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「カッパ経(カッパ学生の問い)」。ブッダに人生を河の流れに例えて質問した。
この流れは、一人の一生という意味でも、もっと長期の流れとして輪廻の流れと取ってもよい。
いろいろな出来事があり楽しいこともあるが、辛いこと、悲しいこと、苦しいこともある。そのような中で激流とは親しい人の死や、自分が大病をして死を目前にする悲しみや恐怖。そのような時、どうしたらよいのかブッタに尋ねた。

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ブッダの解答は急に難しくなった。「カッパ経」だけを読んだのでは意味は分からないと思われるが、第5章を始めから読んでおられる方はなるほどと思われるであろう。
「無所有と無執著が洲(避難所)だ」がカッパさんへの解答。そして「その他に洲はなく、これが涅槃というものだ。そしてそれがプンナカ学生等の質問にもあった老いと死を滅尽し、克服することであることが述べられた。
無所有(いかなる所有もなく=無一物にして)は、実際に何も持っていないという意味ではなく、所有しているものが自分のものという意識がないという意味。自分自身も自分のものでなく、借りものだという意識でいること。
何故それが必要かと言えば、次の無執著につながる。すべて自分のものでなければ、すべてに執著することにならない。何ものにも束縛されることがない。完全に解放されていて自由。それを涅槃と言う。
そこには老いも死もない。だから、老いと死の滅尽なのである。

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「このことをよく知って」とは、「無所有と無執著は洲(避難所)であることをよく知って」ということ。
そのことによく気をつけて実践する人は、この世で、つまり死ぬ前に、全く煩いを離れた(涅槃に到達した)者となるとブッダは述べておられる。
そのような人々は、悪魔に負けない。悪魔の奴隷にならない。悪魔とは欲望の支配者ということだから、そのような人々は欲望に負けない。欲望の奴隷にならないということ。

(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚、あけおめことよろであります。