>>251
『I AM THAT 私は在る』
【14 現れと実在】(つづき)

 質問者 それでも、光の運動には原因があります。
 マハラジ
 その光はまったく動かない。
 あなたもよく知っているように、フィルムのなかの色彩と光を遮る一連の動
 きは幻想なのだ。
 動いているのはフィルムであり、それがマインドなのだ。
 質問者 だからといって、それが画像に原因のない理由にはなりません。フ
 ィルムがあり、役者、技術者、監督、演出家、制作者がいます。世
 界は因果関係に支配されており、すべては連結しあっているのです。
 マハラジ
 もちろん、すべては相互に連結しあっている。
 そしてそれゆえ、すべてに無数の原因が在る。
 宇宙全体がもっとも微少な存在に貢献している。
 あるものはあるがままだ。
 なぜなら世界はあるがままだからだ。
 わかるかね、あなたは金の装飾品を扱っている。
 そして私は金そのものを扱っている。
 二つの異なった装飾品の間には何の因果関係もない。
 あなたがある装飾品をふたたび溶解して別のものをつくるとき、その二つの
 間には何の因果関係もない。
 共通の要因は金だ。
 だが金が原因だとは言えない。
 それを原因と呼べないのは、それ自体では何の原因にもならないからだ。
 装飾品が持つ特定の名前と形のように、それはマインドのなかで、「私は在
 る」として映しだされる。
 それにもかかわらず、すべてはただの金にすぎない。
 同様に、実在はすべてを可能にする。
 それでも、あるものをその名前と形としてつくり出す無は、実在からやって
 くるのだ。
 しかし、なぜそんなに因果関係について心配するのかね?
 原因の何が問題なのか?
 ものごととは、それ自身はかない一過性のものなのだ。
 来るものは拒まず、去るものは追わず――なぜものごとを捕まえてその原因
 について尋ねまわるのだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)