ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

466 執著することなくして、常に心をとどめ、わがものと執したものを(すべて)捨て去って、世の中を歩き廻る人々、──そのよえな人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

467 諸々の欲望を捨て、欲にうち勝ってふるまい、生死のはてを知り、平安に帰し、清涼なること湖水のような<全き人>(如来)は、お供えの菓子わ受けるにふさわしい。
468 全き人(如来)は、平等なるもの(過去の目ざめた人々、諸仏)と等しくして、平等ならざる者どもから遙かに遠ざかっている。かれは無限の智慧あり、この世でもかの世でも汚れに染まることがない。<全き人>(如来)はお供えの菓子を受けるにふさわしい。

469 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、わがものとして執著することなく、欲望をもたず、怒りを除き、こころ静まり、憂いの垢を捨て去ったバラモンである<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

470 こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく、この世についてもかの世についてもとらわれることがない<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

471 こころをひとしく静かにして激流をわたり、最上の知見によって理法を知り、煩悩の汚れを滅しつくして、最後の身体をたもっている<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

472 かれは、生存の汚れも、荒々しいことばも、除き去られ滅びてしまって、存在しない。かれはヴェーダに通じた人であり、あらゆることがらに関して解脱している<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

473 執著を超えていて、執著をもたず、慢心にとらわれている者どものうちにあって慢心にとらわれることなく、畑及び地所(苦しみの起る因縁)とともに苦しみを知りつくしている<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

474 欲望にもとづくことなく、遠ざかり離れることを見、他人の教える異なった見解を超越して、何らこだわってとらわれることのない<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

475 あれこれ一切の事物をさとって、それらが除き去られ滅びてしまって存在しないで、へいう平安に帰し、執著を滅ぼしつくして解脱している<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

476 煩悩の束縛と迷いの生存への生れかわりとが滅び去った究極の境地を見、愛欲の道を断って余すところなく、清らかにして、過ちなく、汚れなく、透明である<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

477 自己によって自己を観じ(それを)認めることなく、こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、動揺することなく、疑惑のない(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。

478 迷妄にもとづいて起る障りは何ら存在せず、あらゆることがらについて智見あり、最後の身体をたもち、めでたい無上のさとりを得、──これだけでも人の霊(タマシイ)は清らかとなる。──(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。」
(´・(ェ)・`)つ