>>136
> 瞑想の・・・究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことだ。
>何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知るということ自体がそれを克服するのだ。
 無意識は意識層にもちこまれることによって溶解する。
 無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。
 マインドはそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。
>マインドが静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であることを知る。
 私たちは経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその二つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。

>観照者としての自己同一化は終焉(しゅうえん)する。


ふむふむ。
純粋な観照者→観照者としての自己同一化は終焉→純粋な気づき

観照者から者が抜けると、ただ一つの意識みたいな「純粋な気づき」になるのでありましょうかね。

観照者の段階では、まだ、何者かに例えられる者なのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ