>>232
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 そしてその彼方には?
 マハラジ
 たとえば、長寿の技をマスターし、寿齢千歳を超えた尊ぶべきヨーガの導師
 が、私のもとにその技を教えにきたとしよう。
 私は彼の偉業を讃えて、誠実に敬うだろう。
 だが、私が彼に言えることといえば、「長生きがいったい何になるというの
 か?」ということだけだ。
 私は時を超えて在る。
 どれほど寿命が長くなろうと、それはほんの一瞬の夢にすぎないのだ。
 同じように、私はあらゆる属性をも超越している。
 それらは私のなかで、現れては消えていく。
 しかし、それが私を言い表すことはできない。
 宇宙は特質やそれらの相違を基底とした名前と形であり、私はその彼方に在
 る。
 世界は私が在るゆえに存在する。
 だが、私は世界ではない。
 質問者 しかし、あなたは世界のなかに生きているのですよ!
 マハラジ
 それはあなたが言っていることだ!
 この身体とマインドを含めた世界の存在は知っている。
 だが、私はそれらを他のマインドや身体以上に「私のもの」とは考えてはい
 ない。
 それらは時間と空間のなかにある。
 だが、私は時間と空間を超えて在るのだ。
 質問者 すべてがあなたの光のなかに存在するのなら、あなたは世界の創造
 者ではないのですか?
 マハラジ
 私はそのその潜在的可能性でも、実現性でも、現実でもない。
 私の光のなかで、世界は太陽光線のなかを舞うほこりのように現れては去っ
 ていく。
 光はその微少片を照らすだろうが、それに依存することはない。
 またそれを創造もしない。
 それを知っているとさえ言えないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)