>>241
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 至高なるものは意識しているのでしょうか?
 マハラジ
 私の経験では、それは意識してもいず、無意識でもない。
 質問者 プラジニャーナム ブラフマ。このプラジニャーとは何でしょうか?
 マハラジ
 それは生命そのものの非――自意識的知識だ。
 質問者 それは生命力、生命のエネルギー、生気なのでしょうか?
 マハラジ
 エネルギーがはじめに現れる。
 すべてはエネルギーが形を取ったものだからだ。
 意識は目覚めの状態においてもっとも差異が認められる。
 夢見においてはより少ない。
 眠りにおいてはさらに少ない。
 第四の状態では均質だ。
 それを超えると、表現不可能な、単一の実在、それがジニャーニの生きる世
 界なのだ。
 質問者 私は手を切ってしまったのですが、それは治りました。いったい何
 の力によって治ったのでしょう?
 マハラジ
 生命の力によってだ。
 質問者 その力とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは意識だ。
 すべては意識なのだ。
 質問者 意識の源泉は何でしょうか?
 マハラジ
 意識そのものがすべての源なのだ。
 質問者 意識なしに生命はありうるでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 生命なしには意識もありえない。
 それらはひとつだ。
 しかし実際には、究極なるものだけが存在する。
 それ以外は名前と形があるだけだ。
 あなたが名前と形のあるものだけが存在するという考えにしがみつくかぎり、
 至高なるものは、あなたにとって非存在のものとしてしか映らないだろう。
 名前と形は実態のない空虚な殻(から)にすぎず、実在は名前も形もない純
 粋な生命のエネルギーと意識の光だと理解したとき、あなたは実在の深い静
 寂に浸り、平和の内に在ることだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)