>>246
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 何をもって至高なるものを認識するのでしょうか?
 マハラジ
 それが何の痕跡(こんせき)も残さないということが要点なのだ。
 何によっても認識することはできない。
 あらゆるしるしや手がかりの探求をあきらめることによって、直接に見られ
 なければならない。
 すべての名前と形が放棄されたとき、実在が残る。
 あなたがそれを探す必要はない。
 複数制と多様性はただのマインドの戯れだ。
 実在はひとつだ。
 質問者 もし実在が何の証拠も残さないのなら、それについて話すことさえ
 できません。
 マハラジ
 それは在る。
 それを否定することはできない。
 それは深遠な、神秘を超えた神秘なのだ。
 だが、それは在る。
 それ以外のすべてはただ起こるだけだ。
 質問者 それは未知なるものなのでしょうか?
 マハラジ
 未知も既知もともに超えている。
 しかし、私なら未知よりも既知と呼ぶだろう。
 なぜなら、いつであれ何かが知られたとき、知られたものは実在だからだ。
 質問者 沈黙は実在の特質なのでしょうか?
 マハラジ
 それもまたマインドのものだ。
 すべての状態と条件はマインドに属する。
 質問者 サマーディとは何でしょうか?
 マハラジ
 意識を使わないことがサマーディだ。
 ただマインドに触れないのだ。
 身体からもマインドからも何も求めないことだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)