ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、6、サビヤ

510 サビヤがいった、「疑いがあり、惑いがあるので、わたくしは質問しょうと願って、ここに来ました。わたくしのためにそれを解決してください。わたくしが質問したならば、順次に、適切に、明確に答えてください。」

511 師は答えた、「サビヤよ。あなたは質問しようと願って、遠くからやって来ましたね。あなたのために、それを解決してあげましょう。あなたが質問したならば、順次に、適切に、明確に答えましょう。

512 サビヤよ。何でも心の中で思っていることを、わたくしに質問なさい。わたくしは一つ一つ質問を解決してあげましょう。」

 そのとき遍歴の行者であるサビヤはこのように考えた、「まことにすばらしいことだ。まことに珍しいことだ、
──わたくしが他の<道の人>たち、バラモンたちのところでは機会さえも得られなかったのに、道の人ゴータマがこの機会を与えてくれた」と。かれは、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、師に質問した。

513 サビヤがいった、「<修行僧>とは何ものを得た人のことをいうのですか? 何によって<温和な人>となるのですか? どのようにしたならば、<自己を制した人>と呼ばれるのですか? どうして<目ざめた人>(ブッダ)と呼ばれるのですか?
 先生! おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

514 師は答えた、「サビヤよ。みずから道を修して完全な安らぎに達し、疑いを超え、生存と衰滅とを捨て、(清らかな行いに)安立して、迷いの世の再生を滅ぼしつくした人、──かれが<修行僧>である。

515 あらゆることがらに関して平静であり、こころを落ち着け、全世界のうちで何ものをも害うことなく、流れをわたり、濁りなく、情欲の昂まり増すことのない<道の人>、──かれは<温和な人>である。

516 全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し、この世とかの世とを厭(いと)い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、──かれは(自己を制した人)である。

517 あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」

 そこで、遍歴の行者であるサビヤは、師の説かれたことをよろこび、随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに師に質問を発した。

518 サビヤがいった、「何を得た人を<バラモン>と呼ぶのですか? 何によって<道の人>と呼ぶのですか? どうして<沐浴をすませた者>と呼ぶのですか? どうして<竜>と呼ぶのですか?
 先生! おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

519 師が答えた、「サビヤよ。一切の悪を斥け、汚れなく、よく心をしずめ持って、みずから安立し、輪廻を超えて完全な者となり、こだわることのない人、──このような人は<バラモン>と呼ばれる。

520 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、──このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。

521 全世界のうちで内面的にも外面的にも一切の罪悪を洗い落とし、時間に支配される神々と人間とのうちにありながら妄想分別におもむかない人、──かれを(沐浴をすませた者)と呼ぶ。

522 世間のうちにあっていかなる罪悪をもつくらず、一切の結び目・束縛を捨て去り、いかなることにもとらわれることなく解脱している人、──このような人はまさにその故に<竜>とよばける。」
 そこで、遍歴の行者サビヤは師の諸説をよろこび随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに師に質問を発した。

523 サビヤがいった、「諸々の目ざめた人(ブッダ)は誰を<田の勝者>と呼ぶのですか? 何によって巧みなのですか? どうして<賢者>なのですか? どうして<聖者>と呼ばれるのですか?
 先生! おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

524 師が答えた、「サビヤよ。天の田・梵天の田という一切の田を弁別して、一切の田の根本の束縛から離脱した人、──このような人がまさにその故に<田の勝者>と呼ばれるのである。

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