>>228
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

  質問者 それでは、意識の中心には何があるのでしょうか?
 マハラジ
 それは名前も形も与えることのできないものだ。
 なぜなら、それは何の特質ももたず、意識を超えたものだからだ。
 意識のなかにありながら、意識を超えた点とも言える。
 紙のなかにあるひとつの穴が、紙のなかにありながらしかも紙に属さないよ
 うに、至高の状態は意識の中心そのものでありながら、しかも意識を超越し
 ている。
 それはマインドのなかの開かれた穴から光が氾濫(はんらん)しているよう
 なものだ。
 その開かれた穴は、光とさえ呼ぶこともできない。
 それはただ開かれたるものなのだ。
 質問者 その開かれたるものこそ、空、不在なのですね。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドの観点からすれば、それは気づきの光が精神的空間に入っていくた
 めに開かれたものだ。
 光そのものとしては、個体の、岩石のように濃密な、均質で不変であり、名
 前や形といった精神的パターンから自由な、純粋な気づきの塊(かたまり)
 とでも言うほかないだろう。
 質問者 精神的空間と至高なるものの所在には、何らかの関連があるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 至高なるものがマインドに存在を与える。
 マインドが身体に存在を与えるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)