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1073
ウパシーヴァさんはブッダに「最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」と答えてもらってから、次の二つの質問をした。
一つは、「もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか?」です。
ウパシーヴァさんは「最上の<想いからの解脱>はまだ完全な解脱ではないと考えているようである。想からの解脱から完全な解脱になるのか尋ねているのだと思われる。そして完全な解脱な状態を清涼とイメージしているのであろう。
もう一つは、「そのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」。識別作用とは心の本質。だから、解脱した人には心はあるのか?と尋ねていることになる。

1074
ウパシーヴァさんの二つの質問に対するブッダの解答だが、それに対して直接解答するということではないようである。
第一の質問「多年そこにととどまるならば、清涼なるのでしょうか?」に対して直接答えてないように思われる。
第二の質問「「そのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」に対しては、炎が風で吹き消された場合を例にして答えられている。
しかし、識別作用が存在するかどうかで答えるのではなく、nmakyからの解脱について説かれています。
Nmaky(ナーマカーヤー)については、中村先生は、ナーマルーパ(名称と形態)と同じとしているが、正田先生は「名前の身体(名身)」としている。
またカーヤには集合と言う意味があるため、「名の集合」とも訳せる。識別作用の消滅に関連して、ナーマカーヤーが問題にされているから、中村先生の訳のように、ナーマルーパ(名称と形態)と同じ意味であるとしておく。
そうであるならば、ナーマルーパ(名称と形態)が消滅すれば、十二因縁の教えにあるように識(識別作用)は消滅する。その有様を、炎が風に吹き消されるように消えると答えられた。

1075
(○正田大観先生訳
〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕
「その、滅却に至った者(解脱者)ですが、あるいは、また、彼は、〔もはや〕存在しないのですか。
それとも、まさに、常恒に、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか。
牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。
まさに、この法(事象)は、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。)
解脱したブッダを目の前にしてこの質問をしていることになる。名称と身体が消滅して、識(識別作用)が消滅した解脱者は存在しないのですかと尋ねている。
これは、ある人間の心がまるっきり変わってしまった場合、以前の人間は存在しているのかと尋ねた。
また別の形で質問した。解脱した方は不死の境地(涅槃)に至ると言われる。だから、解脱した方は、「それとも、まさに、常恒に、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか?」と尋ねた。
正田先生が説明されているように、無病の者とは、単に病気にならないという意味ではなく、永遠不滅の存在という意味。居ないのではなく、ずっと居るということになる。

1076
1074で、ブッダは既に解脱者の名称と身体について、火炎に例えて説かれました。その消えてしまった火炎については論じられない。滅びてしまった者には、それを論じる基準がない。
死んだらどうなるかは実際のところは分からない。死んでみれば分かるとも言えない。しかし、解脱の場合は、ああだこうだと論じられないが、自分が解脱すれば、ウパシーヴァさんの質問について、言葉でなく分かると思われる。
だから、自分が解脱をすることが一番。
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