラジ
 真剣さがそれをもたらすだろう。
 もっとも重要なことは、目的地とそこへの道が異なったレベル上にあっては
 ならないこと、生活と光が調和すること、行いが信条を裏切らないこととい
 った矛盾から自由であることだ。
 誠実さ、清廉さ、完全性と呼んでもいい。
 後戻りしてはならない。
 やり直しはできない。
 一度征服した地を、離れたり見捨てたりしてはならない。
 目的に向かうねばり強さと、それを遂行する真剣さがあなたを目的地へと導
 くだろう。
 質問者 ねばり強さと誠実さは天が与えるものです。私にはそのほんのかけ
 らもありません!
 マハラジ
 あなたが突き進むにつれて、すべてはやってくるだろう。
 まず第一歩を踏み出しなさい。
 すべての恩寵(おんちょう)はあなたの内側からやってくる。
 内面に目を向けなさい。
 あなたは「私は在る」ことを知っている。
 自発的にそこへ戻ってくるようになるまで、もてるかぎりの時間をそれとと
 もに在りなさい。
 それ以上やさしい方法はないのだ。

【5 生まれたものは死ななければならない】
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0133名無しを整える。
垢版 |
2018/01/25(木) 19:26:35.36ID:HMDOKnMP
>>132
>死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。

>不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。

↑この「「私」という感覚が誰のおぼろげな反映なのか」
と言うのは、おぼろげながらも、何かの反映として、「私」と言う感覚を説明しようとしてるのであれば、否定されるものとしか説明できないものとしての「アートマン」のことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0134鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/01/25(木) 22:46:52.96ID:5fIGpGLY
>>131 そうじゃろう。
 そのような実体があるわけではないがのう。
 言葉で説明されただけなのじゃ。
 囚われてはいかんのじゃ。

>>133 違うのじゃ。
 それは自我が創られたイメージであることを追及するようにと教えているのじゃ。
 アートマンも存在しないのじゃ。
  
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