>>333
ニサルガさんは、
>意識の源(至高なるもの)は、意識のなかの対象物ではありえない。
 源を知るということは、源として在るということだ。
 あなたが個人ではなく純粋で静かなる観照者であり、恐れのない気づきが真
 の存在だと悟ったとき、あなたは実在となる。
 それが源であり、無尽蔵の可能性だ。
←意識の源=至高なるもの=気づき=実在(=アートマン?=ブラフマン?) を意識とは別に、意識の源として説明していますが、

鬼和尚は、
意識の源とかは観念せず、全ては意識であるということでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ