>>272
『I AM THAT 私は在る』
【15 ジニャーニ】(つづき)

 質問者 公正さが私を自由にしてくれるでしょう。
 マハラジ
 公正さは疑うことなくあなたと世界を住みよい場所に、幸福にさ
 えするだろう。
 だが、それが何になるというのだろうか?
 そこには実在性がない。
 永遠には続かないのだ。
 質問者 神が助けてくれるでしょう。
 マハラジ
 あなたを助けるには、神があなたの存在を知らなければならない。
 だが、あなたも、あなたの世界も夢なのだ。
 夢のなかで、あなたは断末魔の苦しみを味わうかもしれない。
 誰もそれを知らないし、誰もあなたを助けることはできないのだ。
 質問者 では、私の質問も、探求も、研究も何の役にも立たない
 のですか?
 マハラジ
 それらは眠りを破ろうとする人の活動だ。
 それらが気づきをもたらす原因にはならないが、その初期の徴候
 ではある。
 だが、あなたがすでに答えを知っていることについて、無意味な
 質問をしてはならない。
 質問者 どうすれば真の回答が得られるのでしょうか?
 マハラジ
 真の質問を尋ねることによって、言葉の上ではなく、あなた自身
 の光にしたがって生きることに挑むことで得られるのだ。
 真理のために死をも厭(いと)わない人がそれを得るのだ。
 質問者 もうひとつの質問です。個人がいます。その個人を知る
 者がいます。そこには観照者がいます。知る者と観照者
 は同じなのでしょうか? あるいは分離した状態にある
 のでしょうか?
 マハラジ
 知る者と観照者は別々だろうか、ひとつだろうか?
 知る者が知られるものと別のものとして見られたとき、観照者は
 ひとり離れて在る。
 知られるものと知る者がひとつであるとき、観照者はそれらとひ
 とつになるのだ。
 質問者 ジニャーニ(賢者)とは誰なのでしょうか? 観照者で
 しょうか、それとも至高なるものでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニは至高なるものであり観照者でもある。
 彼は存在と気づきの両方だ。
 意識との関わりにおいて、彼は気づきであり、宇宙との関わりに
 あっては純粋な存在だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)